善治郎は、棟梁の儀久を呼び寄せた。
「私は」善治郎は口を開いた。「隠棲のための棲家を建てるときが来たと
悟った」。
「しかし」言葉を継いで、「こじんまりとしたものは建てようとは思って
おらん」。
儀久はじっと善治郎と向かい合った。儀久は口数の多い方ではない。しか
し、長い付き合いの中で、善治郎の好みに通じていた。
善治郎は自分の思いを申し述べた。自分も糸子も歳をとってから立ったり
座ったりがおっくうになってきた。基本は椅子式の住まいである。外観も概
ね洋風を基調に考える。
青春時代を過ごした亜米利加の西海岸側では、白漆喰の大壁に赤い丸瓦を
葺いた西班牙風の邸宅が流行っていた。神戸にも塩屋にイギリス人が建てた
のやら、幾つか実例がある。そういったものを参考にしてほしい。
それから、やはり港が見渡せる塔が是非欲しい。
「承知しました」。儀久は、頭の中で善治郎の新邸の構想図を仕上げつつ
あった・・・。
二人の会談からしばらくして、阪神急行電鉄の真新しい高架橋が家並みの
上に、まるで万里の長城のように抜け出た原田通の一角に、この鉄筋混擬土
の城壁を越えるような大きな足場が組まれていた。
人々は、驚きながらこの足場を眺めて囁きあった。
「何でも亜米利加帰りのお大尽の隠居所やそうな・・・」
(この項、とりあえず続く)