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2007年5月20日(日曜日)

第一夜  エルナードの石畳に寝っ転がる

カテゴリー: - dr-franky @ 22時14分59秒

 昭和8(1933)年、善治郎が建設費を寄付した安茂里の小学校の新校舎
が完成を見た。階数は二階建てだが建坪三百六十坪の規模を誇った。当時、
長野県下で、鉄筋コンクリート造構造の校舎を有する小学校は、他に無か
った。 
 新校舎は、善治郎の姓名の一字を取って「赤心館」と命名された。

 村人は、善治郎の行いを永年に伝えるため、善治郎の胸像を校庭に建立
することを申し出た。善治郎はこれを辞退しようとしたが、最終的には、
銅像台座の碑文を、今や代議士をつとめあげた旧友・梅四郎が撰文して、
こちらも無事序幕の運びとなった。

 善治郎は、また経済的に困窮する多くの苦学生にも支援の手を差し伸べ
た。こうした善治郎の篤志は、野良仕事の手伝いや、行商の合間を縫って
苦心して小学校を了えた自身の経験がその根源にあったのは言うまでもな
いことだろう。

 ある日、布引の家で、神戸の港を見下ろしながら善治郎は考えていた。
 私も、七十歳を超えた。息子の英太も立派に会社の経営に辣腕を振るっ
ている。そろそろ第一線から身を引く時が来たもしれない。
 会社の事務所をかねている布引の家を英太に譲り、私は違う地所へ移っ
たほうが良いかもしれない・・・。
 善治郎は、その思いを妻の糸子に伝えた。糸子は、善治郎の考えに賛同
した。以前、善治郎は西灘の阪急電車の上筒井終点に近い一画に土地を買
っていた。西灘の耕地整理もひと段落着いているので、あの場所ならいい
のではないか・・・。善治郎は、徐々に自分の老後の住まいを構想するよ
うになっていった。               (この項つづく)
 


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