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2007年2月8日(木曜日)

第一夜 naddist氏一行と合流してKTV台北へ向かう

カテゴリー: - dr-franky @ 00時00分00秒

 日清戦争前夜の日本で、貿易の主翼を担っていたのは居留地の欧米人と中国の商人で
あった(そうした意味で早くから亜米利加へ打って出た森村は得意な存在といえよう)。

 ところが、その実態といえば、マッチを例にとると、ある商売人がマッチそのものを安く日本
人の製造業者から買い叩いて仕入れ、それを、他社の製品のパッケージを適当にコピー
して作らせた外箱に詰めて、ベトナムあたりで売りさばく、といったことが平然と行われていた
ようだ(ある種の商売人のやり方は100年以上の時空を経てものさばっているのだと考えると
腹立たしい部分もある)。
 こうした粗製濫造が続けば、日本製品に対するマーケットでの評価は、当然の事ながら低い
ものにとどまざるを得ず、したがって国内産地はこうした悪徳商人の搾取と模倣に泣かされる、
という構図がいつの間にか出来上がっていた。
 花筵も若干状況は異なるが、安く買い叩いて商館へ横流し、という図式は大同小異であった
から、製造現場の中国地方の村々では商品の評価を上げようにも、そのための消費者の動向
がまったく伝わらない、という盲目取引を強いられていたのであった。

 だが、紐育の森村組の「穴倉」にいる善治郎に、そうした図式はまだ見えてはいない。
 
 神戸から届いた花筵を前に、善治郎は考えていた。

 欧米人が好んで用いる室内装飾のカーペットは丈夫なゆえに、すこぶる高価で、一旦買って
しまうと買い替えはおいそれとはできない。しかし耐久に劣る花筵は、カーペットに比べれば
安価であるから、消費者のトレンドを見てデザインを変えていけば、需要を掘り起していくことは
できるのではないか。
 
 「それに」、善治郎はわが身のありようにも目を向けていた。
 一旗あげようとやってきた亜米利加での暮らしも幾年月、いつまでも人に使われているだ
けでは成功はおぼつかない。このまま森村組にいても、先は知れている。
 ここらでひとり立ちを考えてみようじゃないか。持ち前の負けん気、旺盛な独立心を開放す
る時はもうすぐだ、そう善治郎は考えるようになっていった。                       (この項目つづく)


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