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2007年12月22日(土曜日)

底抜け!痛快!!船成金の館(25)

カテゴリー: - dr-franky @ 00時02分04秒

 欧州戦線では、英仏軍と独軍が既に塹壕をスイス国境から英仏海峡まで
掘り抜いて対峙する、という構図に嵌まり込み、戦線のいたるところで、
無数の突撃と機関銃の掃射や毒ガスによる応酬が繰り返され、死傷者は増
えていく一方であった。

 欧州への物資輸送は相変わらずひきもきらない。
 持ち船が6隻となり、傭船業を自分の商売の中心に据えようと考えてい
た銀次郎は、貿易業も行っている勝田商会の組織を、汽船会社へ変換して
いく必要を感じていた。
 こうして、新たな会社の設立を銀次郎は決断する。大正5年8月、旧居
留地の仲町二十七番地に、勝田汽船株式会社を設立。銀次郎は代表取締役
に就任した。勝田商会は、次第に銀次郎のグループ企業の管理会社的な性
格を持つようになった。

 海運会社の会合に出向くと、内田信也が、「いや〜、読みがどんぴしゃ
当たったとはいえ、ここまでとは思いませんでしたなぁ」と如何にも笑い
が止まらない、といった風で話す。銀次郎にしても、以前では想像も付か
ない一億円近い大金が手元にある状態である。
  
 金回りのよさ以上に、大きな変化が銀次郎の身の上に起こった。その年
の市会議員選挙に銀次郎は担ぎ出された。男気のある銀次郎だけに、人望
も厚かった。本人は乗り気ではなかったと思うのだが、なんと当選を果た
したのだ。
 銀次郎の、実業の世界から政治の世界への第一歩であった。

 「神戸の町中あげて普請ばやりですな」。銀次郎が山下に話しかけた。
 今日は、在神の船主の寄合である。日本郵船の神戸支店の新築が話題と
なった。栄町通をはじめとして、神戸のあちこちで、企業の社屋の新築が
相次いでいた。
 山下は、「いや、実はわしも、事務所を新築することにしたンだ」と打
ち明けた。「土地は旧の居留地に確保してある。設計は、東京の辰野さん
というエラい先生にお願いした。先生は日本で最初に「アーキテクト」に
なったお方で、英吉利にも留学して、工科大学で教鞭をとっていたのが、
東京で事務所を自営するようになった。日本銀行なんかも手がけている」。
 「ほう、日本橋の日本銀行ですか」。銀次郎は、ぼんやり、東京に居た
時分に垣間見た、建築中の日本銀行本店の様子を思い出していた。
 「そう、その東京の、英和学校だ。」議事が進む中で、銀次郎は自分の
青春時代の思い出の場所、東京英和学校のことを考えていた。

                         (この項つづく) 
 
 勝田商会設立の日


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