山下は、銀次郎の困惑をよそに話を続けた。「戦争になれば、船価は
跳ね上がる」
「しかし、わしは持ち船を国の徴用船に差し出すことにしたンだ。徴
用船は割がいいからな」。
「そうですか・・・」。
亀三郎は、同郷の陸軍軍人・秋山真之と交流をしていた。亀三郎の日
露の情勢分析は、秋山からもたらされた情報に基づいていたことを、銀
次郎はこのときに走る由も無かった。
車座になった参加者の中では、日露の情勢が当然の事ながら話題とな
った。しかし亀三郎は先刻とは打って変わってそ知らぬ顔をして、相手
の話に耳を傾け、時には大いにうなずいたりしていた。「・・・なぜ、
俺には話しを打ち明けたのだろうか・・・」銀次郎はぼんやりと考えて
いた。 宴はお開きとなり、銀次郎と亀三郎は再会を約して別れた。
明治37(1904)年2月、外務大臣小村寿太郎は露西亜国大使クローゼ
ンを外務省に呼び、国交断絶を通告。数日後には、日本海軍が旅順港を
急襲し、ここに日露両国は戦争状態に突入した。
銀次郎は、しかし淡々と日々の商いに没頭していた。もちろん、心の
中では、次第に海運への情熱が頭をもたげてきていた。だが、船を買う
には金が要る。今は中古のボロ船を買うにも、足元を見てふっかける手
合いがいるとも聞く。皆が船に殺到する今は、新参者が足を踏み入れる
場面ではない、という思いから、今は銀次郎は船主になるために備えに
徹しようと心に決めた。
あるいは、従軍記者に憧れる銀次郎ではなかったが、自分の取引先と
大いに関係のある中国東北部が主戦場であるので、戦況に一喜一憂して
いたのではなかっただろうか。 (この項、つづく)


