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2008年6月26日(木曜日)

50日目 日の出「と」もり家

カテゴリー: - naddist @ 19時00分35秒

六甲道から南におり、阪神新在家にほど近いところにある灘区が誇るメガ食堂
「日の出もり家」。
昔なつかしのデパートの大食堂然とした店内風情と怒濤のメニュー群に圧倒
されたクミンも多いと思う。
寿司もあればうどんもある、そしてお好み焼き、そば焼、明石焼といった
鉄板焼きメニュー群。そして中華丼やラーメンまでも。
寿司と鉄板焼と中華丼ですぜ。
一見相反するメニュー群のダイナミックな並列、そして融合。

太陽神戸、三菱東京UFJ、石川島播磨、コニカミノルタ、阪急阪神HD、
ヒデとロザンナ、じゅんとネネ、へドバとダビデ、爆風スランプetc…
最近ではgoogleとyahoo!など世にあふれる合併モノ。
しかし灘区的に合併といえば、やはり「日の出もり家」である。
ご存知の方も多いと思うが、もともとここは「日の出食堂」と「もり家」
という別々の店が合併してできた店である。
「もり家」はもともと六甲道駅の東の高架下、現在TSUTAYAのある
あたりにあったお好み焼き店。
かなりの人気店だったようだが震災で閉店。
震災後、もともと今の場所でやっていたご親戚の「日の出食堂」と
バロムクロス的に合併して再出発したのが「日の出もり家」。
さしづめ「日の出もり家HD(ホールディングス)」ってとこか?
その際、日の出の定食系メニューともり家の鉄板系メニューの統廃合を
行わなかったので、おそらく今のような怒濤のメニュー構成になったかと。
ともかく灘的には「華麗なる一族」を超える合併。
いや「華麗なるメニュー」か。
あ、もちろんカレーもあります。

この店、メニューの豊富さに目を奪われがちだが、もちろんメシも美味い。
そのあたりに関しては世にゴマンといるグルメ系ブロガー(笑)の皆さんに
まかせるとして、やはり「永遠の六甲道」的には店内外の空気感を伝えたい。
今の六甲道で失われつつある空気感。
もう少し南の「ぐいぐい酒場樫本」に通じる居心地の良さ。
なんかこう、だだっ広いのにあったかい感じ。
広いと言ってもファミレスとは全く違う空気。

先代の「もり家」からののれん?
メガ店舗に不釣り合いな小さなのれん。
たまりません。

このイスから普通のイスに移行するのが大人への
第一歩だったかも。

なんだか神戸港っぽい船の絵。新港突堤あたりだろうか?
なんだかキングジョーが現れそうな静けさ。

そして、やっぱり一番ステキなのが大テーブル。
テーブル上にはマヨネーズ、ソース、そして生花に混じって焼酎の瓶などまで。
いい感じのカオス具合。

   

1つのテーブルを知らない人と共有するってのがいい。
つながってないんだけどつながってる雰囲気。
一人で行っても、みんながいるような一体感。
でも別に隣同士ベタベタするわけではなく、それぞれ勝手に飯を食ってる。
「ちんまりとしたカフェ」あるいは「だたっぴろいだけのファミレス」との違いは
この大テーブルの、つかず離れずの微妙な距離感がもたらすコモンスペース風情ではないかと。
そしてこのテーブルの状態こそが六甲道、いや灘区が目指すべき街の姿かもしれない…
大貝のそば焼で瓶ビールを飲りながら、ふとそんなことを考えてしまいました。


		

2008年6月9日(月曜日)

49日目 県営烏帽子団地

カテゴリー: - naddist @ 18時00分00秒

団地という言葉をすっかり聞かなくなった。
団地族、団地妻…高度経済成長期を代表する言葉だった団地。
システムキッチンやダストシュートなどの近未来ライフスタイルを
予感させる住宅設備は人々の羨望の的であったという。
団地は街でもある。
廊下はいわば立体路地であり、階段は子どもたちの格好の遊び場になった。
そこでの遊びは団地ルールなるローカルルールが存在し、それが団地外
に住む人間の目にはとても新鮮に映った。
敷地周辺や中庭には植栽が施されていた。
想定外に大きくなった樹木。
勝手に生える雑草。
鳥が運んでくる花の種。
住民たちが勝手に植えたのであろうネギなどの小野菜。
それらが渾然となって独特の庭世界が構築されていた。
いわゆる「団地ガーデン」である。
最近のマンションのような業者任せで画一的な、格好ばかりの
中庭などとは違ういきいきとした風景があった。

六甲道南の桜口交差点の西、烏帽子中学の北にあるレトロな小団地
「県営烏帽子団地」がついに解体された。
建設されたのは昭和36年。
まだ国道2号には阪神国道電車がガタゴトと走り、八幡電停近くには
六甲映画館があった時代である。
震災も乗り越え間もなく四半世紀を迎えようとしていた烏帽子団地は
界隈でも独特の存在感を誇った。
2号線の排気ガスで黒くすすけたファサードはこの地で生きてきた
古老の肌のようであり、陰影のある階段室は、街に何かを語りかける口
のようであり、ひさしのついた窓はこの街を眺め続ける憂いのある瞳の
ように見えた。
モダンなライフスタイルを指向した現代建築が年を経て、有機的な表情を
見せているのは皮肉なものである。

少しでも2号線との緩衝にと作られたのであろうか、ささやかな植込みが
設けられ、いろんな植物がいろんな風に育ち建物と一体化していた。
落ち葉の掃除が面倒くさいからと街路樹がバシバシと切られている
国道2号沿道では貴重な緑の景であり、鎮守の森とまではいかないが
摩耶や六甲の緑に呼応する「街の緑」であったと思う。

建物の表情の経年変化や緑の風情を見ていると、この団地自らが
意思を持ちこの街にとけ込もうとしているように思えてならなかった。
はす向かいにある、いつまでもピカピカで自己主張の強すぎる
WeLvのファサードやイタリア広場とは対照的な態度である。

県営烏帽子団地がなくなって六甲道の「しわ」がまた一つなくなった。
果たして六甲道に林立する集合住宅群は50年後どうなっているだろうか。
県営烏帽子団地のようにいい年の取り方ができるであろうか。

残念なことがもう一つある。
烏帽子団地には毎年、春にきれいな桜が咲き
住民だけでなく国道のドライバーの目も楽しませてくれた。
桜がなくなった桜口では唯一の桜だったが、もう見ることはできない。
できれば養生されてこの地に戻ってきてくれることを願うばかりである。


(撮影:2007年4月)


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