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2007年3月26日(月曜日)

動物園の桜悲話

カテゴリー: - naddist @ 14時00分40秒

「今年の夜桜の通り抜けはいつごろやろ?」
そんな会話がちらほら聞こえてくる頃、動物園も春を迎える。
すっかり灘トリビアでもなんでもなくなったが、王子動物園には
神戸海洋気象台の桜の標準木(植物季節観測用標本)がある。
ゲートを入ってちょうど正面の木。
つまりこの桜の木で、神戸の桜が何分咲きかを判断する。
桜の開花に関しては灘が神戸のスタンダードだ。
標準木""

標準木

そして間もなく王子動物園には桜が咲きほこる。
1998年に復活した王子動物園名物「夜桜通り抜け」だが、
長らく中止されていた理由をご存知だろうか。
かつては通り抜けではなく「夜間開園」であったので、
案の定園内で宴会が始まる。
酒と桜は人の心を狂わせる。
被害者は動物達だった。
やがて酔客は動物に酒を飲ませたり、タバコを吸わせたり
傍若無人に振る舞う。
カバの出目男はビニール袋を食べさせられ死んだ。
「キリンは食欲をなくし、下痢が止まらないチンパンジーや
カンガルー、照明と騒音により産卵期に入ったコウノトリなどの
鳥たちが巣作りや産卵を中止した」(王子動物園50周年史より抜粋)
そして王子動物園の春の夜間開園は中止になった。

そんな動物たちがひっそり眠るお墓(慰霊碑)がゲート西の
無料休憩所の北にひっそりとある。
桜を楽しんだ際は、是非手を合わせていただきたい。
動物慰霊碑

そして桜の通り抜けは、一杯ひっかけてワイワイ騒ぐのではなく
しっとりと楽しんでいただきたい。
夜は動物たちがストレスから解放される唯一の時間なのだから。
王子動物園の夜桜を楽しむ心あるクミンの皆様へ、
ナダタマからのお願いです。
桜


2007年3月19日(月曜日)

原田にあった原田中学

カテゴリー: - naddist @ 10時30分25秒

前回の神戸博のネタでも紹介したが、現在王子動物園のある王子町は
元々原田の森といわれた、樹木が生い茂るうっそうとした森であった。
森の中には高林神社と原田神社という2つの社があった。
ということで、古くはこの王子動物園周辺が原田と呼ばれた地域であった。
今回は、この「原田」にまつわる秘話を綴ってみたい。
また動物園とはズレるが、これもまたこの地の歴史ということでご容赦。

灘区内には5つの公立中学校がある。
それぞれの中学校は通常その学校が存在する地名にちなんで名前がつけられる。
上野中学は上野にあり、烏帽子中学は烏帽子にあり、鷹匠中学は地名ではないが、
長峰中学は長峰にある。
問題は原田中学校である。
船寺通にある原田中は地名=校名の原則からすると、船寺中学、あるいは西灘中学、
旧字名でいけば味泥中学でなくてはならない。
前述のように、原田とは王子動物園周辺の地域である。
だいたい想像がつくかと思うが、原田中学は確かに原田にあった。
正確に言うと王子動物園の東、福住小学校の中に開校した。
しかし、開校後すぐに上野中学が分離、上野、原田地域の子供たちは
上野中学へ入学するようになった。
原田を追い出された原田中学は摩耶小学校へ移転。
ここで「摩耶中学校」に落ち着くのが筋であるが、原中はまた流転する。
西灘、稗田小学校の学童を受け入れるための学校として、現在地の
船寺通へ移転、しかし校名はそのまま「原田」を名乗った。
こうして「原田にない原田中学校」が誕生した。
花園町(現六甲町の一部)にあった花園中学が長峰に移転し、長峰中と
校名変更したのとは対照的である。
余談だが原田中学から分離した中学校は原田第二中学校(原二)とならずに
烏帽子中学になった。

昭和24年原田神社は移転し王子神社に名前を変え、
昭和26年、原田の森は「王子公園(王子動物園)」と名前を変えた。
だが、原田にない原田中学校は残った。
もし原田の地に原田中学がそのまま残っていたなら「王子中学」に
なっていた可能性もある。
王子動物園から遠くはなれた原田中学校の校区である岩屋北町に
王子動物園の臨時駐車場がある。
こんなところに誰が車を止めるというのだろう?
いや、それも原田の縁かもしれない。

