2008年 2月
« 1月   3月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
242526272829  
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
最近の投稿
2010年12月21日(火曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(75)
2010年12月19日(日曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(74)
2010年7月19日(月曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(73)
2010年6月28日(月曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(72)
2010年3月28日(日曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(71)
灘建築夜話 月別過去ログ
灘建築夜話 カテゴリ一覧
灘建築夜話 最近のコメント
最新の灘イベント情報
予定なし

2008年2月16日(土曜日)

底抜け!痛快!!船成金の館(31)

カテゴリー: - dr-franky @ 19時56分30秒

 「武田先生」との会談の機会は案外早く廻ってきた。出張の帰りに神戸に立ち寄る、
との連絡が、金田組の主人からあった。銀次郎は、諏訪山下の料亭で一席設けること
にした。
 
 初夏の、しかし、しのぎ易い宵の口、白い背広にカンカン帽の長身の紳士が、案内
されてきた。
 「こちらが、勝田汽船の勝田銀次郎社長さんです。」後からつき従ってきた金田が
銀次郎を紹介した。
 「初めまして、勝田といいます。本日は、お忙しい中、神戸にお立ち寄りくださり、
また私がごとき者にお時間をいただき、誠に有り難うございます」。
 「武田です。今は名古屋の高等工業学校の校長をしております」。武田と銀次郎は、
名刺を交わした。
 「おお、五一ということは、5番目にお生まれになった御長男ということでは」
 「ええ、勝田さんは御次男でしょうか」「いや、これは父の名前をもらったから
で、上に姉が居ります・・・。」
 金田からは、「武田先生」は福山の武家の出身と聞いていたが、案外ざっくばらん
な性格の御仁である。年も先生が一つ年長、杯を重ねるごとに、二人とも次第に打ち
解けてきた。
 「いやぁ、神戸は私も子供時分に、父に従って兵庫の町で過ごしたこともある町で
すが、随分と開けましたなぁ。」と武田先生は感慨深げに話した。
 「おお、先生は神戸に居られたことがおありなのですか」。
 「父が裁判官をして居ったので、長くはありませんが・・・。それから姫路や岐阜、
高知と、転々として、ようやく東京の本郷に暫く落ち着いておりました。それから英
吉利へ留学して、帰ってきて今度は京都の学校に赴任することになって・・・。
はは、根無し草ですな」

 「神戸では、最近では安養寺山(大倉山)の伊藤公の銅像台座をやらせてもらいま
した。それからも、公務で洋行する時など、神戸港で船の乗り降りはあるのですが、
最近は鉄道が便利になったので、神戸で時間を過ごすのは久しくなかったことです。」

 話をしていても、調子が合う。学があるというのは感じられるが、嫌味ではない。
銀次郎は、この人なら自分の家の作事を任せてもいいのではないか、と思うように
なっていた。思い切って、銀次郎は水を向けてみようと思った。

 「ところで先生は、方々の立派な建物を手がけておられるようですが、邸宅もおや
りになられるのでしょうか」。              (この項、つづく)  

 武田五一(四十三歳、博物館明治村蔵)


TrackBacks

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/wp-trackback.php/66

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメント

投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。

30 queries. 0.024 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress