震災前の灘区には13の市場がありました。
八幡市場、地蔵市場、高羽市場、宮前市場、灘公設市場、将軍市場、
大石市場、西灘市場、岩屋市場、和田市場、畑原市場、東畑原市場、灘中央市場。
懐かしい名前がズラリ。
今でも元気に営業しているのは水道筋界隈の市場。
その歴史をおさらいしておきましょう。
一番歴史が古いのは畑原市場。
開設は大正7年。
水道筋商店街の成立が大正末期ですから、
それ以前からあったということになります。
私がよく通ったのは昭和40年代後半。
いや、すごかったです。人出が。
なんせ平日の夕方でも通り抜けが大変でしたから。
下は当時の水道筋ショッピングマップです。
万国旗に彩られた「シンガポール精肉店」が、
今の「夢」さんの場所に。
ベテラン水道筋者(スイドウスジャー)のコロッケの定番は
やはりココでしょう。
畑原のデリカッテッセン「にっこり屋」、9月の火災で被災した
「宮野青果」「揖沢商店」などが南筋にあります。
ということは、揖沢さんの現在の仮店舗は実は本店だったことが
わかります。感慨深い。
「佐藤豆腐店」の名前はまだありませんが、
「松村漬物」の名前はしっかり。若かったころのマツムラの
オバちゃんのサリーちゃんみたいな太い足首、鮮明に覚えています。
「魚辰」の大将もまだ若く、朝日新聞に「市場の次代を担う若手」
として紹介されたのもこのころでしょうね。
ルービックキューブやローラースルーは「尾崎玩具店」
やさしいおばちゃんは、もう亡くなったと風のウワサに
聞きました。
現在「リカーホールチンタボーダースペシャル」のある場所は
干物の名店「吉川商店」。
ウチは灘中央市場の加納さんがご贔屓だったんですがね。
ショットバー「汽笛亭」の隣は「亀井堂灘店」。
そうそうせんべい屋さんだったよなぁ。
そんな風にマップの中に入って市場散歩を楽しんでいると、
オカンのケツにくっついて歩いていたころの畑原市場の匂いや
温度や明るさがムクムクと甦ってきます。
あれから30年以上たちましたが、店主がほとんど変わっていない
のがスゴイ。
次回は灘中央市場にタイムスリップです。