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2008年3月6日(木曜日)

第三のゾウすべり台

カテゴリー: - naddist @ 20時00分04秒

「そういや動物園にゾウの形をしたでかいすべり台があったな」
「どれくらいでかかったんですか?」
「そやな、摩耶山くらい」
「ま、摩耶山ですかっ」

こんな話を長老クミンから聞いたのは、以前「ゾウのすべり台」を紹介した後だった
でしょうか。
「ゾウの形をした」コンクリート製のすべり台でもなく「「ゾウ舎の近くにあった」
金属製のすべり台
でもない第三のゾウのすべり台があるという新たな証言。

で、それが摩耶山くらいでかい。

ま、どうせ○ケはじめたんだろうなと、その場はやりすごしたのです。
後日「灘建築夜話」担当のドクターフランキー氏から灘ダイガクの資料として
借りていた一冊の本「日本貿易産業博覧会神戸博会誌」をなにげに眺めていたところ
こんな写真が出てきたのです。

神戸博 子供楽園
うわあつ…でつかいな! 象のすべり台
「ウワッ、でっかい象やなあ、すごいや、三頭もいるぞ」と大勢の子供たちが歓声をあげてかけ
寄つてきたが、これは動く本ものの象でなく子供の楽園のよい子たちに楽しい夢を与えようと
木で作られた高さ約四十メートルもある象のスベリ台、生まれてまだ一度も生きた象を見たこと
のないヨイ子たちは大よろこびで次から次へと滑つてゆく、トンガリ帽子の並ぶおとぎの國の
三頭の象の滑り台は子供たちの人気者だった。(『日本貿易産業博覧会神戸博会誌』(1950)より抜粋)



げげっ!…本当にあったんだ…

神戸博とは以前紹介した通り、王子動物園が開園する直前の昭和25年に開催された博覧会、
つまり神戸博会場跡地が王子動物園になったというわけです。
この博覧会の子供楽園というのが、現在の王子動物園遊園地。
そしてそこにいたのが摩耶山にまつられているお釈迦さんの生母マーヤに仕えるインド象然
としたゾウ(のすべり台)。
前述の長老クミンが言っていた
「ゾウの形をしたでかいすべり台」とはこのことだったのです。
ま、どう考えても摩耶山よりは小さいですが、灘っ子たちには大きく見えたのでしょうか?
その高さ40メートルって…。
いや、どう考えても10メートルくらいなんですけど。

やっぱり摩耶山がらみだけにホラ(貝)吹き話だったんでしょうかね。(注)


(注)霊峰としてあがめられた摩耶山では、古くから修験道がホラ貝を吹き駆け巡っていた。
   彼らは麓のクミンたちに「天狗」と呼ばれ恐れられていた。今でも山中に天狗塚、天狗岩
   などという名称が残っているのはその名残である。
   天上寺に伝えられたインド文化と日本古来の修験道文化が混じり合い摩耶山独特の
   「汽水域的ブレンド山文化」が形成されていった。
   これがいわゆる「マヤ文明」である。
   実は「リュックサックマーケット」もこの本流に乗ったブレンド山文化的行事である。
   現在でもときおりリュックサックマーケット会場に行者が現れ、出店者の度肝を抜き、
   その深遠なる音色を摩耶の山々に響かせている情景を見るがいい。




【関連イベント】
2008年3月9日に王子動物園ホールにて「第3期灘ダイガク終了記念講演会」が開催されます。
最終講義は「王子動物園学」
懐かしい動物園の映像も上映されます。
申込不要、聴講料無料ですのでふるってご来場ください。
詳しくはこちらで↓
第3期灘ダイガク終了記念講演会


2008年1月7日(月曜日)

王子カレーと昼ビール

カテゴリー: - naddist @ 10時30分11秒

あけましておめでとうございます。
本年もナダタマならびにZOOマニアをよろしくお願いいたします。

「おせちもいいけどカレーもねっ」てキャンディーズが年末年始のCMで笑顔を
振りまいてから30年が経ちました。早いものです。
いや別にキャンディーズでなくても、正月三が日にカレーを食べる灘クミンの
割合はかなり多いと思われます。
それは灘クミンにとってカレーはDNAフードでもあるからです。
今から1400年前、摩耶山天上寺を開祖したインドの高僧・法道仙人が摩耶山に
もちこんだソース「カリ」が日本で最初のカレーの原型と言われています。

