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2008年8月12日(火曜日)
52日目 桜口の映画館、六甲映画劇場
2008年8月5日(火曜日)
51日目 ええとこええとこ六甲東映
2008年6月26日(木曜日)
50日目 日の出「と」もり家
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49日目 県営烏帽子団地
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48日目 大きな瓢箪の中で
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2008年8月12日(火曜日)

52日目 桜口の映画館、六甲映画劇場

カテゴリー: - naddist @ 14時30分14秒

前回のエントリー「六甲東映」に、多くの諸先輩方のコメントが寄せられた。
ありがとうございます。

灘区から最後の映画館が消えて4年がたった。
先日第4期が開講した灘大学
1回目の講座は「水道筋学」だったのだが、学生から当時の映画館のエピソード
に関する発言もいくつかあった。
灘クミンの中の映画館はまだ健在なのだ。

僕にとって映画館は不思議な施設だった。
そんなに頻繁に行かなくとも、映画館が我が街にあるだけで、
自分の住んでいる街に、毎日カタカタと音を立ててまわる映写機があるだけで、
なんとなく安心だった。
それは毎日乗らずとも、摩耶山や六甲山で黙々と動き続けているケーブルカーや
ロープウェーに対する感情に近い。
そういった安心感は、それらを動かし続けている街の力強さ、いや街の余力から
来るものだったのかもしれない。
今の灘区は、むんむんとむせるような街の力強さは影を潜めた。
新しい街になって一見活気があるような六甲道でもそう思う。
いや、もう街の余力にたよる時代ではない。
ケーブルカーを動かしたいのなら、映画館が欲しいのなら、灘クミン自ら企画し運営する。
きっとそんなフェーズに入って来たのだと思う。
「昔は良かったね」だけではあまりにも寂しすぎる。

さて、実は六甲道には六甲東映の他にもう一軒映画館があった。
大阪万博あたりまであったそうだが、これに関しては全く記憶がない。
場所は駅の南側、桜口交差点北、現在の灘区役所あたり。
ちょうど御旅所の南、三和銀行があった場所に「六甲映画劇場」があった。
昭和35年10月20日の神戸新聞朝刊に掲載された映画案内を見てみると、
このとき上映されていたのは
・白子屋駒子
・がめつい奴
・爆発娘罷り通る
東宝系の三本立て。
てことは、ゴジラとかもやっていたのだろうか?

S35.10.20神戸新聞朝刊映画案内
(S35.10.20神戸新聞朝刊映画案内)

またここは「火事のあった映画館」として記憶している灘クミンも多い。
「六甲映画劇場な、小林旭の映画見てたら火事になってなぁ」
という証言もある。
ん?小林旭ってその当時日活では?
どうやら封切館ではなく二番館、三番館だったようである。

とにかく、またまた諸先輩方の記憶にたよるしかない。
六甲映画劇場体験のある方。
またそのたたずまい等を覚えていらっしゃる方。
コメントよろしくお願いいたします。

六甲映画館跡

六甲映画劇場跡。現在はWeLv4番街1番館のビルがそびえる。
正面にあった八幡市場はパニエに。


2008年8月5日(火曜日)

51日目 ええとこええとこ六甲東映

カテゴリー: - naddist @ 09時30分32秒

先月7月26日に水道筋商店街で「水道筋アーケード劇場」というイベント
が開催された。
「スクリーンがあった街・水道筋」を真夏の夜に復活させる、もう今年で
5回目か6回目かの水道筋の夏の定番イベントだ。
今年もお手伝いをさせていただいたのだが、なかなかの好企画だと思う。
アーケードに設置された巨大な特設スクリーンに映る「アンパンマン」を
食い入るように見つめる子どもたちを見ていると、ふと子どもの頃を思い
出した。

今のような大画面TVもなく、まだ白黒TVも現役で、せいぜいキドカラー
やパナカラーの18型程度の、のぞき穴くらいの画面を「のぞいて」いた僕ら
にとっては映画館のスクリーンはあまりにも広大だった。
春休み、夏休み、冬休み前になると小学校前で、インチキくさい計算尺や
学研の勧誘、篠鉄砲売り、色付きひよこ売りなどに混じって「東映まんが
まつり」や「東宝チャンピオンまつり」などのいわゆる「まつり系映画」
の割引券が子どもたちに大量にばらまかれた。
それを握りしめて水道筋へ走った。
ゴジラ以外はほとんどTV番組を無理やり映画化したものだったが、それでも
大画面で見る仮面ライダーや、「ポニョ」の原型とも言われる宮崎アニメ
「パンダコパンダ」は迫力があった。
しかも「豪華6本立て!」みたいな、これでもかっ!て感じの怒濤のプログ
ラムだったのだが、母親が水道筋で買い物をしている間しか見ることができ
なかったので、たいてい半分くらいしか見ることができなかった記憶がある。

そして、高校生くらいでまた映画館通いが始まるのだが、そのころになると
8軒ほどあった水道筋の映画館もほとんどが閉館していたので、三宮方面の
阪急文化や新聞会館にあったスカイシネマ、三劇、ビッグ、アサヒ(うーん
これも全部閉館だ)などに行った。

で、灘区の映画館でも気になる映画館があった。
河原の「富士映劇」と、六甲道の「六甲東映」(やっと六甲道が出た)だった。
両方ともいわゆる「ピンク館」だったわけです。
当時の高校生的には美保純などのにっかつ系が人気だったので、独立系の富士や
六甲はどうしても敬遠され、なかなか足が向かなかった。
(正確にいうと、美保純はあまり見たくなかったのだが、当時その手の映画は
数名で見に行くのが常だったので、いつも多数決で負けたのだ)

でも、六甲道の北にあった映画館「六甲東映」は僕の17才の地図にもしっかり
プロットされたいた。
ヌーベル六甲の貸しレコード屋でレコードを借り、六甲道の南天荘書店まで
おりる途中、六甲本通商店街から少し西に入ったところにひっそりとたたずん
でいた六甲東映(正式名称は六甲宮前映画劇場)。
今のスーパードライな六甲道ではなく、まだ六甲道らしい翳りと湿り気が残っ
ていた通りだったと思う。
東映と名がつくが東映とは無縁で「東映まんがまつり」ではなく「団鬼六緊縛
まつり」や「谷ナオミ(SM女王)まつり」などがかかり、「ピンクのカーテン」
などのアイドルポルノに辟易していた高校生には魅力的な小屋だった。

