2008年 1月
« 12月   2月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
最近の投稿
2010年12月21日(火曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(75)
2010年12月19日(日曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(74)
2010年7月19日(月曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(73)
2010年6月28日(月曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(72)
2010年3月28日(日曜日)
底抜け!痛快!!船成金の館(71)
灘建築夜話 月別過去ログ
灘建築夜話 カテゴリ一覧
灘建築夜話 最近のコメント
最新の灘イベント情報
予定なし

2008年1月12日(土曜日)

底抜け!痛快!!船成金の館(28)

カテゴリー: - dr-franky @ 19時48分38秒

 欧州戦線は、連合国軍が劣勢に立たされる時期もあった。
 土耳古への英吉利軍の進撃も名将ケマルの指揮する土耳古軍によって阻
まれていた。英吉利は亜剌比亜半島で、土耳古軍勢力に対抗する亜剌比亜
人の蜂起を支援して、南から土耳古に圧力をかける戦略に転じた。
 人々は、この戦は十年は続くのではないか、と噂し合うようになってい
た。 
 
 銀次郎の寄贈による青山学院の新校舎の起工式は、大正6(1917)年1月
21日に厳かに執り行われた。

 この年、制海権を連合国軍に掌握されていた独逸軍は、潜水艦「Uボート」
による「無制限潜水艦作戦」に打って出た。
 地中海を航行する日本の傭船も、たちまち「海の狼」Uボートのターゲッ
トとなり、魚雷攻撃で海の藻屑と消える船が後を絶たなかった。
 だが、札束を握り締めた日本の船主達は、東南アジアをめぐっては、船を
買い叩き、船員を集めては、西方の海域へ送り出した。物資の運搬はひきも
きらないから、船価は青天井。Uボートで持ち船が沈められようと、船主に
は莫大な利益が転がり込んだ。
 
 持ちなれない金が湧いてくるように懐に転がり込む船主を始めとして、日
本は俄に成金ブームが起こった観があった。花隈の料亭街も大賑わいの繁盛。 
 帰りに足元が暗いからと、玄関先で靴を探す下足番に、百円札に火をつけ
て蝋燭代わりにした成金が現れた、という風刺画まで出る始末である。
 しまいには、山本唯三郎のように、「おい、東京へ行くぞ」と、寝台車を
借り切って、お気に入りの花隈・祇園の芸者衆を引き連れて上京する者まで
現れた。
 銀次郎も、そうした現場に居合わせながら、じっと、東京で進む工事の進
捗を気にしていた。

 新校舎の基礎工事は念入りに行われた。木造の院長館は半年余りして出来
上がったが、新校舎の定礎式が行われたのは起工から半年以上も経過した八
月三日のことであった。
 
 「母校へ大きな贈り物をなされると伺いましたが」。ある日、内田信也が
銀次郎に話しかけた。「まあ、思うところがありまして」と銀次郎。
 「私は、思い切って事務所を新築しようと考えました」。
 「ほお」。
 「今、事務所は神戸の建築士に図面を引かせています。欧州風の石造を思
わせるような建物を、と考えております」。
 簡単に言っているが、当時は国内の建設資材を始めとする物価も、好景気
と歩調をあわせるように高騰を続けていた。しかし、内田にとっては、今風
に言えば「関係ねぇ」という気持ちであっただろう。
 しかし、このとき、銀次郎も会社の新社屋の設計を、辰野金吾に依頼して
いたのだった。
                         (この項つづく)


TrackBacks

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/wp-trackback.php/63

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメント

投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。

30 queries. 0.040 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress