「なんてことだ」。善治郎は絶句した。
倉庫には、日本からの花筵がたしかに届いてはいた。しかし、善治郎が発注した
数量にははるかに満たない、10分の1の商品しか届いていなかった。しかも、梱包を
解いて中身を見ると、善治郎の注文とはまったく異なるデザインの柄だった。
この頃、花筵は輸出額を伸ばしている時期であった。日本の産地では欧米各地から
の注文に追われる状況であった。善治郎が注文を出した日本の貿易商も、取引実績
のない一介の若者より、すでに取引のある他業者を優先して、そのしわ寄せが善治郎
に集まって悪い結果をもたらした、という所であった。
善治郎は、注文主を回って、違約を詫びてまわった。相手からの詰問に平身低頭し
ながら、しかし善治郎の心の中には「今に見て居れ」という負けじ魂がさらに燃え盛る
ようになっていたのだった。
渡米して一番の窮地に陥った善治郎だったが、しかし、森村やかつての仲間に頼ろう
とはしなかった。彼は西海岸の住み込み家政夫の時の辛酸の日々に固めた「独立独歩」
の精神を今こそ貫かなければ、明日はない、と自分に言い聞かせ、じっと耐える日々を
積み重ねていた。
後年著された善治郎の伝記にはイギリスの評論家トーマス・カーライル(1795〜
1881)の言葉を引用して
「汝自身不動の一點に立つべし、然らば偉大なる友は、求めざるに汝に来たらん」
と善治郎の境遇を記している。
この言葉どおり、善治郎の前に救いの手を差し出す者が現れた。(この項続く)