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2009年6月21日(日曜日)
第77話「長峰台」
2009年4月19日(日曜日)
第76話「中原通」
2009年3月1日(日曜日)
第75話「永手町・後編」
2009年2月2日(月曜日)
第74話「永手町・前編」
2008年12月21日(日曜日)
第73話「中郷町」
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2009年6月21日(日曜日)

第77話「長峰台」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分12秒

摩耶山の掬星台に上がって大阪方面を眺めると、そのすぐ左手にある、なだらかな長い峰を持つ山がある。標高687mの長峰山である。

峰筋をずっと市街部に下りていった尻尾の突端あたりが長峰台にあたる。護国神社から長峰坂を上がりきったところが長峰中学校だ。

ナダに坂道数多あれど、この長峰坂の名の知れ渡り方は、ちょっと不思議なくらいだ。

護国神社前の交番のある交差点から長峰中学校の門まで約550メートル。斜度や疲労感は言うに及ばず、ナダ区民不屈の精神を養う大リーグ養成ギブス的な役割を果たしてきた故の知名度であろう。

長峰中学校あたりの標高は200メートル弱なので、実際には篠原台や鶴甲団地の方が高い。実際の高さよりも高く感じることを「長峰坂効果」とでも呼んでおこう。

とは言うものの、長峰台が灘区屈指の標高を誇るエリアであることは間違いない。長峰台も、空の中の町なのだ。

長峰中学校の擁壁に、世界地図が現れていた。

そして門の前にある、石垣風の石柱。

何だろう?


2009年4月19日(日曜日)

第76話「中原通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分45秒

山手幹線よりもまだ上、阪急に沿って延びる中原通の名前は、
浜手と山手を分ける「中の手」の「中」に由来するという。

目と鼻の先の水道筋感を残しつつ、坂道の気配を感じさせつつ、阪急電車の音が響く。
東に行けば縦横に路地が絡まり合い、西に向かえばハイソな雰囲気の家もちらほら。

そんな中原通は、なるほどたしかに中の手の代名詞なのかもしれない。

中原通1丁目。
他人には教えない方がいいんじゃないかと思う場所の一つが、味のある路地。

「お邪魔します・・・」と呟いて玄関先に上がり込むような、
昼餉の匂いを嗅いでしまった罪悪感と幸福感が混ざり合ったような、
迷路のワクワク感と、手作りの庭先空間が同時に楽しめるような、
そんなステキな場所は秘密のままにしておきたいな、という気持ちでいっぱいになる。

最上級の路地空間から西にぷいっと吐き出されてみると、
そこは中央筋からひょいと上がったぶぎうぎロード。

ぶぎうぎが ぶぎうぎにきて ぶぎうれず ぶぎうぎかえる ぶぎうぎの声

西へ。

ひょっこりと顔を覗かせている「中原グランドキャニオン」。

アンドー先生も、このぐらいのスケール感だったらいいのに。

ふと気がつくと、祭りムードで賑わう王子公園だった。

中原通の懐は深い。


2009年3月1日(日曜日)

第75話「永手町・後編」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分57秒

レードルのドアの向こうには「貸店舗」の看板が置かれ、

その上には、無造作ではあるものの、いわくありげにエプロンがかけられていた。

誰かへのメッセージだろうか。

永手町4丁目、JR六甲道駅。

一日25000人以上が、この駅のホームから電車に乗り込む。

駅は人を吸い込み、人を吐き出す。

震災後、駅周辺の再開発は人口の急増をもたらした。

居並ぶ店舗も、群雄割拠、栄枯盛衰、生存競争。

変化のスピードに目が眩む。

人間の顔が見える町になるまで、もう少し時間がかかるのかもしれない。

夕方、駅から吐き出された人びとは、土に染みこむ水のように、

我が家へと帰って行った。


2009年2月2日(月曜日)

第74話「永手町・前編」

カテゴリー: - aiai @ 11時50分10秒

連れが「オムライスにはケチャップだよね」と言うので、

僕はカウンターに立つマスターに何気なく、本当に何気なく、

「ケチャップのオムライスってないの?」と尋ねた。

一瞥もせず、マスターは「そんなものは、どこでも食えるやろ」と言い捨てた。

翌月、再びレードルを訪れた時、あの、コピー用紙を丸めたようなメニューの中に、

「オムライス(ケチャップ)」の文字を見つけた。

その時僕は、なぜだか救われた気がした。

だがしかし。

そんな出来事の積み重ねが、傾いた喫茶店のマスターに閉店を決意させたのかと思うと、

なんとも自責の念でいっぱいだ。

永手町1丁目、「レードル」閉店の報せを耳にして以来、

あのときの出来事が繰り返し思い出されてならない。

永手町3丁目の蕎麦屋「よう」が閉店した時にも、

やはり、僕の心のざわざわという音は、しばらく鳴りやまなかった。

僕がもっとちゃんと通っていれば、店主のヨーコちゃんの愚痴を聞いてあげれば、

こんなことにならなかったかもしれない、と。

ある日気がついたら、Bar「fine」が無くなっていたときにも、

高架下にあるジャパンのオヤジのメガネが歪んでいても、

最近の六甲道を歩く時は、隙間風のような寂しさと向き合わなければならない。

(次回は永手町・後編)


