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2006年12月21日(木曜日)

第一夜 花筵王の館 新家のカウンターにて一番搾りで喉を潤す

カテゴリー: - dr-franky @ 00時19分03秒

 明治十七(一八八四)年といえば、明治維新の激動のほとぼりも冷めて、次第に富国強兵へ日本が動き始めた時期、といえようか。
 七年前の西南の役の終結を境に、士族の不満分子による政府転覆の反乱は影を潜めた。一方で、その莫大な戦費のため乱発された不換紙幣によるインフレーションに対抗して大蔵卿・松方正義が打ち出した「松方デフレ」政策によって経済的に疲弊した農村部を中心に、折からの強権的な行政に対抗する自由民権論者と、彼らを弾圧する権力の動きとが、この頃、各地でしのぎを削っていた。
 その中で、この年の九月、爆発物で武装した急進的な茨城県の自由民権論者による政府高官襲撃計画が発覚、摘発された「加波山事件」が起きた。そして、10月、松方デフレに加えてリヨンの生糸相場暴落の影響をもろに受けた埼玉県秩父地方の貧農層と自由民権論者により結成された「秩父困民党」が借金のモラトリアムを求めて蜂起した。「秩父事件」である。特に秩父事件では、信州の佐久でも蜂起を起こしたから、こうした世情は、安茂里の善治郎にも、何らかの風聞で届いていたかもしれない。

 だが、善治郎は遠くを見つめていた。
 苦しい魚の行商の積み重ねは、善治郎の手元に少なからぬ学資として結実していた。
 今こそ、東京へ出でて、新知識を身につける時、と善治郎は心を決めた。

 善治郎から胸のうちを明かされた母は、黙って、しかし、善治郎の決心を受け入れてくれた。
 
 まだ鉄道が信州と東京を結ぶ以前の話である。東京までの長い道のりは全行程徒歩の長旅である。しかし、越後と長野の往復で鍛えた善治郎にとっては、険しくも希望に満ちた旅路であった。時に善治郎、二十一歳であった。

 東京に着いた善治郎は、麹町富士見町の二松学舎(現在の二松学舎大学の前身)の門を叩いた。
 二松学舎は、備中・倉敷出身の漢学者にして法学者の三島三州が明治十(一八七七)年に開いた学校で、文明開化の世の中にあって、東洋学をカリキュラムの中心にすえた当時としては異色の学校であった。             (この項つづく)


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