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2009年7月28日(火曜日)

水害と地蔵

カテゴリー: - naddist @ 12時00分35秒

いにしえの六甲道に思いを巡らせる「永遠の六甲道」を今回から灘区全域を対象に、
昭和の残り香を訪ねる「灘区昭和館」としてリニューアルしましたのでよろしくお願いします。

都賀川の事故から1年経った7月28日、「都賀川を守ろう会」による慰霊式典が行われた。
いつもはおだやかな、摩耶六甲の山並みも、都賀川のせせらぎも、一度牙を剥けば
恐ろしい自然だということを、灘クミンは肝に銘じなければならない。
先週から今週にかけて各地で起こっている土石流災害などの豪雨被害。
昔から山津波に見舞われてきた灘クミンにとっても決してひとごとではない。
神戸はおよそ30年周期で大きな水害に見舞われてきた。前回の水害が昭和42年だから、
かれこれ40年以上。いつ六甲山が街に牙をむいてもおかしくない。

街の中にひっそりとたたずむ地蔵。
実は水と格闘してきた記憶を今に伝える生き証人でもある。
都賀川下流の大石南町でユーモラスな笑みを浮かべる「太郎八地蔵尊」は、1765年7月16日の
台風で都賀川上流から流されてきた。大石の太郎八という人が拾い上げ、この地に安置したので
太郎八地蔵と呼ばれるようになったと伝えられている。
流されてきた日を命日にしたのでここの地蔵盆は多地区の地蔵盆より1月以上早く行われる。

太郎八地蔵尊

上野通にある観音寺という字名は、かつて観音堂があったことから名付けられた地名だが、
この観音堂の観音様は摩耶山中から大水で流れてきたものを安置したといわれている。
摩耶山の観音様も水害の被害者だったのだ。

観音寺バス停

そして昭和13年7月5日、一度牙を剥いた自然を止めることはできなかった。
六甲山からの山津波は大地を震撼させながら、一瞬のうちに家屋を飲み込んでいった。
忌まわしい阪神大水害は灘区だけで死者127人を出した。
荒れ狂った六甲川と杣谷川は都賀川で合流し、その被害は凄惨を極めた。
合流点の川幅、いや土石流の幅は200mにも及んだという。
濁流は水道筋を越え、旧灘警察と区役所を直撃、省線(現JR)を越え、浜手の町を襲った。
実家の近くに流れていた観音寺川には石や木に混じって、上流にあった湊川女学校(福住通)
の女学生も流れてきたという話も、夏になると近所の古老から聞かされた。
浜手の下河原通に「復興地蔵」と名付けられた地蔵尊がある。
阪神大水害からの復興を願って名付けられたという。
普段、地蔵名は表記されていないが、地蔵盆のときだけ「復興地蔵尊」と書かれた
提灯が揺れる。

復興地蔵尊

他にも灘区内には水難にあったお地蔵さんが多数まつられている。
彼らのつぶやきに耳を澄ませてみよう。
灘区は水と戦ってきた街だということを教えてくれるはずだ。
彼らは記念碑や慰霊碑ではなく、街の生き証人なのだから。

[告知]
今年も8/23に地蔵盆を巡る探訪イベント「灘区地蔵盆ラリー」を開催します
詳しくはこちら


コメント

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  1. 昭和42年の水害は昨日のことのように覚えています。 あの《小川》である観音寺川が《氾濫》というより鉄砲水が川底を押し上げ、川端の道路が凸凹にな盛り上がり、自動車が上野通から中原通辺りまで流されていました。 もちろん、川で道路も遮断されてしまい、しばらく東西の往来ができなくなっていました。 

    青谷川も阪急の線路の北側の暗渠を、流された土砂や家屋のガレキ等が塞いでしまい、ちょうど今の王子福祉センターの辺りは大きな池になっていました。 
    とにかく、子供ながら自然の驚異を目の当たりにし、「水の怖さ」を思い知ったのでした。 トラウマでしょうか、今でも雨が多く降った日の翌日や、雲行きの怪しい日には、山や川へ近付くことができません。

    Comment by 三代目クミン — 2009年7月30日(木曜日) @ 14時45分46秒

  2. >三代目クミンさん
    貴重なコメントありがとうございました。
    観音寺川の最下流(灘南通4)あたりも池のようになったそうです。
    私は覚えていませんが…

    13年の水害に比べて、42年の記録があまりないような
    気がするのですが、写真とかお持ちですか?

    Comment by naddist — 2009年7月30日(木曜日) @ 20時20分21秒

  3. 確かハーフサイズ(オリンパスPEN)で撮ったためか、映りはよくありませんが、保存状態のよいプリントが数十枚出てきました。一度ご覧下さい。

    Comment by 三代目クミン — 2009年7月30日(木曜日) @ 23時32分23秒

  4. 昭和13年の水害で、六甲ケーブルの途中にあった「清水」駅が全壊したと、歴史資料で知りました。昭和42年の水害では、六甲ケーブル下駅が全壊したそうですね。その後も六甲ケーブル下駅は、何度も水害の被害を受けたようで、私の小さなころの記憶にあった駅の姿とは変わっています。(そう何度も六甲山へ登ったわけではないのですが…)
    阪神大水害の時、父は3歳でしたが、灘区ではないのですが兵庫区東川崎町が海とつながった状態となり、ボートで救助されたということを話していました。

    Comment by たん吉 — 2009年7月31日(金曜日) @ 11時50分25秒

  5. >三代目クミン
    おお、是非見せてください!
    そういえばオリンパスPEN、デジカメで復活しましたね

    >たん吉さん
    摩耶観光ホテルにとどめを刺したのも昭和42年の水害だったかと。

    Comment by naddist — 2009年8月2日(日曜日) @ 16時48分25秒

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