2008年12月21日(日曜日)

第73話「中郷町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分32秒

中郷町は、徳井村の「中ノ郷」であったという。

中郷町には、徳井会館があり、会館の裏側には徳井村の住人だったと思しき

地蔵たちが隠居生活(?)を送るひな壇がある。

どうやら徳井村はここに健在のようだ。

中郷町と大和町にまたがるかたちで、大和公園が広がる。

二つを併せれば、かなりの面積になる。

公園にはテニスコートが整備されており、緑の金網の向こうから楽しげな声が溢れてくる。南側には木漏れ日と落ち葉に包まれた「公園」がある。

落ち葉を踏みながら歩く道は直径約40mの正円を描く。

何かに行き詰まった時、この円を五周ほど歩いたら道が開けてきそうだ。

ここだけではないけれど、「徳井会館前」という名前のバス停が、モノレールでも停まりそうな雰囲気になっていた。

停まるバスは1時間に一本程度だけれども、バス停だけが未来を先走ったのかもしれない。。。


2008年12月14日(日曜日)

第72話「友田町」

カテゴリー: - aiai @ 18時00分55秒

寒空の下に響くもちつきの杵音が、年の瀬を感じさせる頃となった。

子どもたちは、クリスマスと年末年始というビッグイベントが控える冬休みを、指折り数えているだろうか。

高羽川が二号線の下を潜って、海側にひょいと出てきたあたりから友田町は始まる。
友田町の南端は昔の西国街道・・・だという。

友田町、記田町、浜田町、深田町のいずれも、旧八幡村の字名から付けられた町名なのだが、

由来についてはどうにもはっきりしていない。

二号線沿いに桜口の交差点に近づいていくと、
金融保険機関の支店が一つ、二つ、三つと並んでいることに気がつく。

ナダのウォール街・・・なんてのは言いすぎだけれど、「100年に一度」の衝撃は、

このあたりのローカルな金融システムにも大きな影響を与えているに違いない。(と想像してみる)

二号線の山側にあるイタリア広場を囲む高層建築群を映すグランド六甲のガラスの壁。

震災を経た後も、遊び場としての形を追求し続けた結果、今の姿になったのだろう。

夜遅くまで、若者たちがたむろする新しい形の「盛り場」なのだろう、と思う。


2008年12月7日(日曜日)

第71話「徳井町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分14秒

嵐の後の冬の青空の下、灘区と東灘区の境界線に辿り着く。

公会堂を川向かいに眺めたあたりから、徳井町は始まる。

すっかり麺ロードの様相を呈している2号線沿線で、刀削麺の店構えが目を惹く。

ロードサイド系と地場系の店舗がランダムに並ぶのがこのあたり特徴か。

かつて徳井町は大工の町だったという。

灘の酒蔵建設に携わった大工の多くが徳井町に暮らしていたのだとか。

夜、徳井町の街路は青く光る。

防犯効果が云々とのことだが、クリスマスシーズンなので、赤いライトと交互に並べてみたら賑やかになって、効果抜群かもしれない。


2008年11月4日(火曜日)

第70話「寺口町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分01秒

行事や仕事に追われて、ふと気がつけば、だいぶ深いところまで秋が来ていた。

日頃の運動不足のせいもあって、坂の多いエリアにはなかなか足が向かないのだけれども、

ここはひとつ、小さい秋でも見つけようかと、気張って寺口町に向かった。

寺口町は、巨大な陸橋ができて久しい高羽の交差点から始まる。

新幹線のボディの曲線を思わせる陸橋の足下には、「右一王山」の小さな道しるべがこっそりと佇む。

寺口町の坂道を上がったり下がったりしながら、

この町を表す言葉を考え見たけれど、どうにも思いつかない。

細い坂道を上ったあたりに新築の建物が建ち並んでいたり、

古い文化住宅が斜面にへばりついていたり、突然空き地が広がっていたりして、

独特な雰囲気を持った場所だと思うのだけれど、、

細くランダムな階段のせいで、フゥフゥと息があがるばかりで、

そのうち周りを見るのもしんどくなってきた。

とにかく寺口町には、味のある坂道や階段がたくさんあるということだけは間違いないのだけれど、

ヨソ者を受けつけない、山城のような雰囲気に包まれているような気がしてならない。

次回は徳井町の予定。


2008年10月19日(日曜日)