すいません、ウソです。

でも元日の午後、篠原公園あたりでしゃかりきになって凧を揚げている頭に
ターバンを巻いた少年が
「むかつくわ!糸からまってもうたわ!」
とじだんだ踏んでいる姿をみて
「ああ、灘の正月だなあ。カレー食べなきゃなあ」
と思ったあなたは生粋の灘クミンです。

すいません、動物園ネタになかなか入りませんね。

ま、クミンそれぞれで灘のカレー初めをしていただければ結構なのですが、
年の初めということで王子動物園のカレーはなどはいかがでしょうか。
昨年閉鎖された北食堂が11月にカレー専門食堂としてリニューアルしたことは、
ZOOマニアの皆さんならすでにご存知でしょう。

カレー王子

「カレーステーション カレー王子」
あまりにものストレートさにクラクラしませんか?
あきらかにニューベイビー「子ゾウのオウジ」を意識したと思われるロゴ。
もう「あ〜あ、やっちゃった〜」って感じしませんか?
でも、「カレーが食べられない動物園は動物園じゃない」と思っている私にとっては
そんなことはどーでもよいのです。

カレー王子POP

とりあえず入ってみましょう。
松蔭女子の学祭を彷彿とさせるPOPがそそります。
なんだかこだわっているのか投げやりなのかわからない雰囲気がキュートです。

カレー王子メニュー

この店、旧北食堂同様伝統の食券方式になっています。
メニューの「王子カレー」が気になります。
というより最初見た時「玉子カレー」かと思いました。
もし王子カレーに玉子をオプションでつけた場合、
「王子玉子カレー」になるのか、なんだかまぎらわしいな。
すいません、そんなことはどうでもいいですね。
「デラックスカレー」の盛りつけも気になります。
やんちゃな灘っ子ならきっと
「あ!○ン○ンカレーや!」
と嬌声をあげるはずです。

失礼しました…。

カキフライカレーというのが珍しかったのでそれにしました。
カレーとくればビールが欲しい。
がしかし、券売機にビールはなし。
あきらめてはいけません。
ビールは裏メニューになっています。
窓口のオネエサンの耳元で、声を潜めてそっとささやいてみてください。
「…ビール、ある?」
「…缶ビールなら…あります」
このコソコソ感がうれしい。ヒソヒソ感が楽しい。
動物園という健康的な施設で、なにやらよからぬ取引をしている後ろめたさがうれしい。

やがてカキフライカレーと缶ビールが運ばれてきました。
観覧車を眺めながらビールをゴクリ。
子ゾウのオウジに思いを馳せながらカレーをパクリ。
法道仙人に感謝しつつカレーをパクリ。
動物園で王子カレーと昼ビール。
幸せにつつまれるひと時です。

そして灘クミンであればさらにもう一工夫をお願いしたい。
寿司折やお弁当についている小さな醤油入れありますよね。
魚の形をしたやつ。
あれにプリンスズー前の地ソースメーカー、平山食品の
「プリンセスソースウスター」を入れて懐中にお持ちいただきたい。
そして王子カレーにそーっとかけていただきたい。
さすれば、灘区オリジナルのとっておき動物園カレー
「王子王女カレー(プリンプリンカレー)」が完成します。
そしてこれに玉子を追加すれば
「王子王女玉子カレー(プリンプリンタマカレー)」になるのです。
だまされたと思って是非一度お試しくださいな。
(注)玉子もご持参ください。

カキフライカレー


2007年12月10日(月曜日)

シリ過ぎたゾウ(その2)

カテゴリー: - naddist @ 12時00分16秒

たくさんのシリが過ぎていったゾウのすべり台
「ゾウのすべり台はゾウのオリの近くにあったで」
「いやゾウのすべり台は遊園地の北でしょう」
「遊園地の北は学校があったはずや」
「学校って海星ですか?」
「ちゃうちゃう、商業学校があってん」

ゾウのすべり台の位置についてのベテランと若手の間での論争。
最近になって、灘大学3回生T村さん所蔵の1枚の写真によって
終止符が打たれました。
下記の写真です。

ゾウ舎前すべり台(S27)

