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2008年6月9日(月曜日)

49日目 県営烏帽子団地

カテゴリー: - naddist @ 18時00分00秒

団地という言葉をすっかり聞かなくなった。
団地族、団地妻…高度経済成長期を代表する言葉だった団地。
システムキッチンやダストシュートなどの近未来ライフスタイルを
予感させる住宅設備は人々の羨望の的であったという。
団地は街でもある。
廊下はいわば立体路地であり、階段は子どもたちの格好の遊び場になった。
そこでの遊びは団地ルールなるローカルルールが存在し、それが団地外
に住む人間の目にはとても新鮮に映った。
敷地周辺や中庭には植栽が施されていた。
想定外に大きくなった樹木。
勝手に生える雑草。
鳥が運んでくる花の種。
住民たちが勝手に植えたのであろうネギなどの小野菜。
それらが渾然となって独特の庭世界が構築されていた。
いわゆる「団地ガーデン」である。
最近のマンションのような業者任せで画一的な、格好ばかりの
中庭などとは違ういきいきとした風景があった。

六甲道南の桜口交差点の西、烏帽子中学の北にあるレトロな小団地
「県営烏帽子団地」がついに解体された。
建設されたのは昭和36年。
まだ国道2号には阪神国道電車がガタゴトと走り、八幡電停近くには
六甲映画館があった時代である。
震災も乗り越え間もなく四半世紀を迎えようとしていた烏帽子団地は
界隈でも独特の存在感を誇った。
2号線の排気ガスで黒くすすけたファサードはこの地で生きてきた
古老の肌のようであり、陰影のある階段室は、街に何かを語りかける口
のようであり、ひさしのついた窓はこの街を眺め続ける憂いのある瞳の
ように見えた。
モダンなライフスタイルを指向した現代建築が年を経て、有機的な表情を
見せているのは皮肉なものである。

少しでも2号線との緩衝にと作られたのであろうか、ささやかな植込みが
設けられ、いろんな植物がいろんな風に育ち建物と一体化していた。
落ち葉の掃除が面倒くさいからと街路樹がバシバシと切られている
国道2号沿道では貴重な緑の景であり、鎮守の森とまではいかないが
摩耶や六甲の緑に呼応する「街の緑」であったと思う。

建物の表情の経年変化や緑の風情を見ていると、この団地自らが
意思を持ちこの街にとけ込もうとしているように思えてならなかった。
はす向かいにある、いつまでもピカピカで自己主張の強すぎる
WeLvのファサードやイタリア広場とは対照的な態度である。

県営烏帽子団地がなくなって六甲道の「しわ」がまた一つなくなった。
果たして六甲道に林立する集合住宅群は50年後どうなっているだろうか。
県営烏帽子団地のようにいい年の取り方ができるであろうか。

残念なことがもう一つある。
烏帽子団地には毎年、春にきれいな桜が咲き
住民だけでなく国道のドライバーの目も楽しませてくれた。
桜がなくなった桜口では唯一の桜だったが、もう見ることはできない。
できれば養生されてこの地に戻ってきてくれることを願うばかりである。


(撮影:2007年4月)


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