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2007年8月1日(水曜日)

底抜け!豪快!!船成金の館(その7)

カテゴリー: - dr-franky @ 00時00分00秒

 「勝田君、どうだかね、試験の出来は」。
 寮の同室の平太が銀次郎の顔を覗き込む。
 「どうも歴史というのは好かん。人っちゅうものは前を向いて生きる
ものだ。後ろを振返るようで・・・」、といいながら銀次郎は笑った。
 事実、こうと決めたらあとは前をむいて進むだけ、という一本気なと
ころが銀次郎にはあった。
 とは言いながら、銀次郎は落ちこぼれるのでもなく、成績は中位のと
ころを泳いでいた。実家の仕送りに頼るわけにも行かない銀次郎、学内
の小間使いや、新聞配達など課外のアルバイトで結構忙しかったはずだ
が、不得意な学科も投げたりすることは無かった。

 銀次郎の学ぶ東京英和学校は、もともとは、東京・横浜でメソジスト
系の宣教師によって創設された学校が合流してできたもので、銀次郎が
入学する数年前に、個人の寄付金で南青山の伊予西条の松平左京太夫の
屋敷跡であるこの地を購入して移ってきたのだった。このときに、やは
りメソジスト系の女学校が英和学校の隣地に移ってきていた。

 ところで、今でこそ、「こんどの結婚式、チャペルでするねん」と真
宗教徒が携帯電話で連れに触れ回って居たって、「何言っているのっ、
阿弥陀様の前で数珠の交換よっ〜!」と切れる御姐さんはまずいないと
思うが、明治20年代は、キリスト教を信心する人が、それなりの覚悟を
決めて、教会に礼拝に行き、洗礼を受け、という位、まだキリスト教に
対する世間的な見方は厳しかった。
 明治23年に発布された「教育勅語」を背景に、直接的には明治24(18
91年)の内村鑑三による「不敬事件」を発端として、キリスト教は国家
への忠節を否定し、社会秩序を乱す存在などと、キリスト教界を糾弾す
る神道、仏教者らに、本多らが反論するという、「教育と宗教の衝突」
論争が巻き起こるというご時世であった。
 東京なら英和学校や明治学院など、関西なら同志社、関西学院という
キリスト教系の学校へ進むのは、敬虔にキリスト教の信仰に触れようと
切望する者や、外国の文化・知識を身に付けて実業へ踏み出すための一
助にしてやろう、という銀次郎のようなタイプの人間だった、といって
も言い過ぎではなかった。
 
 だが、こうした時節に振り回されもせず、また、「隣のお姉さん」・・・
じゃなかった女学生に目移りすることも無く、新たな時代に漕ぎ出そうと、
銀次郎は知識の吸収に勤しむのだった。     (この項つづく)
 


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