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2007年8月28日(火曜日)

34日目 高羽幹線S30

カテゴリー: - naddist @ 11時30分19秒

「永遠の六甲道」が「永遠の灘公設市場」になりそうなので、
少し六甲道方面に話を戻しますね。
…といっても、少し東に行き過ぎかもしれませんが。

高羽幹線(H30年代)""

昭和30年代くらいの高羽幹線(主要地方道灘三田線)を国道2号側から北を
見たところです。道幅など現在とほぼ同じですが、当時の自動車が小さいので
広く見えますね。灘マツダも近い事ですしマツダの軽トラックでしょうか?
そして通行量が圧倒的に少ない。
六甲トンネルもまだできていないので、まだ幹線になりきってないわけです。
それをいいことに、この辺りの子どもたちはこの道路を「公園」として
使っていたそうです。
のどかなはなしですな。

沿道の住宅ものんびりと。
いまはマンションが林立していますが。
右手に「毎日屋ランドリー」が見えますので、道路を挟んだ石垣の家は
入江歯科のあたりでしょうか。

道路の先にかすかに高架化前の国鉄の踏切が確認できます。
ここも六甲道と同じく開かずの踏切
そしてさらにその先には造成地が見えます。
そう、造成中の鶴甲です。
「マンモスニュータウン鶴甲」もまだできていなかったわけです。
それに六甲山系もこころなしか緑が少なく感じますね。
禿げ山だった六甲山にようやく緑が増えて来ているといった感じ。

このころから灘区も高度経済成長に突入し、どんどん風景が変わって
いきます。

高羽幹線(H19.8)
現在の高羽幹線

(写真:堂内克孝様所蔵)

【六甲道お宝写真募集】
「永遠の六甲道」では、六甲道周辺の古い風景が写っている
写真を探しております。
そろそろ手持ちがなくなりそうな雰囲気が(w
そんな些細な写真でも結構ですし年代も不問ですので、もしご提供
いただけるようでしたら、info@nadatama.com「永遠の六甲道係」
までご一報くださいませ。
ご協力の程よろしくお願いいたします。


2007年8月18日(土曜日)

33日目 高羽市場 その4

カテゴリー: - naddist @ 08時00分12秒

しばし「永遠の六甲道」のセットアッパーを
勤めさせていただきますnaddistです。
本来担当のheart-angl氏と違ってモロネイティブではないので
お歴々の六甲道者の皆さんのご希望に応えることができるか、
甚だ不安ですが、そこんところは他所者視線で、ちょっぴり狡猾に、
なんとなくのらりくらりぶらりと懐かしい六甲道界隈をさまよって
いこうと思っておりますので、おつきあいの程よろしくお願いいたします。

で、高羽市場です。
写真は昭和45年頃の様子。
灘区内に多数あった市場の中で、一番優美な入口(ファサード)だった
のではないかと思います。
グラマラスで女性的なラインが高羽らしさをかもし出していました。
まさに「高羽の貴婦人」てな感じで。
市場という空間になんとなく「母性」を感じる私にとっては
このファサードの表現は○でして、灘中央市場あたりのメタリカルな
ファサード風情
はイマイチしっくりと来ないんですよね。実は。
なにかこう、すいこまれるような小空間。
現在、不粋なサイディングで隠されてしまったのは残念です。

高羽市場(S40年頃)


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