第69話「鶴甲 後編 」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分43秒

鶴甲2丁目の下りのバス停から少しあがったところに、

「鶴甲山団地」と書かれた札がある。

大阪ガスの施設のようだが、詳しくは分からない。

詳しくは分からないが、鶴甲山の気配を残した貴重な表札だ。

そこから一気に、六甲ケーブル下駅から東に向かう脇道を登る。

翠光園、長寿の里、きしろ荘、鶴寿園、千山荘と鶴甲5丁目の老人ホーム団地を抜けると、

油こぶしを経由して六甲山頂方面に向かう登山道の入り口がある。

このあたりの標高は約300m前後なのだが、かつての鶴甲山の標高は327m。

山頂はちょうど神戸大の発達科学部あたりだったようなので、

ここからの景色に立ちふさがるように、鶴甲山が聳えていたのだろう。

今では木が生い茂り、すっかり景色は見えなくなってしまったのだが、

10年ほど前は、実によい眺めだったのでお気に入りの場所のひとつだった。

ケーブル下駅から昭生病院の方へ下ると大土神社がある。

水車が絞った菜種油の輸送安全を祈願するために建てられたという云われを持つ。

石垣に囲まれた独特の雰囲気を持つ神社だ。

ちょっと前まで、石垣の石を組んで作られた通り道があったのだが、

今では塞がれてしまっていて残念。

土山神社から、いったん炭山橋まで下りて「あじさいの道」の階段を上がると、

田崎真珠の「六甲台あこや工場」がある。六甲台とは言うものの、鶴甲3丁目である。

真珠を見極めるための「光」を選んだ結果、この場所に辿り着いたそうだ。

山側から入る安定した光が、真珠を見極めるのに最適だということで、

加工のための作業場はすべて山側に面しているのだとか。

最近、工場の北側にもマンションが建ってしまったが、

真珠を照らす「光」に変わりはないのだろうか。

次回は寺口町!


2008年10月5日(日曜日)

第68話「鶴甲 前編」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分00秒

鶴と甲(カメ?)という意味を採れば、実におめでたい地名だろう。

鶴甲山という山を削って造成された団地が完成したのは昭和42年。

西神ニュータウン同様、鶴甲の地下には、
削った土砂を運搬するトンネルが作られた。

そのトンネルは、今もひっそりと地中に残されているという。

以前、篠原伯母野山の記事の中で、町内の標高差について触れたことがある。

鶴甲の標高差は約150m。

鶴甲1丁目1番地は神大国際文化学部の入り口の下にある交差点あたりから、
鶴甲5丁目の老人ホームあたりの標高差がそのぐらいなのだ。

人が住んでいない摩耶六甲の山腹エリアを除けば、標高差は灘区随一だ。

鶴甲のまちが開かれた頃に設置されたと思われる、兜を模した記念碑。

そして小便小僧(?)。

ちょっとオッサン顔なのは、鶴甲団地とともに歳を重ねてきたからだろうか。

バス停の近くで、崖沿いにまっすぐ伸びる、ワイルドな歩道を見つけた。

歩きながら、かつて鶴甲山の雰囲気を想像してみたが、
坂道を駆け抜けるトラックの爆音に打ち消されてしまった。

ところどころ改修工事が進んでる神戸大のキャンパス。

部分的に、ではあるものの、何だか他所の大学に来たような、ちょっとしたヨソヨソしさを感じてしまう。

後編に続く。


2008年9月28日(日曜日)

第67話「土山町」

カテゴリー: - aiai @ 15時47分32秒

東灘区のずっと山手の方に上がっていくと、鴨子ヶ原や渦森台という地名がある。

ずいぶん遠いところのような気がするが、谷を挟んで灘区土山町が隣り合っている。

六甲病院や親和女子に向かう道を上がると、そこは山の上のマンション開発ラッシュ。

土山町は、その東側斜面を伸び上がっていく。
その一番高いところには、関西電力の新神戸変電所の敷地が広がっている。

「灘の御影」と言うと奇妙な表現かもしれない。

でも、御影山手や鴨子ヶ原と隣り合う土山町を歩くと、そんな表現がしっくりくる。

土山町なのに「プリオーレ御影山の手」なんてマンションがあったりする。

以前のゼンリン住宅地図に記載されていた「灘土山住宅」は、
大規模改修工事の末に「ヒルズ御影山手」なんて名前のマンションに変わってしまった。

石屋川の向こうにある、灘区悲喜交々。

若草幼稚園のところまで下ってくる。

橋を東側に渡っても、灘区なのだ。

土山町には旧徳井村の墓地があったという。

現在の「東明桜ヶ丘霊園」は、その名残だろうか。


2008年9月21日(日曜日)