昭和27年の稗田幼稚園の卒園アルバムにあった王子動物園内で写された
スナップです。
子どもたちの後ろに2基のすべり台が写っています。
よく見てください。
その後ろに「ビスコ」の広告テントに被われた喫茶室が見えます。
つまりすべり台の上が遊園地ということになります。
ということはすべり台をおりたところがゾウ舎。
しかもゾウ型ではなく鉄製のシンプルな構造です。
ベテランクミンの言っていた「ゾウのすべり台」は、ゾウ型のすべり台ではなく
「ゾウ舎の前にあったすべり台」であったということが判明しました。
これは灘的には桜ヶ丘の銅鐸発見をも凌駕する大発見でした。
やがてこの「ゾウ舎前すべり台」は消滅し、現在のスベリゾウのみに
なったようです。
下は現状の写真です。

ゾウ舎前すべり台跡(H19)

かつてすべり台があったところにはいつも諏訪子さんがいます。
子どもたちで賑わっていたゾウ舎前すべり台がなくなって
いちばん寂しがっているのは、実は諏訪子さんかもしれません。

さて、今週末12月15日(土)10:30より、いよいよ諏訪子孫の
お披露目会があります。
同時に名前も発表されるそうです。
ナダタマ案は果たして採用されたのか??
乞うご期待。

子ゾウの一般公開告知


2007年12月3日(月曜日)

シリ過ぎたゾウ(その1)

カテゴリー: - naddist @ 12時00分25秒

ズゼ&マックのベイビーエレファント誕生にわく王子ZOOですが、
忘れてはいけないゾウがあります。
王子動物園きっての人気者「スベリゾウ」。
コンクリート製のモダンなフォルムの2匹のゾウの鼻がすべり台になっている無料の遊具。
遊園地の奥、ロケーション的にはかなり裏感のある場所なのですが、
休日はいつも子どもたちで賑わい、順番待ちしている風景が展開されています。
灘っ子なら阪急王子公園駅(旧西灘駅)のアーチ下斜面とともに、
一度は滑ったことのある場所でしょう。

すべりゾウ(南景)

あまりにもよくすべるので「受験前には近づいてはいけない」という
灘伝説を産んだ場所でもあります。
「ウチは親子三代でお世話になっています!」
という人もいるくらい歴史もあり、手元の資料によると昭和30年代の
園内地図にはすでに「スベリ台」の文字が確認できます。
王子動物園の開園が昭和26年ですから、開園後しばらくして設置された
ようです。いったいどれくらいのケツ圧を受け止めて来たのでしょう。
王子動物園はご存知の通り「坂の動物園」。
園内は高低差があり、そこを坂や階段でつないでいく。
まさに神戸らしいワクワク空間シークエンスが表現された施設です。
このすべり台も敷地の高低差を利用した遊具。
王子動物園ならではといっていいでしょう。

すべりゾウ(H19)

すべりゾウ(S50年代)

上が現在平成19年、下が今から30年ほど前、昭和50年代のすべり台の
写真です。
耳の色、手すりの色など忠実に継承されていることがわかります。
30年前の写真には外国人の灘っ子たちの姿も確認できます。
現在は六甲アイランドに移ってしまった外国人学校「カナディアン
アカデミー」がまだ長峰にあったころ。
日本の子と外国の子が同じすべり台を共有し平穏に遊んでいる姿を
見ると、大人の世の中は子ども以下であることがよくわかります。
日本人の子が秩序を乱そうとすると、金髪の少年が
「何しとん!ちゃんとならばんとアカンよー!」
と流暢な神戸弁でたしなめていた姿が目に浮かびます。

実はこのすべり台に関して、ベテラン灘クミンと若手クミンの間で
長らく論争がありました。
どうやら長老によると
「すべり台は今の場所(遊園地北)やなくて、ゾウ舎の北(遊園地南)
にあった」らしいのです。  
                           (つづく)

[写真]なだだなVol.8(灘区民まちづくり会議編)より


2007年9月24日(月曜日)

ロボコン広場

カテゴリー: - naddist @ 18時30分30秒

ゆるキャラブームが続いています。
神戸ではばタン、ワケトンなどが有名なわけです。
はばタンなんか国体終わってもがんばってますからね。
灘区では今年「水道筋汗かきえびす」なるゆるキャラが
生まれました。
先輩たちのように人気が出るかどうかははなはだビミョーですが、
水道筋活性化のため一汗かいていただきたいものです。