がしかし、やはりハードルが高かった。
人目を気にしながら少し逡巡し、その場を立ち去るというのがいつものパターンだ。

と、ここまで延々と書いたが、結局この「六甲道の映画館」には入れずじまい
だったのである。
あとは諸先輩方の六甲東映体験コメントに期待したいと思います。
よろしくお願いいたします。

六甲東映跡

六甲東映跡。現在はマンションになっている。
周辺にも高層マンションが増えたが、アーケード手前のトタン屋根の家がかろうじて
昔の面影を残す。しかしもはや「六甲道の裏筋」の風情はない。


2008年6月26日(木曜日)

50日目 日の出「と」もり家

カテゴリー: - naddist @ 19時00分35秒

六甲道から南におり、阪神新在家にほど近いところにある灘区が誇るメガ食堂
「日の出もり家」。
昔なつかしのデパートの大食堂然とした店内風情と怒濤のメニュー群に圧倒
されたクミンも多いと思う。
寿司もあればうどんもある、そしてお好み焼き、そば焼、明石焼といった
鉄板焼きメニュー群。そして中華丼やラーメンまでも。
寿司と鉄板焼と中華丼ですぜ。
一見相反するメニュー群のダイナミックな並列、そして融合。

太陽神戸、三菱東京UFJ、石川島播磨、コニカミノルタ、阪急阪神HD、
ヒデとロザンナ、じゅんとネネ、へドバとダビデ、爆風スランプetc…
最近ではgoogleとyahoo!など世にあふれる合併モノ。
しかし灘区的に合併といえば、やはり「日の出もり家」である。
ご存知の方も多いと思うが、もともとここは「日の出食堂」と「もり家」
という別々の店が合併してできた店である。
「もり家」はもともと六甲道駅の東の高架下、現在TSUTAYAのある
あたりにあったお好み焼き店。
かなりの人気店だったようだが震災で閉店。
震災後、もともと今の場所でやっていたご親戚の「日の出食堂」と
バロムクロス的に合併して再出発したのが「日の出もり家」。
さしづめ「日の出もり家HD(ホールディングス)」ってとこか?
その際、日の出の定食系メニューともり家の鉄板系メニューの統廃合を
行わなかったので、おそらく今のような怒濤のメニュー構成になったかと。
ともかく灘的には「華麗なる一族」を超える合併。
いや「華麗なるメニュー」か。
あ、もちろんカレーもあります。

この店、メニューの豊富さに目を奪われがちだが、もちろんメシも美味い。
そのあたりに関しては世にゴマンといるグルメ系ブロガー(笑)の皆さんに
まかせるとして、やはり「永遠の六甲道」的には店内外の空気感を伝えたい。
今の六甲道で失われつつある空気感。
もう少し南の「ぐいぐい酒場樫本」に通じる居心地の良さ。
なんかこう、だだっ広いのにあったかい感じ。
広いと言ってもファミレスとは全く違う空気。

先代の「もり家」からののれん?
メガ店舗に不釣り合いな小さなのれん。
たまりません。

このイスから普通のイスに移行するのが大人への
第一歩だったかも。

なんだか神戸港っぽい船の絵。新港突堤あたりだろうか?
なんだかキングジョーが現れそうな静けさ。

そして、やっぱり一番ステキなのが大テーブル。
テーブル上にはマヨネーズ、ソース、そして生花に混じって焼酎の瓶などまで。
いい感じのカオス具合。

   

1つのテーブルを知らない人と共有するってのがいい。
つながってないんだけどつながってる雰囲気。
一人で行っても、みんながいるような一体感。
でも別に隣同士ベタベタするわけではなく、それぞれ勝手に飯を食ってる。
「ちんまりとしたカフェ」あるいは「だたっぴろいだけのファミレス」との違いは
この大テーブルの、つかず離れずの微妙な距離感がもたらすコモンスペース風情ではないかと。
そしてこのテーブルの状態こそが六甲道、いや灘区が目指すべき街の姿かもしれない…
大貝のそば焼で瓶ビールを飲りながら、ふとそんなことを考えてしまいました。


		

2008年6月9日(月曜日)

49日目 県営烏帽子団地

カテゴリー: - naddist @ 18時00分00秒

団地という言葉をすっかり聞かなくなった。
団地族、団地妻…高度経済成長期を代表する言葉だった団地。
システムキッチンやダストシュートなどの近未来ライフスタイルを
予感させる住宅設備は人々の羨望の的であったという。
団地は街でもある。
廊下はいわば立体路地であり、階段は子どもたちの格好の遊び場になった。
そこでの遊びは団地ルールなるローカルルールが存在し、それが団地外
に住む人間の目にはとても新鮮に映った。
敷地周辺や中庭には植栽が施されていた。
想定外に大きくなった樹木。
勝手に生える雑草。
鳥が運んでくる花の種。
住民たちが勝手に植えたのであろうネギなどの小野菜。
それらが渾然となって独特の庭世界が構築されていた。
いわゆる「団地ガーデン」である。
最近のマンションのような業者任せで画一的な、格好ばかりの
中庭などとは違ういきいきとした風景があった。

六甲道南の桜口交差点の西、烏帽子中学の北にあるレトロな小団地
「県営烏帽子団地」がついに解体された。
建設されたのは昭和36年。
まだ国道2号には阪神国道電車がガタゴトと走り、八幡電停近くには
六甲映画館があった時代である。
震災も乗り越え間もなく四半世紀を迎えようとしていた烏帽子団地は
界隈でも独特の存在感を誇った。
2号線の排気ガスで黒くすすけたファサードはこの地で生きてきた
古老の肌のようであり、陰影のある階段室は、街に何かを語りかける口
のようであり、ひさしのついた窓はこの街を眺め続ける憂いのある瞳の
ように見えた。
モダンなライフスタイルを指向した現代建築が年を経て、有機的な表情を
見せているのは皮肉なものである。

少しでも2号線との緩衝にと作られたのであろうか、ささやかな植込みが
設けられ、いろんな植物がいろんな風に育ち建物と一体化していた。
落ち葉の掃除が面倒くさいからと街路樹がバシバシと切られている
国道2号沿道では貴重な緑の景であり、鎮守の森とまではいかないが
摩耶や六甲の緑に呼応する「街の緑」であったと思う。

建物の表情の経年変化や緑の風情を見ていると、この団地自らが
意思を持ちこの街にとけ込もうとしているように思えてならなかった。
はす向かいにある、いつまでもピカピカで自己主張の強すぎる
WeLvのファサードやイタリア広場とは対照的な態度である。

