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2008年3月16日(日曜日)

底抜け!痛快!!船成金の館(35)

カテゴリー: - dr-franky @ 00時40分00秒

 大正7年11月16日、ちょうど5日前に第一次世界大戦が終結した直後
の東京・青山。
 銀次郎の寄贈した青山学院高等学部校舎の落成記念式典が挙行されよ
うとしていた。
 陸軍軍楽隊による演奏、聖書の朗読、そしてウェインライト博士によ
る祈祷の後、寄贈者の銀次郎が紹介された。
 銀次郎は、講堂の壇上に上がった。

 来賓の数600余名、学校関係者訳60名と学生900名を前に、銀
次郎は話し始めた。
 「・・・私が本学にお世話になったのは、明治24年から25年のこ
とで、当時の院長は本多庸一先生であった。ミス・ヴェイル女史今はミ
セス・ビショップからは様々なことを教えていただいた。
 学校を出てから実業界に身を投じて、学校は長い間御無沙汰をして失
礼をしていた。」
 そして銀次郎は高木院長との出会いから始まる今回の寄贈のいきさつ
に触れた後、学友の一部に「なかなか社会で良い地位に就けない」とい
う不平を述べる者があるということを紹介しつつ、「学閥を頼るのでは
なく、世の中で一人立ちの出来る人物、他に頼らず独立独歩の人間を育
成するのが青山学院の教育方針であって、学閥や他の力にすがって地位
を得ようとする者は出ないはずだ。日本には確かに官学偏重のきらいが
あるのは事実だが、日本の将来を背負って立とうとする者は人に頼る思
想を持つべきではない」と諭した。

 続いて、高木院長が、建物受領の辞を述べた。
 高木院長は「官立の学校や事業に寄付をする者は多いが、私人の事業
に寄付をするものは少ない。それは前者には叙勲などの恩賞が与えられ
るのに対して、後者には何ら報われない。しかし、勝田氏はそのような
ことを気にも留めず、母校を想い、その発展を祈念して多額の寄付を申
し出られ、そのお陰で本校は更なる発展の礎を築くことができた」と銀
次郎への感謝の意を伝えた。

 銀次郎は、この年、高額納税の功で、貴族院議員に推挙せられた。
 ある意味で、銀次郎の絶頂期は、この大正7年であったのかもしれな
い。青山学院の寄贈がひと段落着いて、次はいよいよ青谷の地に、自分
の城を建てる構想を実現する時だ、と銀次郎は決意を新たにしたのだっ
た。                    (この項、つづく)


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