大正8年の年明け早々、武田先生が、銀次郎の新邸の着工に向けた打ち合わせに、
一人の青年を伴って、生田町の銀次郎の屋敷を訪ねてきた。
「このたびはお世話になります。」改まって銀次郎は、武田先生を迎えた。
「名古屋へ赴いてからというもの、なかなか神戸へ寄せていただく機会に恵まれず、
御無沙汰しております・・・。漸く、新しい邸のプランも出来上がりましたので、
これからは、更に具体的な詰めをしなくてはなりませぬ。そこで、勝田さんの御意
見を承って、図面を描き起こす仕事を、この岩崎君に委ねたいと思っております。」
と銀次郎は、伴ってきた青年を紹介した。
「初めてお目にかかります。武田先生の下で製図の仕事をさせていただいておりま
す、岩崎平太郎と申します。」
まだ二十代半ばという趣の、書生然とした平太郎青年を銀次郎はまじまじと眺めた。
「岩崎君は、二十六歳でありますが、桑港での万国博覧会の日本館の現場や、京都
岡崎の下村邸など、製図と現場管理について豊富な経験を積んできた優秀な技術者
であることは、私が保証します」。武田先生は任せてやってください、という表情
である。「岩崎君には、私の代理で、勝田さんの御宅が出来上がるまで、神戸に移
って貰って、住み込みで勝田さんの御宅につきっきりで仕事をやってもらうことに
しています。」
話をするうちに、銀次郎は、平太郎青年が大和・吉野の生まれで、京都で社寺の修
復に携わった後に、桑港に赴いたこと、現地でも仕事の合間を縫って各地を見て廻っ
たことを知った。
武田先生に促されて、平太郎は一枚の図面を取り出し、銀次郎に見せた。
「まだまだ下書きですが、新しい御宅の立面図案です」はにかみながらも、平太郎
は銀次郎の眦をしっかと見据えていた。
「よし、岩崎君。しっかりやってくれ給え。わしもどしどし意見する」。
銀次郎は、まだ若いこの「製図工」の頭脳と指先に、自分のイメージの具体化の作
業を委ねることを決めたのだった。 (この項、続く)