県営烏帽子団地がなくなって六甲道の「しわ」がまた一つなくなった。
果たして六甲道に林立する集合住宅群は50年後どうなっているだろうか。
県営烏帽子団地のようにいい年の取り方ができるであろうか。

残念なことがもう一つある。
烏帽子団地には毎年、春にきれいな桜が咲き
住民だけでなく国道のドライバーの目も楽しませてくれた。
桜がなくなった桜口では唯一の桜だったが、もう見ることはできない。
できれば養生されてこの地に戻ってきてくれることを願うばかりである。


(撮影:2007年4月)


2008年5月9日(金曜日)

48日目 大きな瓢箪の中で

カテゴリー: - naddist @ 13時00分50秒

最近すっかり大バコ居酒屋にいかなくなってしまいました。
なんせ、あのワイワイガヤガヤとした音圧が耐えられない。

酔っぱらうにしたがってヒートアップするグループ客の嬌声。
「ここだけの話やで!…って…ねんて〜!」
「え〜?何て?聞こえへん!」
うるさくて成立しない会話。

心臓に悪い爆笑。
「ドハッハッハッハ〜〜!!」
ユニゾンする爆発音のような笑い声。

傍若無人な拍手。
「では3本締めで!ヨォ〜ッ!」
頼むから、せめて1本締めにしてよ。

すっかり生きる気力を吸い取られてしまうわけです。
もうね。疲れるんですよ。こういう場所。

同じ大バコのうるささでも「心地よいうるささ」というのもあります。
先日大バコとしての使命を終えた六甲道を南に下った「ぐいぐい酒場樫本」は
まさにそういうハコでした。
心地よいざわめきというか、身を委ねていてもそんなにいやじゃない喧騒、
バラバラでありつつグルーブ感のあるノイズ。

そして「許せるうるささ」というのもあります。
六甲道のネイティブ系大バコ「ふくべ」。
八幡線沿いの本店は昭和33年の開店なので六甲道で50年の老舗。
唯一「うるさくてもいい」いや「ずっとうるさくあって欲しい」
と思える大バコです。

   

逆にここで静かに飲めたら六甲道もいよいよ終わりではないかと思うわけです。
半世紀の「六甲道宴会DNA」が、この空間には凝縮されています。
新歓コンパ、忘年会に新年会、歓送迎会に同窓会。
さまざまな悲喜こもごものドラマが繰り広げられてきた大バコ。
それは六甲道の歴史でもあります。

典型的なふくべ宴会の図です。

いい風景です。
1グループなのに、それぞれがバラバラに盛り上がっています。
なにかこう、画面のそこここに小さな物語がありそうな。
そう、ここは街なのです。
爆笑、嗚咽、沈黙、酩酊
策略、謀略、脱線、沈没
目の前の八幡線は拡幅されようと、ここでは変わらない情景が
繰り広げられています。

「ふくべ」というのは瓢箪の別名だそうです。
瓢箪から飛び出す、まさにめくるめくという表現がぴったりのメニュー群と
心地よい「うるささ」に包まれ、今宵も「永遠の六甲道な」夜が更けていきます。


2008年2月25日(月曜日)

47日目 愛すべき喫茶店

カテゴリー: - naddist @ 18時00分26秒

「街の待ち話」3話目は喫茶店です。
街の「待ちスポット」といえば、やはり喫茶店を忘れるわけにはいきません。
あ、壁が白かったり、スタイリッシュなソファがあったり、ボサノバが
流れているような「カフェ」じゃないですよ。
もちろん1時間なんぼの「マン喫」でもありません。
純喫茶です、純喫茶。
有線が流れてて、珈琲1杯で何時間も粘れる。
ひまつぶしにテーブルの上にある卓上おみくじ機をひいてみたり、
永遠に水を飲み続ける「平和鳥」をぼんやり眺めたりできた店。

でも、なんか数が減ったような気がしませんかね?
六甲道の喫茶店。

北口:アイン、ブリンカップ、ひとみ、オルフェ、パーム、ホープ…
南口:ヒスイ、シャネル、ジュネ、ホリデー、わが町、ひで乃、山麓…
昭和49年ころに六甲道駅周辺にあった喫茶店名です。
今残っているのは「わが町」くらいでしょうか?

以前紹介した「傾いた喫茶店」のマスター曰く
「最近は『喫茶』のお客さんがすっかり減った」
とのこと。なぜなら
「やっぱり携帯電話やね。どこかでじっと『待っている』必要がなくなったしね」
携帯電話がこの街から「待ち」を奪い去ったというわけです。
「あと、商談客がほとんどいなくなったな」
これもやはり、携帯電話やメールが普及したせいでしょうか。

「それと…学生が全然来なくなった」
六甲道〜六甲界隈は曲がりなりにも学生街。
学生たちは「街」にいたわけです。
「フォークのギターをひいて時の流れを見つめてる」マスターがいる
喫茶店(注1)で「訳もなくお茶を飲み話した」り(注2)、
「ぼくの街でもう一度だけ熱いコーヒー飲みませんか」(注3)
なんてこと言ってたわけです。

『神戸青春街図』(プレイガイドジャーナル編著 1977)
『神戸青春街図』(プレイガイドジャーナル編著 1977)

誰かを待ったり、あいた時間をぼんやりと道行く人を眺めながら過ごす。
そんなゆったりとした時間が街や人を熟成させる「麹菌」のような役割を担って
いたのかもしれません。

そして今の六甲道。
駅前のセルフ系コーヒーショップチェーンで、携帯電話を覗き込みながら、
せっかちにメールチェックする人たち。
いつも前傾姿勢。前のめりの街。待てない街。
新しい街に生まれ変わった六甲道ですが、今後、街として熟成していくのに
必要なものは、かつての喫茶店にあった「麹菌のような時間」ではないかと
思う今日このごろであります。

注1)『コーヒーショップで』:あべ静江
注2)『学生街の喫茶店』:ガロ
注3)『私鉄沿線』:野口五郎

[参考]少し懐かしい六甲道界隈の喫茶店の点描
[naddist001110-72]喫茶Lの常連のひとびと【さら灘05】


2008年2月15日(金曜日)