王子動物園臨時駐車場


2007年3月12日(月曜日)

神戸博の痕跡(王子の野音)

カテゴリー: - naddist @ 11時00分36秒

ナダタマアニマル選定を少しお休みして、王子動物園ができる前の
王子公園に思いを馳せてみたい。

ポートピアが開かれる30年前、大阪万博の20年前の1950年、
ここ原田の森で大規模な博覧会が開催された。いわゆる「神戸博覧会」。
この跡地にできたのが王子動物園だということを知る灘クミンは
すっかり少なくなってしまったが、後世に語り継がなければならない
史実である。
そのあたりの詳細については私が語るよりも、ナダタマ建築系ブログ
「灘建築夜話」担当のdr.フランキー氏がそのうち滔々と語ってくれるに
違いないが、まずはプロローグということで。
神戸博

灘区で博覧会。
まずこの事実に驚かざるを得ない。
この神戸博はいわゆる万国博ではなく、貿易博覧会であった。
でも当時のパンフを見るとちゃんと外国館もある。
博覧会というと西の国や東の国からいろんな人が「こんにちは!」と
いいながらやってきて、お祭り広場で盆踊りなんかはじめちゃうのだが、
このお祭り広場にあたるのが「野外劇場」だった。
昭和52年まで動物園内に残っていたので覚えている方もいるかもしれない。
小学校の頃、勝手にステージの上に上がって「傷だらけのローラ」を熱唱したり、
神戸市消防局のブラスバンドの演奏が行われたりと、日比谷の野音を彷彿させる
灘区が誇る劇場であったが、現在ゴリラがいる放養式獣舎の建設に伴い取り壊された。
施設としては「杜の館(旧原田神社社務所、通称原田パビリオン)」とともに
神戸博覧会からの施設だっただけに残念だ。

野外劇場

しかし、園内をつぶさに観察するとまだ遺構を確認することができる。
王子動物園は神戸らしい、傾斜のある動物園。
北へ向かって坂道を上りつめると「北圜」の表示が目に入る。
少しレトロでなんとなくモダンなフォント。
ここが神戸博北園エリアだ。
ここからはさらに急なスロープであがるのだが、このスロープ
まわりは今でも神戸博当時の面影を色濃く残している。
この北圜は当時「海運ゾーン」で、東北館、九州館、帝国酸素館などの
パビリオンがあった。
今ではキリンが木の葉をほおばり、カンガルーがゴロゴロとねそべり、遠い目をしているダチョウがいる
王子動物園随一のアンニュイエリアだ。

50年前の神戸博の痕跡を見つけ、想像力を働かせ思いを馳せてみる。
こんな楽しみかたも王子動物園の通な味わいかたかもしれない。
北圜入り口


2007年3月4日(日曜日)

大空を翔ぶ夢を見た

カテゴリー: - aiai @ 07時59分50秒

「玄関開けたら5分でパンダ」の好条件に恵まれた我ら灘クミン。
イノシシ問題もさることながら、灘の「動物度」は高い。

ところで、のっけから動物の話でなくて恐縮ですが、 『新明解国語辞典』をご存じでしょうか。日本語を独自の解釈で説明する、ユニークな辞典として知られています。

個人的見解のような語句説明への批判を踏まえてるのかどうか知りませんが、版を重ねるごとに内容が変化していきます。「新解さん」の愛称で親しまれるこの国語辞典の中でも、とびきり有名な「説明」があります。

 

「動物園」

 

版ごとに異なる、「動物園」の説明を抜き出すと、次の通りです。

 第二版・第三版「鳥獣・魚類などを(自然に近い状態で)飼い、観覧者に見せる公園風の施設。」

第四版「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し捕らえてきた多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする人間中心の施設。」

第六版「捕らえて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設」

 

第四版の説明だけを覚えて育った子どもがいたら、きっと動物園が嫌いになるだろうなぁ・・・という疑問を胸にそっと仕舞いつつ、王子動物園のゲートをくぐります。

 

