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2008年2月25日(月曜日)

47日目 愛すべき喫茶店

カテゴリー: - naddist @ 18時00分26秒

「街の待ち話」3話目は喫茶店です。
街の「待ちスポット」といえば、やはり喫茶店を忘れるわけにはいきません。
あ、壁が白かったり、スタイリッシュなソファがあったり、ボサノバが
流れているような「カフェ」じゃないですよ。
もちろん1時間なんぼの「マン喫」でもありません。
純喫茶です、純喫茶。
有線が流れてて、珈琲1杯で何時間も粘れる。
ひまつぶしにテーブルの上にある卓上おみくじ機をひいてみたり、
永遠に水を飲み続ける「平和鳥」をぼんやり眺めたりできた店。

でも、なんか数が減ったような気がしませんかね?
六甲道の喫茶店。

北口:アイン、ブリンカップ、ひとみ、オルフェ、パーム、ホープ…
南口:ヒスイ、シャネル、ジュネ、ホリデー、わが町、ひで乃、山麓…
昭和49年ころに六甲道駅周辺にあった喫茶店名です。
今残っているのは「わが町」くらいでしょうか?

以前紹介した「傾いた喫茶店」のマスター曰く
「最近は『喫茶』のお客さんがすっかり減った」
とのこと。なぜなら
「やっぱり携帯電話やね。どこかでじっと『待っている』必要がなくなったしね」
携帯電話がこの街から「待ち」を奪い去ったというわけです。
「あと、商談客がほとんどいなくなったな」
これもやはり、携帯電話やメールが普及したせいでしょうか。

「それと…学生が全然来なくなった」
六甲道〜六甲界隈は曲がりなりにも学生街。
学生たちは「街」にいたわけです。
「フォークのギターをひいて時の流れを見つめてる」マスターがいる
喫茶店(注1)で「訳もなくお茶を飲み話した」り(注2)、
「ぼくの街でもう一度だけ熱いコーヒー飲みませんか」(注3)
なんてこと言ってたわけです。

『神戸青春街図』(プレイガイドジャーナル編著 1977)
『神戸青春街図』(プレイガイドジャーナル編著 1977)

誰かを待ったり、あいた時間をぼんやりと道行く人を眺めながら過ごす。
そんなゆったりとした時間が街や人を熟成させる「麹菌」のような役割を担って
いたのかもしれません。

そして今の六甲道。
駅前のセルフ系コーヒーショップチェーンで、携帯電話を覗き込みながら、
せっかちにメールチェックする人たち。
いつも前傾姿勢。前のめりの街。待てない街。
新しい街に生まれ変わった六甲道ですが、今後、街として熟成していくのに
必要なものは、かつての喫茶店にあった「麹菌のような時間」ではないかと
思う今日このごろであります。

注1)『コーヒーショップで』:あべ静江
注2)『学生街の喫茶店』:ガロ
注3)『私鉄沿線』:野口五郎

[参考]少し懐かしい六甲道界隈の喫茶店の点描
[naddist001110-72]喫茶Lの常連のひとびと【さら灘05】


2008年2月15日(金曜日)

46日目 幸せな渋滞

カテゴリー: - naddist @ 10時30分39秒

前回に続きまして「開かずの踏切」です。
今回は渋滞中の様子。
おそらく現在のフォレスタ北東角あたりから南側を眺めた画です。
バスだらけ。なかなか壮観です。
当時はまだ六甲道駅南北とも駅前ロータリーがなかったので、乗り降りの際も
道路を占有していたのではないかと思われます。
当時の八幡線は両側にびっしりと店舗や住宅が並んでいました。
軒先で延々自動車に排気ガスを浴びせられるのですから沿道の皆さんは
さぞ大変だったことでしょう。
今は無き「外大前行」のバスも走っていた頃。
17系統でしたっけ?
そう、灘区に市立神戸外国語大学があった頃です。
「ガイダイ」という音の響きに不思議なカッコ良さを感じたものです。

開かずの踏切(S46年11月)

ともかく渋滞です。
渋滞は通常、ネガティブな事象としてとらえられます。
できれば排除したい。
人間として当たり前の欲求であります。
だから国鉄(JR)は高架になり、開かずの踏切は解消されたのでしょう。
でも当時は待てたのですね。今の灘クミンには無理かもしれませんがね。

開かずの踏切がなくなって俄然六甲道周辺は便利になりました。
と同時に六甲道周辺にただよっていた「澱み」もなくなったような気もします。
もちろん地元としては悲願だったと思いますが。
その後ご存知のように六甲道は神戸の東の副都心としてまつり上げられて行きます。
自分の意のままにならないものを「待つ」ことができない人々によって、より「便利」に、
より「都合良く」せっかちにつくられていく街。
「まちづくり」などという麗句に隠された不遜な態度が街をつまらなくしていくような
気がしてなりません。

開かずの踏切渋滞が解消された今、六甲道の少し南の国道43号あたりで
ちょこちょこと小渋滞が起きています。
旧ブリコ跡にできた某スーパーの駐車場へ入る車の渋滞です。
わずらわしくなく、待たずに買い物ができる便利なはずのスーパーで起こっている
皮肉な「待ち」の風景です。

写真:『灘のうつりかわり』(灘区勢振興会)より


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