ま、新しいキャラクターが生まれてくるのもそれはそれで良い
ことなのですが、やはりご先祖様をわすれてはいけません。
いわゆる街の「古(ふる)キャラ」達です。
元祖街キャラのお地蔵さんを始め、まちなかにはたくさんのふるキャラ
ひっそりと生き続けています。

ここ王子動物園にもふるキャラがいます。
いや、動物じゃないですよ。
ロボットです。いや正確には「ロボット風着ぐるみ」。
石森章太郎原作、なつかしの「ロボコン」です。
ロボコンをはじめロボワル、ロボプー、ロボパーなど
放送コードギリギリのめくるめく「ゆるロボ」たちが、1970年代に
子どもたちの心をがっしりとわしづかんだのは周知の通り。
このロボコンがひっそりと王子動物園で余生を送っています。

ロボコン

かつてロボコンは王子動物園遊園地のシンボルとして人気を博しました。
遊園地入り口で子どもたちを迎えてくれていたのです。
やがて20年の歳月が過ぎその役をアンパンマンへと譲ります。
で、これが王子動物園が偉かったところなのですが、引退したロボコンを
お払い箱にしなかったのです。
ロボコンは「ロボコン広場」という第二のステージを与えられ、
いつまでも子どもたちを見つめることになりました。
しかもいつもピカピカに磨かれています。

ロボコン広場案内

うれしいじゃありませんか。
今、灘区では古いものがどんどん失われています。
もちろん新しいものが生まれつつ未来へとつながっていくわけですが、
古いものに敬意を払わない街はきっと奥行きのない街になるはず。
ふるキャラも新キャラも共存できる「多キャラ共生思想」が
今後の灘区が目指すテーマの1つではないでしょうか。

ロボコン


2007年7月14日(土曜日)

さよなら王子動物園第一ゲート

カテゴリー: - naddist @ 12時30分25秒

王子動物園第一ゲートがまもなくなります。
じゃあ、どこから入るのって?
もちろん正門はあります。
第一ゲートはもう少し南にあります。
そう動物園をずっと南におりてください。
阪急の「灘アーチ橋」を越え、パンスト(灘駅前商店街・パンダストリート)を
抜けて…って、灘駅についちゃいましたね。
そう、実は灘駅に「王子動物園第一ゲート」はあるのです。

阪急王子公園駅とともに動物園の最寄り駅でもあるJR灘駅。
現在、灘駅舎の立て替え工事が進んでいます。
戦争、水害、そして震災までも乗り越えた駅舎が、
橋上化によって消えます。
そして、本日7月14日がその旧駅舎改札口の最終改札日です。
その改札口の左手に鉄の柵があったのを覚えていらっしゃいますでしょうか。
なにやら暗号のような文字が書かれている柵。
この柵、実は灘駅から王子動物園など王子公園周辺の集客施設に行く団体客
などをさばくためのゲートです。
これこそがJRでの来場者用の「王子動物園第一ゲート(灘駅口)」です。

なだ通常

このゲートには巧みの技が仕掛けられています。
ぱっと見、暗号に見えた文字があら不思議、ゲートの開閉とともに「なだ」
という文字がゲートに浮かび上がります。

なだ完成

最初これを知ったときは、うなりました。
今の時代、電光掲示板、LED、液晶プロジェクターで「なだ」の文字を浮かび
上がらせることはもちろん可能でしょうが、それじゃつまんない。
あるいは安易にパンダのイラストで飾り付けても、文化の香りがしない。
このローテクでストイックな仕掛けにこそ知恵があります。愛があります。
魂があります。
この匠のゲートを出てまっすぐ進むと王子動物園の正門にたどりつく、こういう案配です。

そして灘魂と来灘者へのあたたかいホスピタリティあふれる
このゲートは旧灘駅舎とともになくなります。

本日7/14(土)23:30ごろより「灘駅改札通り納め会(主催:ナダタマ)」を行います。
また灘駅へ来られない方のために、同時刻より翌1:00ごろまで灘駅舎改札最終日の模様を
ライブカメラでお届けします。
以下の動画プレーヤーおよびトップページ右の動画プレーヤーでお楽しみください。
いや、泣いてやってください。
(台風接近による悪天候の場合、ライブ不能になることもあります。
あらかじめご了承ください)

ブログパーツならStickam!

