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2007年5月10日(木曜日)

第一夜 台北ビルの階段で滑る

カテゴリー: - dr-franky @ 23時55分36秒

 K医博夫妻の話を総合すると、「原田のジェームス邸」の成り立ちは、
 「亜米利加で成功したアカオなる人物が、功成し遂げて引退後の住まい
として建築したものである」ということであった。
 その後、空襲で壁だけを残して焼け落ちたところを、K医博の義父が引
き受けて、数年がかりで修復して、今日見るような姿に仕上げたというこ
とである。館の北側にある診療所の建物は戦後に、K医博が開業する際に
建てたものである。

 「ですから、今でも空襲で焼けた時の痕が内壁に一部残っています。」
 「昔は、周りに高い建物もなくて、港の打ち上げ花火を屋上のテラスで
楽しむことが年中行事でした」とK医博は懐かしそうに語った。
 K夫人は、「修復している時は、棟梁が一人、かかりきりで仕事をして
いました。板を張り合わせるのに、糊が手に入らなくて、いろいろ工夫を
していたのを覚えています」。

 お二人の話で、積年の幾つかの疑問が解けた。塔屋の、いささか釣り合
いの悪い金属製のドーム屋根も、戦後の修復時の物である事がはっきりし
たし、今は駐車場に取り残されている年代物の石製門柱も、戦後に他所か
ら移してきたものであることも・・・。なにより、施主Xが「アカオ」氏という
ことが判ったのが大きかった。

 家に帰って、私は大倉山の図書館で取って来た「日本紳士録 昭和十年
版」のコピーの「ア」の部を繰ってみた。
 「赤尾善治郎 赤尾商会(株)社長」という文字が目に飛び込んだ。
 しかし、住所は「生田区布引町二」であった。
 私はインターネットの検索エンジンで、試しに「赤尾善治郎」と入力し
て調べてみた。項目は少なかったが、長野県の「安茂里小学校」に「赤心
館」という校舎を寄贈していて、顕彰碑が建てられている、ということが
判った。
 こんどは、東京の古書籍商組合がやっているインターネットの古本屋の
サイトで「赤尾善治郎」を検索してみた。すると「赤尾善治郎伝」という
昭和十七年刊の本を福岡県の古書店が在庫していることがわかった。
 
 私は一か八かで、「赤尾善治郎伝」を「買い物カゴ」に入れ、注文手続
きに移った。                  (この項つづく)
  


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