46日目 幸せな渋滞

カテゴリー: - naddist @ 10時30分39秒

前回に続きまして「開かずの踏切」です。
今回は渋滞中の様子。
おそらく現在のフォレスタ北東角あたりから南側を眺めた画です。
バスだらけ。なかなか壮観です。
当時はまだ六甲道駅南北とも駅前ロータリーがなかったので、乗り降りの際も
道路を占有していたのではないかと思われます。
当時の八幡線は両側にびっしりと店舗や住宅が並んでいました。
軒先で延々自動車に排気ガスを浴びせられるのですから沿道の皆さんは
さぞ大変だったことでしょう。
今は無き「外大前行」のバスも走っていた頃。
17系統でしたっけ?
そう、灘区に市立神戸外国語大学があった頃です。
「ガイダイ」という音の響きに不思議なカッコ良さを感じたものです。

開かずの踏切(S46年11月)

ともかく渋滞です。
渋滞は通常、ネガティブな事象としてとらえられます。
できれば排除したい。
人間として当たり前の欲求であります。
だから国鉄(JR)は高架になり、開かずの踏切は解消されたのでしょう。
でも当時は待てたのですね。今の灘クミンには無理かもしれませんがね。

開かずの踏切がなくなって俄然六甲道周辺は便利になりました。
と同時に六甲道周辺にただよっていた「澱み」もなくなったような気もします。
もちろん地元としては悲願だったと思いますが。
その後ご存知のように六甲道は神戸の東の副都心としてまつり上げられて行きます。
自分の意のままにならないものを「待つ」ことができない人々によって、より「便利」に、
より「都合良く」せっかちにつくられていく街。
「まちづくり」などという麗句に隠された不遜な態度が街をつまらなくしていくような
気がしてなりません。

開かずの踏切渋滞が解消された今、六甲道の少し南の国道43号あたりで
ちょこちょこと小渋滞が起きています。
旧ブリコ跡にできた某スーパーの駐車場へ入る車の渋滞です。
わずらわしくなく、待たずに買い物ができる便利なはずのスーパーで起こっている
皮肉な「待ち」の風景です。

写真:『灘のうつりかわり』(灘区勢振興会)より


2008年1月28日(月曜日)

45日目 待ちのある街

カテゴリー: - naddist @ 15時30分44秒

現代は「待てない」時代だそうです。
なんでもかんでも手っ取り早くすませたい。
待たされるとキレたりする。

六甲道名物「開かずの踏切」がなくなって35年ほど経ちました。
その名の通り、人も車も延々待たされた踏切。
JRが高架化されてなくなって便利になったわけです。

開かずの踏切(S46年ころ)

「でもな、開かずの踏切、ええこともあってんで」
と六甲道暦50余年のクミン。
「踏切が閉まっとうあいだ、好きな子とな、しゃべれるねん」
つまりですね。
淡い恋心を寄せていた女の子と過ごす踏切待ちの時間が楽しみだったらしいのですね。
声をかけて呼び止めるわけでもなく、自然と隣同士になれる。
お互い前を向いているので視線が交錯しない。
などの「踏切効果」により、自然なコミュニケーションが生まれる場であった
というわけです。

で、この踏切、なかなか開かない。
メトロノームのようにリズムを刻む警報機にシンクロする胸の鼓動。
貨物列車がガタンゴトンゆっくり通り過ぎるのを待ちながら、ドキドキしながら
延々待つわけですね。
つまり延々しゃべり続けるわけです。
下手したら20分くらい。
「俺は踏切で会話テクを磨いたんや」
街のネガティブな面を逆に利用して自らをスキルアップさせる。
不便なものをあるがままに受け入れ、ポジティブに反転していく。
これぞ街達人です。
街で暮らす、学んでいくとはこういうことなんだろうなと。
その後も彼の「踏切トーク」は途切れることなく延々1時間続きました。
これでは、踏切で話しかけられた彼女も大変だったでしょう。

待つことによって熟成されること。
待てた街。
街には「待ち」の要素がなければきっと熟成しない。
「春を待つ」ライブハウスや踏切が消えた六甲道を便利さのみが優先される
コクのない街にしないためには「待ち」が必要かと。
え?
みんな回転寿司屋の前で待ってるって?携帯メールしながら?
そこに「開かずの踏切待ち」のような豊かな時間はあるんですかね?

写真:『灘のうつりかわり』(灘区勢振興会)より


2008年1月18日(金曜日)

44日目 950118桜口

カテゴリー: - naddist @ 08時30分17秒

震災翌日の1995年1月18日の22:30。
当時住んでいた東京から持てるだけの救援物資を背負い込み、西宮北口から
歩くこと4時間。実家へ向かう道すがら、私は桜口の交差点にいました。
西宮、芦屋、そして神戸市内に入っても東灘区あたりではまるで人ごとのように
歩いていた身体に変化が表れたのは、石屋川を越えて桜口にさしかかるころ。
猛烈に涙が止まらない。
普通、涙がでるときは感情が伴うはずなのですが、不思議なことに悲しいとか、
悔しいとか、つらいとかまったく感じなかったように思います。
むしろ目にゴミが入って涙が止まらなくなるような、そんな感じに近かった
かもしれません。

1995 桜口

十数年振りに訪れた桜口交差点周辺には、漆黒の闇の中につんのめった亀の
ような「コトブキ」と、波に打ち上げられた鯨のような「八幡市場」が横た
わっていました。
それまで無機的であった灘区という街が、1つの大きな生命体に見えた瞬間
でもありました。奇しくも震災よって、今まで気づかなかった街の生命に
気づかされたのかもしれません。
その生命が目の前で息も絶え絶えに横たわっている。
建物一つ一つ、信号機1本、店の看板1つ、路傍の1握りの土塊まで愛おしい。
六甲道で生まれ育ったわけではないのになぜか狂おしく愛おしい。
メルマガ「naddist」や「ナダタマ」開設の原点となる風景が桜口にあった
といっても過言ではありません。

今、巨大な六甲道南公園で遊ぶ子どもたちは震災を知らないだろうし、その
両親もこの街がどういう街だったか気にも留めていないように見えます。
この新しい街が、どういう街の上にできあがっているかをこの「永遠の六甲道」
で少しでも伝えられればいいなと。
ただし、単なるノスタルジックブログにはしたくないと思っています。
「懐かしいね」「昔は良かったね」では、震災前の六甲道が浮かばれないし、
今この街で暮らす新クミンの皆さんに対しても失礼です。
新しくて巨大で無機的な六甲道が「建物一つ一つ、信号機1本、店の看板1つ、
路傍の1握りの土塊まで愛おしい有機的な生命体」になりうるかどうかを
過去を参照しながら見いだし、見極め、伝えていくのが「永遠の六甲道」の
テーマだと思っています。

今年もおつきあいの程、よろしくお願いいたします。

震災によってこの街でなくなられた方のご冥福をお祈りいたします。
                                 合掌

(写真:『ウェルブ竣工記念誌 We love We Live』より)


