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2007年2月1日(木曜日)

第一夜 灘中央筋でnaddist氏一行と相まみえる

カテゴリー: - dr-franky @ 00時00分00秒

 「おい、善牛和尚よ、その包みは一体何だい」、義弼が声をかけた。
 「ああこれか。花筵(はなむしろ)だよ」と善治郎は返答した。

 現代の私達は、「花筵」と聞いても、即座に具体的なイメージを描けないだろう。
 しかし、戦前においては、一時期神戸港の輸出商品の上位を占めたこともあるヒット
商品だった。

 花筵の歴史は、赤松啓介の調査によれば紹介すれば、以下のようだ。

 もともと日本には、い草を編んだ敷物として筵があったが、これに模様を織り込んだ
ものは中国から日本に元禄の頃にもたらされ、上方あたりで模造する者が居たという。
ペリーが来航した時、亜米利加へ持ち帰った品々の中に、この上方で作られていた模様
を織り込んだ「花筵」が含まれていたといい、開港後の早い時期から海外へ輸出されて
いたという。

 明治九(一八七六)年頃、当時の岡山県令(現在の県知事に相当)高崎五六が、入手
した印度セイロン産の藺(い)筵のコピー模造)を奨励したのを受けて磯崎眠亀が創意
工夫して改良花筵を開発。これを開港場神戸の貿易業者へ眠亀が持ち込みセールスし
た。その結果、神戸元町の商人・浜田某が興味を示し欧米へ見本を送り込んだところが
反応がよく、明治十四(一八八一)年に英吉利からまとまった注文が入るようになり、
順次販路が拡大した。善治郎が亜米利加へ渡った直後の明治二十年には輸出額が時価三
万三千円になっていた、という。

 この花筵は、その後広島など中国地方の農村部の内職として広がっていった。その海
外輸出に拍車をかけたのは、明治二十一年十一月に兵庫〜明石間に開通した山陽鉄道
(現JR山陽本線)の延伸だった。大量輸送が可能な鉄道によって、中国地方各地に広
がった産地から送り出される花筵が神戸の地へもたらされ、神戸港から欧米各地へ送り
出されていた。

 善治郎が受け取ったのは、そうして送り出された中国地方の産地からのサンプル品だ
ったようだ。

 花筵は、同じ室内装飾品の敷物であるカーペットと比べると、耐久性は落ちるものの
図柄が豊富で、かつ安価ということもあり、手軽に模様替えが可能なことが受けて、欧
米での需要に繋がっていた。

 しかし、この花筵の「安価」という特徴が、黎明期のわが国の輸出商品共通の問題と
密接な関係にあるのもまた事実であった。            (この項続く)


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