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2007年6月14日(木曜日)

第一夜が明けて 昼下がり灘中央筋のサンドでホットを味わう

カテゴリー: - dr-franky @ 00時00分00秒

 読者の方から足掛け8ヶ月の連載と聞かされ、驚いた。
 新聞の連載小説みたいな形で細切れの文章となり、ま
た過去の赤尾善治郎と、近過去〜現在の私が交互に入れ
替わったり、さらに夜話にひっかけて、文章の内容とは
何の脈略も無い筆者の行った事のある店名を並べた小タ
イトルの命名など、お読みいただいた皆様は、さぞかし
面食らった方も多かったのではないだろうか。別の方か
らは身勝手なB型らしい(?)やり方と批判も頂いた。
最初のシリーズということで、こうした実験的なスタイ
ルで貫徹させていただいた、ということで御許しを願い
たい。

 赤尾善治郎を最初に取り上げたのは、其の存在が、従
来、脚光を浴びてはいないが、灘的には「花筵検査所」
という国の出先機関ができる一つのきっかけを作り、な
おかつ、「原田通のスパニッシュ洋館」という、割合ラ
ンドマーク的建物でありながらこれまで其の素性があき
らかでなかった物件の建設に関与した、というのが大き
な理由である。

 信州出身で神戸で成功を収めた財界人といえば、後藤
回漕店を創業した後藤勝造が思い浮かぶ。善治郎とは性
格は異なるが、あるいは神戸で赤尾商会を起こした背景
に同郷人の後藤の存在があった、という考えもできる。
 しかし、今日まで続く後藤回漕店とは対照的に、赤尾
商会が歴史の波間に消えたのは、この会社が良きにつけ
悪きにつけ、善治郎という存在に依拠した企業であった
ことが理由といえるのではないか。また花筵が神戸港を
代表する輸出商品であったことが今や忘却されているの
も、一つには第二次大戦による貿易の途絶によって、花
筵産業が崩壊したことが大きいだろう。
 戦後は、日米とも時期はずれるものの、大量生産の工
業製品が在来の軽工業製品を蹂躙し取って代わった時代
であり、花筵が敷物の返り咲くことが無かったのもある
意味では歴史の流れであったかもしれない。
 
 亜米利加をビジネスパートナーに一時代を築いた善治
郎が、B29の焼夷弾の降る中で一生を閉じたことに、
歴史の皮肉を感じずには居れない。本編でも書いたが、
日米が開戦に向かい、砲火を交える日々の中、そして最
後の瞬間の善治郎の胸中はどんなものであったのか。
 奇しくも同じ六月五日の空襲で、私の父方の祖母は中
山手教会の近くで火焔に行く手をさえぎられ、命を落と
している。あと百メートル山手へ上がっておりさえすれ
ば、という場所でその亡骸は見つかったのだという。
 善治郎の最期を知って、なにか無関係とは思えないよ
うな気がしたのも、今回、キーボードに向かったきっか
けの一つである。

 第二夜も、松山千春ではないが、長い夜になりそうな
予感がしている。


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