2007年12月13日(木曜日)

43日目 傾いた喫茶店物語(3)

カテゴリー: - naddist @ 12時45分00秒

(前回までのお話はこちら→「42日目 傾いた喫茶店物語(2)」

「傾いた家」の真骨頂は、やはり内部空間です。
そして2階がこそが、もっとも傾きを感じることのできる空間。
現在2階はパーティスペースとして使用されています。
では禁断の2階へとご案内しましょう。
まずはらせん階段で軽く三半規管がかく乱されます。
なんとなくクラッとくる感じ。
忘年会に参加した入社2年目のOLが
「なんか私酔っちゃったみたい」
くらいのほろ酔い気分のクラッとくる感じ。

2階への階段

上のフロアに上がります。
いきなり壁のレンガが傾いています。
壁どころか、柱も、窓も。
そしてテーブル面とイタリー製のアンティークなランプと、
窓の外の六甲模型だけが水平垂直を保っています。
これでかなりグラっときます。
忘年会に参加した入社12年目のOLに酔った勢いで
「私…部長の事…前から好きだったんです…」
って告白されたぐらいグラっとくる感じ。
なんとなく足元もおぼつかなくなって、ノンアルコールで千鳥足気分が
楽しめます。

傾いた壁

そのうち料理が下階から運ばれてくるわけです。
自慢のデミグラスソースがたっぷりかかった名物のロールキャベツ、
定番のグルドチキンなどレストランスタイルのおいしいパーティ
料理に混じって、とある料理が運ばれてきました。
その料理がさらに来店者の心をグラグラと、いやグラングランと
揺さぶり、ついに傾き過ぎた既成概念が臨界点に達して
音をたてて崩れていきます。

エビのペパーミントマヨ和え

「エビのペパーミントジンマヨネーズ和え」
もうドキドキするほどありえない色なわけです。
もうバクバクするほど意外な味なわけです。
忘年会に参加した入社22年目のOLが泥酔した勢いで
2次会のカラオケボックスでレベッカのNOKKOになりきって
ヘッドバンギングしながら熱唱するくらい、頭の中がグラン
グランするわけです。

もうこの時点で、かなりの浮遊感。
顔が自然とヘラヘラしてきます。
そしていよいよとどめ。
「傾いたグラス」の登場です。

傾いたグラス

入社32年目の海千山千のOLもおそらくこれで折れちゃうはずです。
微妙に壁の傾きと角度が違うところが、かなりクラクラきます。
傾いているというより、ゆがんで見えるのですよ。グラスが。
肉眼なのに魚眼レンズで世の中を見ている感じというか、
水の中にいるような世界の歪み具合によって「この世にいながらあの世感」
を体感することができます。
水平であるべきものが水平でない。
垂直であるべきものが垂直でない。
赤いはずのエビが赤くない。
人間はなんて危うい存在基盤の上で生かされているのだろう。
ああ、なんて僕はちっぽけな存在なんだろう。
ひょっとしたら、翌日から六甲道の駅前で相田みつお風の詩を書いて
売り始める人もいるかもしれません。
「水平じゃなくても、美しいんだね。 よしを」
「赤くても、青くても、黄色でも、エビなんだね。 かずを」
「傾いているって、生きていくってことなんだね。 たかを」

この傾いたグラスもあの忌わしい震災によって多くが割れてしまいました。
「特注やからね、割れたらおわりやねん」

割れたら終わりやねん…

灘区にはこんなことわざがあります。
「いつまでもあると思うな ハイジよさこい
ここには確かに「六甲道」が残っています。
でも、それが永遠であるか誰にも分からないのです。


普段は使えない2階スペースですが、忘年会、新年会などのパーティスペース
として利用することができます。
また、毎年クリスマス期間のみこの「傾いた2階」でクリスマスディナーを
楽しむことができます。
(12/22.23.24.25 クリスマスミニコース1850円〜)
「アレ」の2007年度版も出来てマス(12/12〜売り切れ次第終了)

※傾いたグラスは貴重品なので、通常は使用されません
 今回は特別に出していただきました。


2007年12月6日(木曜日)

42日目 傾いた喫茶店物語(2)

カテゴリー: - naddist @ 13時00分26秒

(前回までのお話はこちら→「41日目 傾いた喫茶店物語(1)」

今から37年前、ちょうど高度経済成長の仕上げイベント、
日本万博博覧会が開かれた時代に「傾いた家」は「喫茶ミニ」
として鮮烈な灘デビューを果たします。
店というよりパビリオン的な気配がそこはかとなく漂うのは、
やはりその時代の空気だったのでしょうか。
とにかくワクワクする建物であったことは確かです。
確かにキワモノかもしれない。
街の文脈を無視したKYなデザインかもしれない。
でもなにかこう、愛嬌がある。そして哀愁もある。
ぎゅっと胸に抱きしめたくなる。
同じ山手幹線沿いでも東灘区では成立しない、危うさをたたえた
その灘的なたたずまいに心が打たれるのです。
イタリアのデザイナーによってデザインされた桜口のイタリア広場にある
冷たい表情の「傾いたオブジェ」と比べていただきたい。
傾いたオブジェはこちらが本家なのです。

やがて当時の店長(ママ)の甥っ子さんが店を手伝い始めます。
それが現在のレードルのマスターです。
大学を卒業後フランス料理を勉強した彼は、やがて喫茶メニューを
超えた本格的料理を繰り出し始めます。
そして店名は「ラグタイム」に。

「でもこんな建物やろ。みんな『ラブタイム』言いよんねん。
 ラブホテルと間違えてるねんな。『ラグタイム』やっちゅうねん」

笑いながら当時を振り返るマスター。
ド派手な外観、いかにもな城郭風のデザイン。
確かに「ラブ」と呼びたくなる気持ちもわからないでもありません。
なんと昭和62年の住宅地図までも『ラブタイム』表記になっている始末。

「当時はエスカルゴとかも出しててん。
 そんなんこの辺で食べられる店なかったで」

前回の記事にいただいたコメントのように当時は「小エビのコキール」など
フレンチなメニューが並んでいたとのこと。
傾いた家でエスカルゴ。
どピンクな店でエスカルゴ。
「ラブ」タイムでエスカルゴ。
誰が想像できましょうか。
しかし、その魂は現在のメニューに息づいています。

