2007年 7月
« 6月   8月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
最近の投稿
2013年3月25日(月曜日)
第88話「備後町」
2012年3月11日(日曜日)
第87話「琵琶町」
2012年3月4日(日曜日)
第86話「日尾町」
2010年12月12日(日曜日)
第85話「稗原町」
2010年9月26日(日曜日)
第84話「原田通」
灘の旅人 月別過去ログ
灘の旅人 カテゴリ一覧
灘の旅人 最近のコメント
最新の灘イベント情報
予定なし

2007年7月29日(日曜日)

第29話「楠丘町」

カテゴリー: - aiai @ 08時59分04秒

灘区で3番目に人口の多い町でもあり、3500人余りが暮している。

ちなみに、1位2位は鶴甲、篠原南町の順となる。

楠丘の町名は高羽村字楠丘をそのまま使用しており、
戦前までは神前の大楠に匹敵するほどの大きな楠があったという。

前回に引き続き、楠丘町も石屋川沿いの町だ。

ただし、記田町よりも少し上流側にあり、
その分、こうした石垣からも石屋川の天井川っぷりが伝わってくる。

川沿いの地域の何気ない側溝には、
石屋川の伏流水と思われる清水がサラサラと現れたり消えたりしていく。

石屋川沿いと言えば松並木と相場が決まってるのだろうか。

そういえば「火垂るの墓」に登場する土手も松が印象的だった。

灘区でも、これほど松ぼっくりが豊富な場所というのはそうないんじゃないだろうか。

松ぼっくり大会(?)ができそうだ。

コンクリート三面張りと言えば、自然破壊の象徴のように扱われることが多いけれど、
石屋川や都賀川のような「石垣三面張り」というのはどうなんだろう。

果てしなく続く三面石垣の直線は、ある意味ストイックで美しいような気がしなくもない。

石屋川公園にも定番の動物遊具があった。このゾウはどうだろう。

なんともいい具合にツヤツヤしている。

阪急沿いに西に向かう。楠丘町は予想以上に広大だ。

32度を超える炎天下で写真を撮りながらこのあたりまで来たら、
なんだか頭がクラクラしてきた。

ギラつく太陽をこれでもかと吸い込むような白い布団。

生い茂る森に吸い込まれるように、高羽川公園を下る。

何の植物かと思いきや・・・

・・・バナナでした。灘でもバナナができるほどの暑さだということで。

楠丘町も、震災で大きく様変わりした町のひとつだという話を聞く。

でも、阪急沿線などに文化住宅なんかが残っていたり、石垣や生け垣があったり。

楠丘町は、震災後に新しくできた小洒落た住宅と、
趣のある古い町が交錯するような町だった。


2007年7月22日(日曜日)

第28話「記田町」

カテゴリー: - aiai @ 08時59分27秒

ここは区境の町。

石屋川の向こう、そして、道路を挟んで南側にも東灘区。

石屋川西岸の公園に、あの名作のモニュメントがある。

「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」

モニュメントにはイラストだけが刻まれている。
これだけでも、たくさんのシーンが思い浮かぶことだろう。

映画「火垂るの墓」には、石屋川から見る御影公会堂の風景が出てきたり、成徳小学校の校舎がモデルとなった小学校が登場したりするのは、あまりに有名な話だ。

そろそろ、そういうテーマを扱った番組が、頻繁に登場してくる季節になってきた。

灘の夏、日本の夏。

記田町から眺める御影公会堂と石屋川も、灘の原風景になるだろうか。

ところで、この石屋川公園にある防災倉庫のような建物、御影公会堂をかなり意識してデザインされた建物のようだ。遠くから見ると、関連施設なのではないか?とすら勘違いしてしまいそうな趣すらある。

公園にはなぜか水琴窟も設置され、土手の松並木と併せて音や風景をしみじみと味わえる場所(?)になっている。都賀川沿いの公園とは、また違った趣が楽しめるというわけだ。

いわば国境の町とも言える記田町を歩いていて、どうしても気になったものが一つ。

徳井の交差点のすぐ南にある、某スーパーマーケットの店名が「御影西店」となっていることだ。

御影の・・・・西?

確かに、すぐ南は御影塚町。石屋川を挟んで東側は御影石町。

だからといって「御影西」という表示をされるのは、灘クミンとしては切ない。

「御影」を乱用するのかと、東灘の人々も憤っているのではないか。

これではまるで、東灘区の西側に灘区があるから、灘区は「西東灘区」と呼んでしまおうというような話だ。山麓線を車で通る人も「このあたりは御影の西」だと認識してしまうではないか。

記田町店なり、徳井店なり、そういう表記は考えられなかったのだろうか。

まあ、そのあたりはビミョーな問題を孕んでいるのかもしれないので、あまり掘り下げないことにしておこう。


「国境の町ならではの事態なのだなぁ」とフンフンと呟きながら、このスーパーで割引の菓子パンを買って、店の前でムシャムシャと食べて、記田町を後にした。

梅雨はまだ明けないようだ。

次回は楠丘町の予定。


2007年7月8日(日曜日)

第27話「岸地通」

カテゴリー: - aiai @ 08時59分50秒

灘ケーサツの真ん前です。

空梅雨の噂はどこへやら。
どんよりと曇ったり突然土砂降りの雨に降られたりする日々が続いています。

気がついたら七夕もヒョイと過ぎ去っていました。
近所のコープに行ったときに、
小さな子どもが新聞紙にくるまれた笹を握りしめていたのを見かけたのが、
今年唯一の「七夕っぽい風景」でしたね・・・。