[参考]
[naddist 060923-212]劇的!灘駅の匠


2007年5月7日(月曜日)

さよなら北食堂

カテゴリー: - naddist @ 08時00分13秒

今年のゴールデンウィークは天候に恵まれた。
摩耶山のドライブウェーでは、六甲山牧場を目指す車が渋滞し、
五毛天神の春祭では、地車の宮入を見物するたくさんの人が
天神筋にあふれた。
もちろん王子動物園にもたくさんの人が訪れたのだが、
まるでエアポケットのようにぽっかりと静かな場所があった。

北食堂

昨年末、遊園地内にある北食堂が閉店した。
大食堂の雰囲気をちょっぴり残した、味のある食堂だった。
かつてそごう、大丸、三越、神戸のデパートにも必ずあった大食堂。
長大なショーケースにならぶ、めくるめく食品サンプル。
入り口で食券を求めて席につくと、ウエイトレスが半券をもぎって
いった。ぬるめのお茶はセルフで、プラスチッキーな茶瓶の周りに
花びらのように湯のみが配置されていた。
あの「何でもある感」「みんなで食べる感」に満ち満ちていた昭和の
レストランは、屋上の小さな遊園地とともにデパートから姿を消した。
そしてそれらは王子動物園内にのみ残った。

北食堂は南食堂に遅れること6年、昭和46年に開店。
1階は子ども汽車プラットホーム、2階が食堂という
なかなか画期的なプランニングだ。
3方が開口部の明るい店内には、いつも親子連れの笑い声が響いていた。

閉店した食堂には休業を伝える張り紙があったが、誰も気に留めない。
南食堂(レストランパオパオ)の異常な混雑振りが、北食堂閉店の影響だと
いうことに誰が気づいたであろう。
王子飯店とともに、灘からまた一つひっそりと小さな昭和が消えた。

北食堂閉店の張り紙


2007年4月30日(月曜日)

プリンスZOOの赤いプリンセス

カテゴリー: - naddist @ 19時00分15秒

福神漬が嫌いな人は多い。
カレーに添えられているアレ。
「甘酸っぱさが気に入らん」
「この赤さがあざとくてヤだ」
人それぞれの理由があるだろう。
そして福神漬が嫌いな人は紅生姜も嫌いだという場合も多い。
「じゃ、ラッキョでいいじゃん」
いや、カレーにラッキョもいいですよ。
でもやはり色が欲しいんですよ。
あの「赤」が欲しい。
牛丼にラッキョがのってたら、吉野家の成長はなかったはず。
やはり、牛丼には紅生姜。
あの「赤」が欲しい。

王子動物園の「赤」と言えばやはりフラミンゴ。
ゲートを入ってすぐ左、まず我々を出迎えてくれるトップバッター
アニマル、プリンスZOOの看板プリンセスだ。
王子動物園には数々の日本一があるが、このフラミンゴは繁殖数が
日本一。総繁殖数は460羽を超えた。
フラミンゴとはラテン語で炎を表すフランマが語源だといわれている。
実際のこのフラミンゴの赤はオキアミやサクラエビ等のえさに含まれる
カンタキサンチンという色素によるものだそうだ。
「フラミンゴは血で子を育てる」といわれるが、この母乳のような液体、
いわゆるフラミンゴミルクも赤いのだ。
鮮やかな朱が、白い羽毛と溶け合った淡いピンク色は、
春に咲き誇る園内のソメイヨシノに負けないあでやかさ。

そう、この色があるからこそ白黒のパンダが引き立つことを忘れてはならない。
この華奢さがあるからこそ、象のマックの大きさを実感することができる
ことを忘れてはならない。
やはり彼らは王子動物園の福神漬的存在なのだ。

そしてGW前後、この赤が一段と鮮やかになるとフラミンゴ池はベビー
ラッシュを迎える。
園内でも評判のおしどり夫婦、いやフラミンゴ夫婦が交代で卵を暖めて
いる姿がみられる。
やがてグレーの小さなこの街のプリティフラミンゴ誕生のニュースが、
今年も灘の春の風物詩になるはずである。

フラミンゴ

3月21日(水・祝)〜10月30日(火)
特別展「フラミンゴ特集」〜繁殖日本一の舞台裏〜
動物科学資料館特別展示室にて開催


2007年3月26日(月曜日)

