善治郎に救いの手を差し伸べた人物とは、森村組時代の上役、村井保固である。
ある日、村井から善治郎に「一度会わないか」と面談の申し入れがあった。
約束の刻限、場所に出向いた善治郎に、村井は「独立独歩で苦労しながら花筵で
頑張っているそうだな」とねぎらいの言葉をかけた。
村井は善治郎が置かれている境遇をよく知っていた。早いもので善治郎が森村組
を離れて二年余の歳月が流れていた。穴倉組の時から、他者にはない善治郎の豪胆
さを、村井は評価していた。
村井は、善治郎に資本の融通を申し出た。「私は」、村井は続けた「森村組は今
こそ君と協力するべき潮時に来ている、と考えている。」。
「有り難う御座います」。善治郎は、しかし首を横に振った。「私はひとり立ち
を決めてここまでやってきました。村井様の、その尊いお気持ちだけで今の私には
充分です」。
村井は言葉を重ねた。「善治郎君、いいかね。これは援助ではない。パートナーへ
の協力と受け取って欲しい。君の力量と性分を思い存分発揮してもらいたいと思って
いるのだ」。
これ以上の言葉は善治郎には不要であった。ここに善治郎と森村組との間で花筵取
引について紳士協定が成立した。
森村組からの資金的な協力が得られたことで、信用力が増した善治郎の事業も漸く
軌道に乗るめどが立つようになった。もちろん、一人何役というスタントを善治郎は
演じ続けなくてはならないことは変わらなかったが。
ただ、大きな変化があった。善治郎は日本へ帰朝するようになった。
人任せにしていた商品調達を、善治郎は魚の行商の時の経験から直営で行うことに
決めたのだ。
自分自身が集めてまわった取引先からの注文を元に、日本へ戻って中国地方の花筵
の産地を巡って商品を買い付けては、神戸港から積み出し、其の荷物の載った貨客船
に乗り込んで亜米利加へ戻り、通関手続きを済ませて相手方に手渡す、ということを
年二回はやった。徐々に産地側も善治郎に信頼を寄せるようになってきた。
(この項目つづく)


