紐育での善治郎の新しい生活が始まった。
森村組の新入りが必ず経験する商品係は、ビルの地階の倉庫が仕事場であったので、
誰彼となく「穴倉組」と呼ばれていた(当時の「穴倉組」の1週間の給料は7ドルだっ
たという)。
当時の穴倉組は、義弼と、「哲学者」と呼ばれた「帰山」、田邊というせっかち屋と
いう個性派集団で、時には取っ組み合いの喧嘩もあったようだ。だが、今のイジメのよ
うな陰惨さはこれっぽちもなく、実にさばさばとして、再び仕事に戻っていった。
ここ紐育では先輩格の義弼と、善治郎は「独逸人酒屋アパート、3階3室」の下宿で
珍妙な共同生活を送っていた。
きちんと早起きする義弼に対して、信州育ちのおっとりした「善牛和尚」善治郎は朝
寝坊気味。カードゲームに目がなく、スモーカーの善治郎に、読書家の義弼と、何をす
るにも対照的な2人だが、冷たい麦酒と暖かいご馳走を愉しむ夕食が2人にとっての何
よりの共通したたのしみだったようだ。
住み込み家政夫の経歴を活かし、料理係は善治郎、後片付けは義弼という役割分担を
していたつもりだったが、それも善治郎任せになりがちであった、と義弼は後に回想し
ている。
そんな日々を送る善治郎のもとへ、ある日、神戸の港から一つの包みが送り届けられ
た。大きな嵩の割りに目方は知れている。普段扱っている瀬戸物や清水焼の陶磁器とは
対照的である(ちなみに陶磁器を多く取り扱った森村組は、名古屋で現在も盛業中の陶
磁器メーカー・ノリタケカンパニーリミテドの前身である日本陶器の基礎を作った、
「海の向こう」での立役者であった)。
この見慣れぬ包みが、善治郎のその後の人生を大きく変えることになるのであるが、
今は誰もそのことを知る者はなかったのであった(この項つづく)。


