数日後、筑前飯塚から私宛に一つの書籍小包が届けられた。
仕事先から帰宅した私は、とるもとりあえず、封を切った。
ビニール袋に丁寧に包装された其の本は、B六版と、思いの外
こじんまりとしたサイズだった。
「赤尾善治郎傳」と布装に金文字が打たれている。私は、ビニ
ールの包装を止めているセロハンテープをはがした。
手に取ると、戦時中の発行ながら本文の紙質も思っていたより
も良かった。奥付を見ると昭和十七年九月の発行で、沼津市在住
の服部純雄という人物が執筆している。
服部氏は、赤尾氏の親類で、広島で永らく中等学校の教壇に立
っていた人物らしい。そのせいか、本の内容は偉人伝にありがち
な成功譚に加えて、道徳の教本みたいな説教めいた話もあった。
しかし、しかし、赤尾善治郎については、赤松啓介が「神戸財
界開拓者伝」(太陽出版、昭和55年)で評伝を記しているが、神
戸商工会議所の会員向け通信の連載記事がベースだけに記述に物
足りなさを感じるのも事実。そうした中で、この評伝は赤尾善治
郎の足跡をもうすこし詳しくたどるために欠かせない貴重な資料
に違いなかった。
付け加えるならば、建築探偵の目を釘付けにする、歴史的ショ
ットが収められていたことで、私は「元を取った!」と思い、納
得したのだった。 (この項つづく)