動物園の桜悲話

カテゴリー: - naddist @ 14時00分40秒

「今年の夜桜の通り抜けはいつごろやろ?」
そんな会話がちらほら聞こえてくる頃、動物園も春を迎える。
すっかり灘トリビアでもなんでもなくなったが、王子動物園には
神戸海洋気象台の桜の標準木(植物季節観測用標本)がある。
ゲートを入ってちょうど正面の木。
つまりこの桜の木で、神戸の桜が何分咲きかを判断する。
桜の開花に関しては灘が神戸のスタンダードだ。
標準木""

標準木

そして間もなく王子動物園には桜が咲きほこる。
1998年に復活した王子動物園名物「夜桜通り抜け」だが、
長らく中止されていた理由をご存知だろうか。
かつては通り抜けではなく「夜間開園」であったので、
案の定園内で宴会が始まる。
酒と桜は人の心を狂わせる。
被害者は動物達だった。
やがて酔客は動物に酒を飲ませたり、タバコを吸わせたり
傍若無人に振る舞う。
カバの出目男はビニール袋を食べさせられ死んだ。
「キリンは食欲をなくし、下痢が止まらないチンパンジーや
カンガルー、照明と騒音により産卵期に入ったコウノトリなどの
鳥たちが巣作りや産卵を中止した」(王子動物園50周年史より抜粋)
そして王子動物園の春の夜間開園は中止になった。

そんな動物たちがひっそり眠るお墓(慰霊碑)がゲート西の
無料休憩所の北にひっそりとある。
桜を楽しんだ際は、是非手を合わせていただきたい。
動物慰霊碑

そして桜の通り抜けは、一杯ひっかけてワイワイ騒ぐのではなく
しっとりと楽しんでいただきたい。
夜は動物たちがストレスから解放される唯一の時間なのだから。
王子動物園の夜桜を楽しむ心あるクミンの皆様へ、
ナダタマからのお願いです。
桜


2007年3月12日(月曜日)

神戸博の痕跡(王子の野音)

カテゴリー: - naddist @ 11時00分36秒

ナダタマアニマル選定を少しお休みして、王子動物園ができる前の
王子公園に思いを馳せてみたい。

ポートピアが開かれる30年前、大阪万博の20年前の1950年、
ここ原田の森で大規模な博覧会が開催された。いわゆる「神戸博覧会」。
この跡地にできたのが王子動物園だということを知る灘クミンは
すっかり少なくなってしまったが、後世に語り継がなければならない
史実である。
そのあたりの詳細については私が語るよりも、ナダタマ建築系ブログ
「灘建築夜話」担当のdr.フランキー氏がそのうち滔々と語ってくれるに
違いないが、まずはプロローグということで。
神戸博

灘区で博覧会。
まずこの事実に驚かざるを得ない。
この神戸博はいわゆる万国博ではなく、貿易博覧会であった。
でも当時のパンフを見るとちゃんと外国館もある。
博覧会というと西の国や東の国からいろんな人が「こんにちは!」と
いいながらやってきて、お祭り広場で盆踊りなんかはじめちゃうのだが、
このお祭り広場にあたるのが「野外劇場」だった。
昭和52年まで動物園内に残っていたので覚えている方もいるかもしれない。
小学校の頃、勝手にステージの上に上がって「傷だらけのローラ」を熱唱したり、
神戸市消防局のブラスバンドの演奏が行われたりと、日比谷の野音を彷彿させる
灘区が誇る劇場であったが、現在ゴリラがいる放養式獣舎の建設に伴い取り壊された。
施設としては「杜の館(旧原田神社社務所、通称原田パビリオン)」とともに
神戸博覧会からの施設だっただけに残念だ。

野外劇場

しかし、園内をつぶさに観察するとまだ遺構を確認することができる。
王子動物園は神戸らしい、傾斜のある動物園。
北へ向かって坂道を上りつめると「北圜」の表示が目に入る。
少しレトロでなんとなくモダンなフォント。
ここが神戸博北園エリアだ。
ここからはさらに急なスロープであがるのだが、このスロープ
まわりは今でも神戸博当時の面影を色濃く残している。
この北圜は当時「海運ゾーン」で、東北館、九州館、帝国酸素館などの
パビリオンがあった。
今ではキリンが木の葉をほおばり、カンガルーがゴロゴロとねそべり、遠い目をしているダチョウがいる
王子動物園随一のアンニュイエリアだ。

50年前の神戸博の痕跡を見つけ、想像力を働かせ思いを馳せてみる。
こんな楽しみかたも王子動物園の通な味わいかたかもしれない。
北圜入り口


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