当時は2階の客席も稼働しており、傾いた窓からは六甲模型、そして遠く
六甲の山並みも望めました。

2階の窓からの景色

現在は右端の窓が潰され、バックヤードになっています。

潰された西の窓

客席にはアンティークなランプシェード。

イタリア製のランプシェード

「イタリア製やねん。でも震災で壊れてもた」
壊れたものは照明器具だけではありませんでした。
                              (つづく)


2007年11月24日(土曜日)

41日目 傾いた喫茶店物語(1)

カテゴリー: - naddist @ 16時50分25秒

1月ほど更新が滞っておりましたが、シレっと復活します。
今回は六甲道から少し東へ歩きます。
旧常磐木電停前の「傾いた喫茶店」といえば灘クミンのみならず
印象に残っている方もかなりいらっしゃるかと思います。
ビジュアル面のみが語られることが多いこの店ですが、実はフードも旨い。
というか、喫茶店ではなくレストランといった方が正しいかもしれない。
知る人ぞ知るカレーの名店であることはメルマガnaddistでも何回か
紹介してきました。そのお話はまた後日。

さてこの傾いた喫茶店ですが、もちろん店名ではありません。
現在の正式な店名は「レードル」。
その前は「喫茶ミニ」、それともう一つ「ラブタイム」。
それぞれの時代にそれぞれの屋号がありました。

傾いた喫茶店(S50頃)

傾いた喫茶店(H19)

上が昭和50年代の傾いた喫茶店前の風景です。
年代的には前回の「デコ車パレード」と同時期かと思います。
下が同位置の現在(平成19年)の様子です。
獅子舞が出ていますが、おそらく六甲ファミリーまつりのパレードかと思われます。
それはさておき、傾いた喫茶店の外観にご注目ください。
灘クミンの度肝を抜いたといわれるドピンク。
いわゆる「灘の伝統色」でいう「常磐木ピンク」です。
悲しいほど美しい色です。
なんか遊郭ぽいというか、こう儚さを感じます。
そして窓枠が白。
リカちゃんハウスでもここまではしないだろう配色。
この外壁の色は名前と同様に変遷があります。
現在のレードルのご主人によると、元々はブルーだったそうです。
さらに目立つように(傾いている時点で目立っていると思うのですが)
この常磐木ピンクに塗り替えられ、やはり派手すぎるということで白に塗り
替えられ現在は元々のブルーに戻ってきたということです。
この当時の店名は「ミニ」。
特筆すべきは中央に「お持ち帰り用専用スタンド窓口」があること。
当時はテイクアウトもできたそうです。

この窓口、なんか気になりませんか?
受け渡しカウンターが明らかに傾いてるでしょ?
これ、機能したんですかね?
もちろん「傾いた喫茶店」というコンセプトはわかるんですよ。
でもこのカウンターは水平の方が使いやすいのではないかと思うわけです。
コーヒーとか、絶対向かって右にすべっていくと思うのです。
きっと何杯かのコーヒーが無駄になったことでしょう。
そのせいかどうかは定かではありませんが、現在この部分は
はめ殺し窓になっています。

お隣はお好み焼き屋さん。
現在は「たけうち」ですが、当時は「ろく大」という屋号です。
なんでも「たけうち」さんのご親戚が経営されていたとか。
ここの風情もほぼそのままですね。
六甲道近辺では貴重な風景です。
写真には写っていませんが手前には餃子で有名な「かっぱ天国」があったかと。

地蔵市場がなくなろうと、WeLvがニョキニョキできようと、この小さな
喫茶店はこの地の歴史を見守り続けてきました。
そういえばなんとなくディズニーの「小さな家」に似ていませんか?
クラブミレーがなくなり、ハイジがなくなり山手幹線沿いの味のある(クセのある)
建物が失われつつあります。

傾いた店…。
もう灘的には「ナダの斜塔」と呼べるほどの史跡ではないかと。
いつまでも「傾いていて」欲しい建物です。


2007年10月28日(日曜日)

40日目 デコ車パレード[カラー]

カテゴリー: - naddist @ 08時00分34秒

ナダタマのノスタルジックブログ「永遠の六甲道」も開設からちょうど
1年経ちました。
お楽しみいただいていますでしょうか?
もうそろそろ飽きられたころではないかと存じます。
飽きましたよね?ね?
飽きたっていってください!!(笑)
というのも、そろそろ手持ちの六甲道レトロ写真が尽きるのでございまして、
文章だけで懐かしの六甲道を延々語れるほどネイティブではございませんので、
つらいところなのです。ハイ。
ひきつづき懐かし写真の投稿をお待ちしておりますので。
よろしくお願いいたします。

毎回白黒の写真ばっかりで相当眠くなってきたと思われますので、
今回はカラーにします。ええ、目の覚めるような総天然色ですとも。
昔の新聞の番組欄、カラーの番組には「カラー」って表示されていました。
それにならって今回のタイトルにも「カラー」表示を入れてみました。
256色以上のカラー表示でお楽しみください。

メイン六甲B棟前(S51)

昭和51年の六甲ファミリーまつりの「パレード」の様子です。
メイン六甲B棟(現在ウェルブ1番街)の前の道。
昔は六甲ファミリーまつり、つまり神戸まつりの灘区版では
車のパレードってのをやっていました。
これ、ほとんど区民の自家用車。
それを自分たちで飾り付けて「花自家用車」にしているわけです。
非常に楽しそうですね。
神戸は花電車の伝統があるので、こういうの好きなんでしょう。
手前からセドリックorグロリア、旧カローラバン、新カローラ、その後ろは
サニーでしょうか?さらにその後ろにはコスモAPも見えます。
旧車マニア垂涎の画像かと。

建物に目をやると2階に「森田塾」の文字が踊ります。
その奥に広大な「南天荘書店」が。
さらに奥には37日目で紹介した「日本生命ビル」の突き出し看板が見えます。
1階にはおそらくミヨハラ電器、山崎理容室、六甲そばらしきのぼりもチラリと。

それにしても最近はパレードもあまりしなくなりました。
桜まつりで灘クミン総出で桜の造花でチャリ、車をデコレーションして
区内を走りまくるってのはどうですかね?
「灘区では桜が走るらしい」
ある意味新鮮でバカっぽくて、きっとルミナリエを越えるかもしれません。

ウエルブ1番街

[写真]なだだなVol.15(灘区民まちづくり会議編)より


2007年10月21日(日曜日)

39日目 丸安百貨店

カテゴリー: - naddist @ 08時00分32秒

開かずの踏切南西(S40年代)