第66話「高羽町 後編」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分39秒

高羽という地名は、平安時代の史料に現れるというから、古より伝わる由緒正しき地名である。

「鷹」にまつわる説もあるが、高=タカ=タケ=竹、羽=フ=ウ=生と読んで竹が生えた地だという説もあり、その由来は定かではない。

高羽川渓谷は、阪急と交差する南北で深みを見せる。

丹生神社は、水神が祀られているという。

高羽川沿いに建てられていて、祀神の由来や由緒は定かではないが、水が不足しがちな六甲の裾野の村々に水をもたらす神だったようだ。

だがV字に切れ込んだ高羽川の険しさを見ると、時に猛威を振るった水神を祀ったのではないかという気もしてくる。

最近改修工事が終わった高羽小学校の姿。

以下は前の校舎のお別れ会の時に撮った写真。

そして、高羽小学校すぐ西隣の高羽公園。

震災後、この公園に並んでいた仮設住宅に3年ほど通った記憶が蘇る。

だが、今はもう、何の痕跡もない。

側溝の上に店を構えていた靴と傘修理の「正直屋」さんも、跡形も無く消えてしまった。

おもろうて やがて哀しき 高羽道


2008年9月14日(日曜日)

第65話「高羽町 前編」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分11秒

石屋川と阪急、そして高羽の交差点にむかって上る山麓線に挟まれた三角地帯。

渋滞の抜け道にもならないこの場所には、孤島のような空気が漂う。

16系統の上りのバスが、阪急の橋脚すれすれに舐めるようにターンする交差点を西へ。
線路に沿って東西に伸びる路地を歩く。

古いが現役の掲示板には「高羽住田自治会」の文字が。

古い字(あざ)の名残を見かけると、宝物のように思えるのはなぜだろうか。

もう少し歩くと、「踏み切り地蔵」と名づけられた地蔵に出会う。

「高羽町 後編」に続く


2008年8月31日(日曜日)

第64話「高羽字滝ノ奥」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分27秒

「滝ノ奥」というぐらいだから、はじめはどれほど山奥なのかと思った。

かつては高羽村の入会地だったのだろう。

十善寺よりもさらに奥まった場所なのだから、表現としては間違ってはいない。

神戸大の国際文化学部脇にあるテニスコートの横を通り抜けたあたりを東に向かって橋を渡れば「高羽字滝ノ奥」なのだ。

「ごこう橋」という橋を渡ったところに、「六甲高羽アーバンライフ」というマンションだけがある。

周りを見渡せばマンションや建売住宅の開発ラッシュのようで、ゴリゴリと削られたベージュ色の岩肌が生々しい。

橋の下だけは、滝ノ奥の名にふさわしい濃い緑が覆い尽くしている。

木々に覆われた谷底に、ちょっと大き目の堰堤がある。

かつては、それが滝ノ奥の「滝」だったのかもしれない。

次回は「高羽町」。


2008年8月24日(日曜日)

第63話「高尾通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分18秒

高い尾根で「高尾」ということらしい。
箕岡や長峰と共に、「灘区の屋根」をなす。

摩耶ケーブル下から東に向かって、気持ちよく延びる道。

神戸大学の国維寮は、昭和41-42年の建築とされる。

建物は古めかしく、男子専用学生寮の趣きなのだが、中庭の石垣は、妙に味わいがある。何かの遺構だろうか。

敷地の脇には、「頌徳碑」の文字が刻まれた石碑が佇む。

かつて福住通にあった湊川高等実業女学校(湊川高等女子職業高校)が、阪神大水害で被災した犠牲者を追悼するために建てられたものであるという。

現在、湊川高等実業女学校の流れを汲む湊川短期大学(三田市)に、石碑を移転する計画が進行中とのことだ。(※毎日新聞2008年7月28日・神戸版参照)

