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2008年9月6日(土曜日)

底抜け!痛快!!船成金の館(55)

カテゴリー: - dr-franky @ 09時00分00秒

 いくつかの川を渡り、鎮守の森に野宿して、ようやく石橋市長の一行は東
京市中に入った。だが、甚大な被害という点では、東京もさほど差がなかっ
た。
 とはいえ、市街地がことごとく焼け落ちた横浜とは対照的に、東京府庁の
あるの丸の内界隈は、被害が軽く済んだオフィスビルも多かった。鯨のよう
に巨大な東京駅もしっかり建っていた。

 対照的に、はす向かいの新築間もない丸の内ビルは、壁に亀裂が走ってい
て深手を負っているようだった。

 銀次郎は、「英和学校・・・、青山学院はどうなったかのう」と、心の片
隅で気にかけていた。
 銀次郎は、「青山あたりは、被害はどうのようなものですか」と、応対し
ている府庁の吏員の一人に尋ねてみた。
 「比較的山手ではありますが、揺れがかなり長く続いたので、火事も出て
いるようですが」。

 「やはり厳しいかも知れぬ」。銀次郎は心の中で、自分に言い聞かせる
ようにつぶやいた。

 銀次郎も、母校の被害が気がかりではあったが、公務での状況ということ
もあり、私的な単独行動をとることははばかられた。

 その、青山学院の、銀次郎が心血を注いだ勝田館は、丸の内の赤レンガ街
の町並みとは対照的に、完全に文字通り瓦礫の山と化し、一部の壁面が残る
だけという壊滅的な被害を受けていた。 
 煉瓦造で、大きな講堂を内包する勝田館は、今日の目から見れば、地震に
対しての考慮が十分なされた建物でなかったことは事実であろう。しかし、
竣工から5年余りで、勝田館は地上から姿を消すことになったのだった。
                         (この項つづく) 


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