昭和40年代、前回紹介した「マルヤマ百貨店」の斜向かいに
実はもう一軒百貨店がありました。
こちらは「丸安百貨店」。
系列店なのかライバルなのか全くわかりませんが
非常に微妙なネーミングです。
なんせマルヤ…までいっしょなんですから。
カタカナで書いたら
・マルヤマ
・マルヤス
字形まで似てますね。
マをちょこっといじればスになるし、
スをひょいといいじればマになるし。
なんか「HONDA」のバチもんの自動車メーカー「HONGDA」を
想像させてくれます。
すいません。
そんなものと比べたら怒られますね。
ほんとすいません。

この「丸安百貨店」なんですが、確か水道筋5丁目にもあったはず。
今のマルハチの場所というか、ニッショーのあった場所というか、
中央劇場のあった場所あたりというか、なんかその辺にありません
でしたかね?
いや、ありましたよ。たぶん。
丸安百貨店をよくご存知な方、是非ともご教示いただければと。

で、その百貨店の南には「カルピス」の看板。
店頭にはスイカのようなものが見えますが。
その隣「ニッカスタンド7」
この店は「ニッカスタンド」なのか、それとも
ニッカの宣伝看板に書かれた「スタンド7」なのか。
どっちなんでしょうか?
まどっちでもいいですが。
その隣が「千代田美容室」。
看板建築なのですが、屋根裏部分がちょこっと三角になって
いるところなんてチャーミングです。そそられます。
その隣が「六甲『道』勤労市民センター」でご紹介した「スタンドリオ」
ということで、この手前の角が「六甲センター」の入り口です。
そして丸安百貨店の向こうが有名な「開かずの踏切」がかすかに見えます。
やっぱり遮断機は下りています。

現在、この一角はメイン六甲A棟とJRの高架になってしまったわけです。

開かずの踏切南西(H17)


【六甲道お宝写真募集】
「永遠の六甲道」では、六甲道周辺の古い風景が写っている
写真を探しております。
どんな些細な写真でも結構ですし年代も不問ですので、もしご提供
いただけるようでしたら、info@nadatama.com「永遠の六甲道係」
までご一報くださいませ。
ご協力の程よろしくお願いいたします。


2007年10月7日(日曜日)

38日目 マルヤマ百貨店

カテゴリー: - naddist @ 10時30分37秒

そろそろ六甲道の古い写真も尽きてきて、いよいよ
秋風が吹き始めた「永遠の六甲道」です。こんにちは。
最後の最後まで皆様からの画像提供お待ちしておりますw

マルヤマ百貨店(S40年代)

前回紹介した日生ビルの北から南を見ます。
コメントをいただいていた「ナントカ百貨店」こと
「マルヤマ百貨店」です。
「ジェイモール六甲道」、いや「チャオ六甲道」ができる以前としては
相当大きな商店だったのでしょうね。
今となっては買い物したことすら全く覚えてませんが。

店の前にはバス停があります。
停留所名は「国鉄六甲道」
北口、南口ともバスが入れるような余地はなかったので
この位置に設置されたわけです。
このバス停のサイン、今でもたまーに見かけますね。
大事にしてくださいな。交通局さん。

電柱がごっつい。
鉄骨でしっかりくみ上げられてポートタワーチックです。
なんだかゴジラに蹴飛ばされて、ビシビシッっと火花が出そうな
無骨だけど力強いデザイン。
「電気送ってます!いや送りまくってますっ!!」
ってメッセージが伝わるデザイン。
今はどんどんインフラが見えなくなってきていますが、
見えた方が「街に人が生きている感」があるような気が
しないでもない。
つーか、こんだけインフラがないと現代人は生活できない
ってことがビジュアルでわかっていいような気がします。
なんでも隠す最近の傾向はあとでとばっちりがくるような。
「電線の近くで凧揚げはしないでください」という
関電のスポットCMもめっきり少なくなって
少し寂しい今日このごろです。

あ、それは凧揚げをしなくなったからか。

マルヤマ百貨店付近(H17)
現在の同位置写真


【六甲道お宝写真募集】
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写真を探しております。
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いただけるようでしたら、info@nadatama.com「永遠の六甲道係」
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2007年9月27日(木曜日)

37日目 小股の切れ上がった八幡線

カテゴリー: - naddist @ 15時00分44秒

六甲センターの少し南に下がります。現在のウエルブ2番街のあたりにあった
日本生命ビルが確認できます。

八幡線(S40年代)

↓このあたりをBGMにしながらご覧くださいw
「日生のおばちゃん」デュークエイセス

メルマガnaddist「愛と幻想のナディズム」の舞台としても描かれた、
八幡線の風景です。
街灯がお洒落ですね。
もう少し南に下がれば巨人にいた土井正三選手の実家があったかと。
道の先では国鉄の高架工事中。
開かずの踏切も健在です。
その先には六甲連山。
建物が低いので山がよく見えます。
そして今となっては懐かしい道幅。
今の八幡線は広すぎて「ズボズボ感」が強いですが
この頃は「小股が切れ上がった感」があって凛としています。
歩道がなかったんですよね。
つか、歩道白線だし。

ここを鶴甲、阪神御影行きや外大前行きのバスがガンガン行き交って
いたわけです。結構危ないし交通量が多いのでよく渋滞。
バスで六甲道駅方面に行くときは、手前の桜口のバス停で降りて
歩いた方が速かったりしたりして。
私にとっての八幡線の思い出はこの
「渋滞する市バスの排気ガスの香りと土ぼこりの香り」です。
もう、思いっきり深呼吸したくなるわけです。
で、結局喘息になっちゃいましたけど。
それに比べて今の自動車の排気ガス、あまり臭いません。
なんか楽しい香りつけりゃいいのにね。
排気ガスで思い出しましたけど「光化学スモッグ」もすっかり
なくなっちまいました。
「宇宙人が発する毒ガス兵器」ぽくてワクワクしたもの
ですがね。

公害はよろしくないですが、無味無臭の街はつまんない。
新しい六甲道も早く香りがついて欲しいものです。

八幡線(H17)
現在の同位置写真

[写真]なだだなVol.16(灘区民まちづくり会議編)より


2007年9月20日(木曜日)

36日目 六甲『道勤労市民』センター

カテゴリー: - naddist @ 15時20分50秒

前回の六甲道駅南口を少し東から見てみます。
つきあたりに見えるのが六甲道駅南口駅舎。

六甲センター(S40年代)