摩耶ケーブルの駅前には、天上寺への道筋を示す石柱がある。草に隠れていて確認できなかったが、石は「摩耶十八丁」と記された丁石であるという。

1丁は約109メートル、36丁で1里。つまり18丁は半里で2キロメートル弱ということになる。元は別の場所に設置されていたものがここに移設されたそうだ。

春には桜のトンネルとして楽しませてくれる桜並木だが、今の時期には、照りつける真夏の日差しを遮る濃厚な日陰を与えてくれるのがありがたい。

次回は「高羽(字滝ノ奥)」(高羽町ではありません)の予定。


2008年8月10日(日曜日)

第62話「曾和町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分40秒

毎日、暑い日が続いている。

曾和町は、高羽小学校の北西、六甲登山口の交差点からは北東に位置する。

ソワとは、急な傾斜地や崖を指す言葉であるという。
元は、高羽村字岨。これに「曾和」の字を当てたとか。

和にして洋。
洋にして和。
それが今の曾和町の雰囲気だ。

曾和町には神戸ドイツ学院がある。
オリンピックのような絢爛たる「国際」ではなく、鬱蒼とした樹木に囲まれた物静かな「国際」は、高羽山手とも呼ぶべき、この地域の味わいを深めている。

ドイツ学院の裏手にひっそりと佇む平屋の住宅の小さな煙突が、実にいい味わいを醸している。


2008年7月27日(日曜日)

第61話「千旦通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分29秒

灘小学校は、千旦通にある。

昭和45年に、西灘小学校から分かれて出来たということだから、「西灘の東」という意味で「灘小学校」になったのだろうか??どなたかご存じだったら教えてください。

ところで、千旦通の「千旦」は、旧地名の「千旦ノ木」に由来するという。
千旦ノ木という地名は、和歌山県にもある。和歌山のそれは、松下幸之助出生の地であるという。

センタンノキという音からは、栴檀という種類の木を想像できるが、異論が多い。大阪の中之島にかかる栴檀木橋という橋の名前も、由来は明らかではない。

和歌山の千旦がセンダと読むことから、千旦=センダ=千駄(たくさん)と読み替えてみたり、センダキ=千駄焚き=雨乞いの儀式の場所だったという説もある。

灘の旧地名の「神ノ木」「辻の木」の並びで「千旦の木」を考える方法もあるというが、どうにも答えを見いだせない。

ところで前から気になっていたのだが、ここの地蔵には、地蔵盆専用のテントが備え付けられている。先見の明というか、準備がいいというか、実に大したものだと思う。


2008年7月20日(日曜日)

第60話「水道筋6」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分22秒

水道筋6丁目ではありませんが、夏の風物詩?ということで、7月18日に行われた都賀川の川開きの様子です。Tシャツを吊しているのは学生さんのプロジェクトでしょうか?

さて、水道筋6丁目です。

つい最近、ナダさんタマさんも訪れたという「H」なコトブキ。元ハイジの建物です。

炎天下の水道筋6丁目。アーケードがないので日差しがきついです。

歩いているとプレハブの店舗が目に付きます。

阪急王子公園から上筒井線への分岐のところも、実は水道筋6丁目なんですね。

山田スタンプの様子を写真に納めようとシャッターを切ったら、その直後にシャッターを全部閉められてしましました。。。ご機嫌を損ねたのかもしれません。

アーケードがなくても、食べ物系のお店をはじめとして、とても充実した6丁目です。

先週、「アマゾン」のお題を頂いていたのですが、どのあたりにあったのか確認するのを忘れました・・・。どなたかお教え下さいませ。


2008年7月13日(日曜日)

第59話「水道筋4,5」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分33秒

水道筋の朝9時。

店が動き始める。人が動き始める。

アーケードの屋根が開いて、夏空が顔を出す。


2008年7月7日(月曜日)

第58話「水道筋3」

カテゴリー: - aiai @ 13時29分30秒

三宮方面に向かう、水道筋3丁目のバス停は、まさに水道筋3丁目にある。山手幹線の南側とはいえ、立派に水道筋なのだ。畳屋が並ぶ、あの交差点だ。

まだ7月に入ったばかりだが、それにしても暑い。太陽の存在感は日増しに強くなる。山幹を渡って、アーケードの日陰に入る。店から溢れたエアコンの冷気に包まれた商店街や市場は、まさに真夏の癒しのスポット。

アーケードは、エアコンの空気を逃さない。

だが、逃さないのは温度だけではない。

七夕の笹の匂い、食べ物の匂い、そして汗臭い人間の匂いが混じった空気が逃れることなく、濃く立ち籠めている。

19世紀、パサージュと呼ばれたパリのアーケードを彷徨ったヴァルター・ベンヤミンは「雨が降れば、雨宿りの客が集まって、パサージュの店は儲かる」なんて書いているが、今年の灘の梅雨空はアーケードに潤いをもたらしただろうか。。。


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