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2008年8月12日(火曜日)

52日目 桜口の映画館、六甲映画劇場

カテゴリー: - naddist @ 14時30分14秒

前回のエントリー「六甲東映」に、多くの諸先輩方のコメントが寄せられた。
ありがとうございます。

灘区から最後の映画館が消えて4年がたった。
先日第4期が開講した灘大学
1回目の講座は「水道筋学」だったのだが、学生から当時の映画館のエピソード
に関する発言もいくつかあった。
灘クミンの中の映画館はまだ健在なのだ。

僕にとって映画館は不思議な施設だった。
そんなに頻繁に行かなくとも、映画館が我が街にあるだけで、
自分の住んでいる街に、毎日カタカタと音を立ててまわる映写機があるだけで、
なんとなく安心だった。
それは毎日乗らずとも、摩耶山や六甲山で黙々と動き続けているケーブルカーや
ロープウェーに対する感情に近い。
そういった安心感は、それらを動かし続けている街の力強さ、いや街の余力から
来るものだったのかもしれない。
今の灘区は、むんむんとむせるような街の力強さは影を潜めた。
新しい街になって一見活気があるような六甲道でもそう思う。
いや、もう街の余力にたよる時代ではない。
ケーブルカーを動かしたいのなら、映画館が欲しいのなら、灘クミン自ら企画し運営する。
きっとそんなフェーズに入って来たのだと思う。
「昔は良かったね」だけではあまりにも寂しすぎる。

さて、実は六甲道には六甲東映の他にもう一軒映画館があった。
大阪万博あたりまであったそうだが、これに関しては全く記憶がない。
場所は駅の南側、桜口交差点北、現在の灘区役所あたり。
ちょうど御旅所の南、三和銀行があった場所に「六甲映画劇場」があった。
昭和35年10月20日の神戸新聞朝刊に掲載された映画案内を見てみると、
このとき上映されていたのは
・白子屋駒子
・がめつい奴
・爆発娘罷り通る
東宝系の三本立て。
てことは、ゴジラとかもやっていたのだろうか?

S35.10.20神戸新聞朝刊映画案内
(S35.10.20神戸新聞朝刊映画案内)

またここは「火事のあった映画館」として記憶している灘クミンも多い。
「六甲映画劇場な、小林旭の映画見てたら火事になってなぁ」
という証言もある。
ん?小林旭ってその当時日活では?
どうやら封切館ではなく二番館、三番館だったようである。

とにかく、またまた諸先輩方の記憶にたよるしかない。
六甲映画劇場体験のある方。
またそのたたずまい等を覚えていらっしゃる方。
コメントよろしくお願いいたします。

六甲映画館跡

六甲映画劇場跡。現在はWeLv4番街1番館のビルがそびえる。
正面にあった八幡市場はパニエに。


2008年8月5日(火曜日)

51日目 ええとこええとこ六甲東映

カテゴリー: - naddist @ 09時30分32秒

先月7月26日に水道筋商店街で「水道筋アーケード劇場」というイベント
が開催された。
「スクリーンがあった街・水道筋」を真夏の夜に復活させる、もう今年で
5回目か6回目かの水道筋の夏の定番イベントだ。
今年もお手伝いをさせていただいたのだが、なかなかの好企画だと思う。
アーケードに設置された巨大な特設スクリーンに映る「アンパンマン」を
食い入るように見つめる子どもたちを見ていると、ふと子どもの頃を思い
出した。

今のような大画面TVもなく、まだ白黒TVも現役で、せいぜいキドカラー
やパナカラーの18型程度の、のぞき穴くらいの画面を「のぞいて」いた僕ら
にとっては映画館のスクリーンはあまりにも広大だった。
春休み、夏休み、冬休み前になると小学校前で、インチキくさい計算尺や
学研の勧誘、篠鉄砲売り、色付きひよこ売りなどに混じって「東映まんが
まつり」や「東宝チャンピオンまつり」などのいわゆる「まつり系映画」
の割引券が子どもたちに大量にばらまかれた。
それを握りしめて水道筋へ走った。
ゴジラ以外はほとんどTV番組を無理やり映画化したものだったが、それでも
大画面で見る仮面ライダーや、「ポニョ」の原型とも言われる宮崎アニメ
「パンダコパンダ」は迫力があった。
しかも「豪華6本立て!」みたいな、これでもかっ!て感じの怒濤のプログ
ラムだったのだが、母親が水道筋で買い物をしている間しか見ることができ
なかったので、たいてい半分くらいしか見ることができなかった記憶がある。

そして、高校生くらいでまた映画館通いが始まるのだが、そのころになると
8軒ほどあった水道筋の映画館もほとんどが閉館していたので、三宮方面の
阪急文化や新聞会館にあったスカイシネマ、三劇、ビッグ、アサヒ(うーん
これも全部閉館だ)などに行った。

で、灘区の映画館でも気になる映画館があった。
河原の「富士映劇」と、六甲道の「六甲東映」(やっと六甲道が出た)だった。
両方ともいわゆる「ピンク館」だったわけです。
当時の高校生的には美保純などのにっかつ系が人気だったので、独立系の富士や
六甲はどうしても敬遠され、なかなか足が向かなかった。
(正確にいうと、美保純はあまり見たくなかったのだが、当時その手の映画は
数名で見に行くのが常だったので、いつも多数決で負けたのだ)

でも、六甲道の北にあった映画館「六甲東映」は僕の17才の地図にもしっかり
プロットされたいた。
ヌーベル六甲の貸しレコード屋でレコードを借り、六甲道の南天荘書店まで
おりる途中、六甲本通商店街から少し西に入ったところにひっそりとたたずん
でいた六甲東映(正式名称は六甲宮前映画劇場)。
今のスーパードライな六甲道ではなく、まだ六甲道らしい翳りと湿り気が残っ
ていた通りだったと思う。
東映と名がつくが東映とは無縁で「東映まんがまつり」ではなく「団鬼六緊縛
まつり」や「谷ナオミ(SM女王)まつり」などがかかり、「ピンクのカーテン」
などのアイドルポルノに辟易していた高校生には魅力的な小屋だった。

がしかし、やはりハードルが高かった。
人目を気にしながら少し逡巡し、その場を立ち去るというのがいつものパターンだ。

と、ここまで延々と書いたが、結局この「六甲道の映画館」には入れずじまい
だったのである。
あとは諸先輩方の六甲東映体験コメントに期待したいと思います。
よろしくお願いいたします。

六甲東映跡

六甲東映跡。現在はマンションになっている。
周辺にも高層マンションが増えたが、アーケード手前のトタン屋根の家がかろうじて
昔の面影を残す。しかしもはや「六甲道の裏筋」の風情はない。


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