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2008年8月31日(日曜日)

第64話「高羽字滝ノ奥」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分27秒

「滝ノ奥」というぐらいだから、はじめはどれほど山奥なのかと思った。

かつては高羽村の入会地だったのだろう。

十善寺よりもさらに奥まった場所なのだから、表現としては間違ってはいない。

神戸大の国際文化学部脇にあるテニスコートの横を通り抜けたあたりを東に向かって橋を渡れば「高羽字滝ノ奥」なのだ。

「ごこう橋」という橋を渡ったところに、「六甲高羽アーバンライフ」というマンションだけがある。

周りを見渡せばマンションや建売住宅の開発ラッシュのようで、ゴリゴリと削られたベージュ色の岩肌が生々しい。

橋の下だけは、滝ノ奥の名にふさわしい濃い緑が覆い尽くしている。

木々に覆われた谷底に、ちょっと大き目の堰堤がある。

かつては、それが滝ノ奥の「滝」だったのかもしれない。

次回は「高羽町」。


2008年8月24日(日曜日)

第63話「高尾通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分18秒

高い尾根で「高尾」ということらしい。
箕岡や長峰と共に、「灘区の屋根」をなす。

摩耶ケーブル下から東に向かって、気持ちよく延びる道。

神戸大学の国維寮は、昭和41-42年の建築とされる。

建物は古めかしく、男子専用学生寮の趣きなのだが、中庭の石垣は、妙に味わいがある。何かの遺構だろうか。

敷地の脇には、「頌徳碑」の文字が刻まれた石碑が佇む。

かつて福住通にあった湊川高等実業女学校(湊川高等女子職業高校)が、阪神大水害で被災した犠牲者を追悼するために建てられたものであるという。

現在、湊川高等実業女学校の流れを汲む湊川短期大学(三田市)に、石碑を移転する計画が進行中とのことだ。(※毎日新聞2008年7月28日・神戸版参照)

摩耶ケーブルの駅前には、天上寺への道筋を示す石柱がある。草に隠れていて確認できなかったが、石は「摩耶十八丁」と記された丁石であるという。

1丁は約109メートル、36丁で1里。つまり18丁は半里で2キロメートル弱ということになる。元は別の場所に設置されていたものがここに移設されたそうだ。

春には桜のトンネルとして楽しませてくれる桜並木だが、今の時期には、照りつける真夏の日差しを遮る濃厚な日陰を与えてくれるのがありがたい。

次回は「高羽(字滝ノ奥)」(高羽町ではありません)の予定。


2008年8月10日(日曜日)

第62話「曾和町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分40秒

毎日、暑い日が続いている。

曾和町は、高羽小学校の北西、六甲登山口の交差点からは北東に位置する。

ソワとは、急な傾斜地や崖を指す言葉であるという。
元は、高羽村字岨。これに「曾和」の字を当てたとか。

和にして洋。
洋にして和。
それが今の曾和町の雰囲気だ。

曾和町には神戸ドイツ学院がある。
オリンピックのような絢爛たる「国際」ではなく、鬱蒼とした樹木に囲まれた物静かな「国際」は、高羽山手とも呼ぶべき、この地域の味わいを深めている。

ドイツ学院の裏手にひっそりと佇む平屋の住宅の小さな煙突が、実にいい味わいを醸している。


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