
山手幹線よりもまだ上、阪急に沿って延びる中原通の名前は、
浜手と山手を分ける「中の手」の「中」に由来するという。
目と鼻の先の水道筋感を残しつつ、坂道の気配を感じさせつつ、阪急電車の音が響く。
東に行けば縦横に路地が絡まり合い、西に向かえばハイソな雰囲気の家もちらほら。

そんな中原通は、なるほどたしかに中の手の代名詞なのかもしれない。

中原通1丁目。
他人には教えない方がいいんじゃないかと思う場所の一つが、味のある路地。

「お邪魔します・・・」と呟いて玄関先に上がり込むような、
昼餉の匂いを嗅いでしまった罪悪感と幸福感が混ざり合ったような、
迷路のワクワク感と、手作りの庭先空間が同時に楽しめるような、
そんなステキな場所は秘密のままにしておきたいな、という気持ちでいっぱいになる。


最上級の路地空間から西にぷいっと吐き出されてみると、
そこは中央筋からひょいと上がったぶぎうぎロード。

ぶぎうぎが ぶぎうぎにきて ぶぎうれず ぶぎうぎかえる ぶぎうぎの声


西へ。

ひょっこりと顔を覗かせている「中原グランドキャニオン」。
アンドー先生も、このぐらいのスケール感だったらいいのに。

ふと気がつくと、祭りムードで賑わう王子公園だった。
中原通の懐は深い。


9月10日

王子公園駅から東へ1つ目と2つ目の踏み切りの間(中原通5丁目)、阪急の線路沿いの北側の道は昭和45年くらいまでは道幅が半分で線路沿いに小さな家がずらっと並んでいました。下駄屋さんや小さなスナックもあり、せまい道の上に覆いがあり、トンネルのような路地でした。昭和38年私の幼稚園時代、友達が夢の超特急の模型を見せてくれるというので、その線路沿いのお家に遊びに行き、夢の超特急の模型を動かして楽しい時間をすごしました。阪急が通るたびに家がみしみし揺れていた記憶があります。東海道新幹線開業1年前のことです。
Comment by 元灘区民 — 2009年5月4日(月曜日) @ 11時25分24秒