たぶん、浮世離れした生活を続けてるのが原因です。

さてさて。
岸地通1丁目には区民ホールがある。

入り口に不思議な像が立っているのだが、
これは河原自治会が寄贈した由緒正しき(?)銅像で、
「旅立ち」というタイトルが付けられているのだ。

そう言われてみると旅立ちっぽいような気もするが、
一番背の高い像が「まちこ巻き」をしてるのはなぜか、疑問は尽きない・・・。

ところで、岸地通と言えば僕の中では「素佐男神社」なのだ。

日頃は人気も少ないが、5月の御神輿や7月の祇園祭りなどには、
めくるめく祭りスペクタクルが繰り広げられる。

素佐男神社は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)という神様を祀った神社だ。

そろそろ京都の祇園祭のシーズンだが、
祇園祭りの趣旨は、荒ぶる神である素盞鳴尊を楽しませ疫病退散を願う祭りだという。

素盞鳴尊を祀る神社は全国に2000社とも2500社ともあると言われており、
今年7月21、22日には岸地通の素佐男神社でも祇園祭りが行われる。

飲んだり食べたり遊んだりしながら、疫病退散を願うのだから、
これほど楽しいものはない。ぜひとも参加したいものだ。

稗田小学校の東側、豚まん屋さんの真ん前を流れる観音寺川に仕組まれた装置。

河床を「二階建て」にすることで、氾濫防止を目的としたものだ。

日常的には上の層に水が流れるのだが、
増水時には地下に潜む「観音寺川バイパス」に流れ込んでいくという仕組みだ。

灘区内では、成徳小学校の東を流れる高羽川などにも同様の装置が埋め込まれている。
隠れたところでハイテク(?)なのだ。

「稗田ガリバートンネル」と呼びます。


稗田小学校の北側、かの有名な「稗田ガリバートンネル」も健在。
(※[naddist 990730-27]●稗田ガリバートンネル【灘の細道 04】参照)

僕はギリギリ頭をぶつけないぐらいの身長なので、
髪の毛が天井との高さを測るセンサーのような役目を果たす。
最近の大きめ小学生なら頭をぶつけるんじゃないかと心配になる。

山手幹線の下の不思議な空間が楽しくて、
大のオトナが行ったり来たりするとかなり怪しいので、
せいぜい二往復ぐらいで止めておこう。
このご時世、子どもたちもさすがに不審がると思う。

稗田小学校の西、小さな教会の建物を眺めたりしながら、西郷川に至る。
西郷川をまたぐ山手幹線は「上岸地橋」の名前が付けられている。

こちらが「上」なら、すぐ下に「岸地橋」がある。
こちらが本家本元というところだろうか。

「岸地大階段」とでも呼びたくなるような、長尺の階段。
山幹の南なのに、この階段の長さ。渓谷・西郷川のなせるワザだ。

橋桁の下の石垣だけ、妙に年季が入った雰囲気。
やはりこちらが本家の岸地橋なのだ。

次回は記田町の予定。

※spam対策として、現在トラックバックを受け入れておりません。ご了承下さい。


2007年7月1日(日曜日)

第26話「神前町」 だんじり・地蔵盆編

カテゴリー: - aiai @ 07時59分54秒

ご心配をおかけしたspamコメントは、だいぶ数が減ってきたものの、
まだ一日1-2件ほど入ってきています。
応援のコメントを頂いたみなさま、本当にありがとうございます。

さて。
前回、第25話では春日神社の大楠の話ばかりになってしまい、
だんじりや地蔵盆について触れるのを忘れていた。

何年か前に撮影した写真が何枚かあったので、
それを紹介しながら「神前町 だんじり・地蔵盆編」としてみたい。

灘区に長いことお住まいの方には違和感がないのかもしれないが、
神戸に来て生まれて初めてだんじり小屋を見たときの衝撃は忘れられない。

あの背の高い細長い倉庫の中には、
いったいどんな「マシン」が納められているのか興味津々だった。

少し広い範囲の話になるが、
大阪湾の周辺だけで800台弱ぐらいのだんじりがあると言われている。

手元の資料によれば、都賀のだんじりは明治時代に作られたもので、
平成5年に大阪市内からこの町にやってきたものとされている。

高さ3.7メートル・長さ6.3メートルは、
篠原のだんじりに次ぐ、灘区内で2番目の大きさである。

灘区内のだんじりは、昭和30-40年代にかけて中断する時期があったものの、
昭和50年代には復活を遂げた。

御輿が中心だったこの地区でも、だんじり復活ブームを受けて、
だんじりを入手して祭りを盛り上げようという話になった。

現在、だんじりの出番は現在、春と秋の年に2回程度。
灘のだんじり風景を盛り上げる大切なだんじりのひとつだ。

※関連記事:naddist[020420-122]こんチキチキマシン猛レース

だんじりも大いに盛り上がるわけだが、
8月23日の地蔵盆も忘れてはならない。

神前町では、神前住宅の公園や春日神社の東にある結縁寺の
お地蔵さんなどで地蔵盆が行われている。

僕にとっては、だんじりも地蔵盆も神戸に来て初めて知ったものばかりだ。

だんじりと地蔵盆、灘の祭りの風景だ。

そして、灘にはもっともっとたくさんの「祭りの風景」がある。

灘にいるかぎり、思う存分満喫したい。

次回は「岸地通」の予定。

※参考資料:木村清弘『だんじりが百倍楽しめる本』1998年。


33 queries. 0.052 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress