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2006年12月28日(木曜日)

第一夜 花筵王の館 新家で串天に舌鼓を打つ

カテゴリー: - dr-franky @ 00時00分00秒

 二松学舎に落ち着いた善治郎は、しばらくして、同郷で先に上京していた梅次郎の下宿を訪ねるようになった。

 梅次郎は、芝の慶応義塾で学んでいた。いうまでもなく豊前中津(大分県)出身の福澤諭吉が創設した、後の慶應義塾大学の前身であるが、この当時はまだ福澤の私塾的な英学塾だった。とはいえ、英国の経済学、政治学を説く福澤に惹かれて、多くの秀英たちが集っていた。

 梅次郎は、善治郎にことあるごとに、福澤の講義のさわりを聞かせた。そのたびに善治郎は考えていた。
 自分を勉学の世界に向けてくれたのは中国の古典思想であった。しかし、これからの時代、海外にこそ目を向けなくてはならないのではないか。
 実際、下宿から二松学舎へ通う道すがらの「江戸」の町並みの中にも、新しい「東京」のまちが立ち上がろうとしていた。聞くと、慶応では太平洋を渡って新天地・亜米利加を目指す者も居るという。
 
 そうこうするうち、善治郎の心の中には、持ち前の好奇心と負けん気がむくむく湧き上がってくるのだった。「ようし、亜米利加をこの目で確かめてやろう。同じ旗をあげるなら、狭い日本から飛び出してやろうじゃないか」。

 そうと決めたら、実行に移すのが早いのも善治郎である。
 あっさり二松学舎を辞した。
 その頃は、いわば当時は第一次英語ブームの只中にあったといってもいだろう、善治郎のような「亜米利加に渡って一旗挙げよう」組の若者を相手にする英語塾が、雨後の筍のごとく市中に出来始めていた。
 善治郎は、そんな塾の一つ、築地の工藤英語学校に潜り込んだ。
 仏教の影響が強い信州生まれの善治郎だったが、「いざ亜米利加へ」の自らの意思に従い、こんどは神田の福音教会の会員にもなった(渡航を考える当時の青年は、皆善治郎と同じような行動をとったという)。そして宣教師のハリスから彼の地の情報を覚えたての英会話で聞き出しながら、「新世界」での青写真を夢想するようになっていった。
(この項、つづく)


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