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2008年5月10日(土曜日)

底抜け!痛快!!船成金の館(42)

カテゴリー: - dr-franky @ 11時51分14秒

 1週間、お休みしてごめんなさい。

上棟式も済んで、新邸の普請が順調に続く一方で、銀次郎の本業の海運
業界には、浮揚の兆しは見られなかった。神戸港沖でも累々と商船群がブ
イに係留されて、諏訪山から眺めれば、西陽に赤く船腹が照らされる、と
いう光景がここのところずっと続いていた。
 それは小樽、函館、新潟、横浜、名古屋、門司など主だった港町では、
どこでも見られた光景だった。

 時計の針を半年ばかり戻して、大正8年の春まだ浅い、ある日の花隈の
いつもの料亭。
 山下亀三郎、内田信也や銀次郎をはじめとする船主たち、それに鈴木商
店の金子直吉が三々五々集まって、この海運不況の打開策をどうしのいで
いくか、話し合いがもたれていた。
 とは言っても荷が無ければ船を動かすあてはない。妙案が出るわけでも
なく、次第に出席者の間に重い空気が流れてるようになった。

 金子は黙想しているのか、瞼を閉じている。沈黙に耐えかねたかのよう
に、金子と同じ年の山下が、「金子君よ、狸寝入りせんと、何かええ考え
はないか」と少しいらだち気味に言葉を投げかけた。
 
 金子は、ゆっくりと、瞼を薄く開いて、ぶっきらぼうに返した。

「簡単じゃ。日本からボロ船を2、3隻スエズ運河へ回航して、運河の途
中でわざと座礁させるんじゃ。そうすりゃ、航路が迂回する分、船が足ら
ん言うて、引き合いも増えるじゃろう」。

 突飛な、人を喰った物言い。しかし一同はどっと沸いた。座の空気も和
んだ。

 景気のよかった頃は、山下、内田、勝田などと個人経営的な船主でもやっ
ていけた。しかし、このような時代では脆弱な中小企業である。答えは大同
団結しかなかった。
 大正8(1919)年8月。松方幸次郎(川崎造船所)など造船業者、山下、
内田、勝田など社外船主各社が所有船計50万tを持ち寄って「国際汽船」
が設立された。
 しかし、「かちかち山」の「狸の泥舟」ではないにせよ、危うさを伴っ
た新会社の船出であった。             (この項つづく)
 大扇港之図(大正中期)


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