「六甲センター」のアーチサインがステキです。
「六甲道センター」ではなくなぜ「六甲センター」なのか
ということは置いといて、手前の角に見えるのが「スタンドリオ」。
ま、立ち呑み屋なんでしょうかね。
今六甲道は立ち飲み屋全盛ですが、なにかそのルーツを
見るよう。
懐かしい「世界長」の宣伝看板。
震災で廃業しましたが、ブランド名はどうやら西郷の沢の鶴に
引き継がれているようです。
そういや三宮にもでっかいネオンサインがありましたか。
福徳長の宣伝看板には「きよ」という店名が見えます。

で、「六甲水族館」。
ま、六甲道にも水族館があったわけです。
もちろん熱帯魚屋さんですが、熱帯魚店といわずに
水族館と言い切るセンスは悪くありませんね。
ちなみに水道筋にあったのは「アマゾン水族館」
「アマゾン」の「水族館」。
ネーミングとしてはかなりイケてます。

メイン六甲A棟

この一角は再開発でメイン六甲A棟になりました。
「六甲センター」は「道勤労市民」が挿入され
「六甲『道勤労市民』センター」になりました。
まるで、つのだ☆ひろの「☆」のようです。
とにかく亡霊のように「六甲センター」の名前が残ったわけです。
もちろん再開発の事業者によって意図されたわけでも、
住民からの要望があったわけでもおそらくなく、
ほとんど誰も気づかないわけですが、こういうのを見つけるとナダタマ的には
「ムヒヒ」とほくそ笑んでしまうわけであります。(ムヒヒ)

[写真]なだだなVol.16(灘区民まちづくり会議編)より


2007年9月8日(土曜日)

35日目 六甲道南口S40’S

カテゴリー: - naddist @ 12時51分27秒

また六甲道駅の方に帰ってきました。
昭和40年代、高架化前の駅南口です。
現在の状況とはかけはなれたのどかさ。
南口は摂津本山型の和風駅舎。
誇らしげな正面破風は純和風ですが腰板まわりにはタイルらしきもの
を巻いていますね。
なにげない和洋折衷、お洒落です。

六甲道駅南口(S40年代)

クラシックな郵便ポストも秀逸ですが、
なんといっても車が泣かせますね。
手前に「Nコロ」ことホンダN360。
向こうはタクシーでしょうか、懐かしいセドッリックです。
そこから急いでおりるのはノースリーブの黒っぽいワンピースの女性
ともう一人。
パーティでしょうか?
はたまた仕事に遅れそうなのでしょうか?
その奥の店ののれんには「○○本店」と書かれています。
なんだったけな?この店。
店の前には、そう出前用のいかつい自転車。
この道の手前にはメイン六甲A棟に移った「東天会館」があったかと。

ま、とにかくこの写真の中に「物語」を感じませんか?
なんかこう、人と街がしっくりいっている感じ。
人と建物が対等な感じ。
ごちゃごちゃしているけど凛とした美しさがある。
で、現在の同位置写真です。

六甲道駅南口(現在)

なんかこう「物語」が見えにくい駅前風景です。
もうこちらの風景の方が馴染んでいるはずなのに、
いつまでたってもしっくりこない。
きれいに計画されたように見えますが実は人と建物がバラバラ。
駅って街の玄関でしょ?
だいたい人の住む街に向かって排気口をずらりとならべるセンスが
わかりませんねぇ。
新しい灘駅もこうなっちゃうんですかね?


2007年8月28日(火曜日)

34日目 高羽幹線S30

カテゴリー: - naddist @ 11時30分19秒

「永遠の六甲道」が「永遠の灘公設市場」になりそうなので、
少し六甲道方面に話を戻しますね。
…といっても、少し東に行き過ぎかもしれませんが。

高羽幹線(H30年代)""

昭和30年代くらいの高羽幹線(主要地方道灘三田線)を国道2号側から北を
見たところです。道幅など現在とほぼ同じですが、当時の自動車が小さいので
広く見えますね。灘マツダも近い事ですしマツダの軽トラックでしょうか?
そして通行量が圧倒的に少ない。
六甲トンネルもまだできていないので、まだ幹線になりきってないわけです。
それをいいことに、この辺りの子どもたちはこの道路を「公園」として
使っていたそうです。
のどかなはなしですな。

沿道の住宅ものんびりと。
いまはマンションが林立していますが。
右手に「毎日屋ランドリー」が見えますので、道路を挟んだ石垣の家は
入江歯科のあたりでしょうか。

道路の先にかすかに高架化前の国鉄の踏切が確認できます。
ここも六甲道と同じく開かずの踏切
そしてさらにその先には造成地が見えます。
そう、造成中の鶴甲です。
「マンモスニュータウン鶴甲」もまだできていなかったわけです。
それに六甲山系もこころなしか緑が少なく感じますね。
禿げ山だった六甲山にようやく緑が増えて来ているといった感じ。

このころから灘区も高度経済成長に突入し、どんどん風景が変わって
いきます。

高羽幹線(H19.8)
現在の高羽幹線

(写真:堂内克孝様所蔵)

【六甲道お宝写真募集】
「永遠の六甲道」では、六甲道周辺の古い風景が写っている
写真を探しております。
そろそろ手持ちがなくなりそうな雰囲気が(w
そんな些細な写真でも結構ですし年代も不問ですので、もしご提供
いただけるようでしたら、info@nadatama.com「永遠の六甲道係」
までご一報くださいませ。
ご協力の程よろしくお願いいたします。


2007年8月18日(土曜日)

33日目 高羽市場 その4

カテゴリー: - naddist @ 08時00分12秒

しばし「永遠の六甲道」のセットアッパーを
勤めさせていただきますnaddistです。
本来担当のheart-angl氏と違ってモロネイティブではないので
お歴々の六甲道者の皆さんのご希望に応えることができるか、
甚だ不安ですが、そこんところは他所者視線で、ちょっぴり狡猾に、
なんとなくのらりくらりぶらりと懐かしい六甲道界隈をさまよって
いこうと思っておりますので、おつきあいの程よろしくお願いいたします。

で、高羽市場です。
写真は昭和45年頃の様子。
灘区内に多数あった市場の中で、一番優美な入口(ファサード)だった
のではないかと思います。
グラマラスで女性的なラインが高羽らしさをかもし出していました。
まさに「高羽の貴婦人」てな感じで。
市場という空間になんとなく「母性」を感じる私にとっては
このファサードの表現は○でして、灘中央市場あたりのメタリカルな
ファサード風情
はイマイチしっくりと来ないんですよね。実は。
なにかこう、すいこまれるような小空間。
現在、不粋なサイディングで隠されてしまったのは残念です。

高羽市場(S40年頃)


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