もちろん、平日の昼下がり。男一人で動物園。

そんな「ひとりde動物園」が気になるかと思いきや、真剣に動物をスケッチする若い女性や、子ザルを抱えているのかと間違えそうなぐらい巨大なカメラを胸に抱いているオッチャンなど、「ひとり客」にも優しい王子動物園です。ちょっと安心。

 

・・・いや、実は安心してる場合ではありません。
今回は、尊いミッションを果たすために来園したのです。

本日の目的はただ一つ。新明解第四版の「動物園」の解釈を凌駕するぐらい、最も自由に生きている(気がする)動物をスカウトしに来たんですっ!!

そう、つまりそういうことなんですよ、動物(&飼育員)のみなさん。やっと分かっていただけたようなので、大リーグのスカウト並みに厳しい目線で選び抜いた動物をご披露しさせていただきます。

あ、その前に、他の動物の写真も撮ってきたので、少し紹介させてください。

 

コバタン:キバタンなどと共に、白色オウム「COCKATOO」の仲間です。2004年に開催された「第13回ワシントン条約締約国会議」でコバタンは、学術目的以外に輸出入を禁止する、とても厳重な保護措置の対象となったそうです。生息地はインドネシアのスラウェシ島等。

ちなみに、言わずと知れた兵庫国体のマスコットキャラクター「はばタン」のモデルだと、僕が勝手に思い込んでいる鳥でもあります。もちろん、はばタンは不死鳥フェニックスをモデルにしてるんです。でも、見れば見るほど、コバタンとはばタンは似てます。

スズメ:スズメ目ハタオリドリ科(スズメ科)。飼育ゲージに勝手に入り込んでエサに群がっているあたりは、灘っ子の逞しさを彷彿とさせます。鳩やカラス同様、彼らも地元民ですから優しい目で見守ってあげてください。

 

ユキヒョウとアムールヒョウ:どちらもお休み中でした。ニャンコの仲間ですから、仕方ありません。ユキヒョウは中央アジア、アムールヒョウはアムール川流域に生息しているそうです。似た模様の猫なら、灘区内をウロウロしてるような気もしますが、大きさと危険度が違いますね・・・。

 

諏訪子とコウコウ:諏訪子は1943年生まれ。激動の時代を生き抜いてきた、灘の動物業界の生き証人(象です)とも言うべき存在。灘を見つめてきた諏訪子さんは、驚くほど「人間っぽい」目をしています。

パンダのコウコウは、ご存知の通り二代目です。出身地では龍龍(ロンロン)と呼ばれていたそうです。初代コウコウ(興興)が「オトナの事情」で帰国せざるを得ず、先代のピンチヒッターとしてやってきました。1995年に「中国保護大熊猫研究中心(センター)」で生まれ、2002年に来日してコウコウを襲名したのが、現・コウコウ氏なのであります。性格的には、先代に比べてやんちゃ者だそうです。

 

ミナミシロサイ・アカカンガルー・ダチョウ

ミナミシロサイ君は思いのほか活発に動いていて、軽快に敷地内を駆け回っていました。体重は2-3トンぐらいあるのですが、ものすごく軽やかにスキップをしてるサイ君を見て、ちょっとびっくりしました。

カンガルーは「あ、こういう家族おるおる。日曜日の夕方とか、まさにこんな感じや〜」と、生物としてのDNAに刻み込まれた家族愛を再確認することができる動物のようです。

それからダチョウですが、コイツは来園者の男性から無意味な会話を引き出してしまう動物のようです。

[若いカップル]
男「ダチョウとクジャク、間違えそうや」(笑顔いっぱいに)
女「開く方がクジャクやろ・・・」(冷めた感じで)

[親子連れ]
父「ダチョウや、ダチョウダチョウ。ダチョウやぁぁ。」(なぜかダチョウを連呼)
子「あー」(1歳ぐらい)

[老夫婦]
夫「ダチョーン?!」
妻「・・・・・」

 

引き続き、写真のみですがご覧下さい。

 

さて。

そろそろ、本題に入ります。

「ナダタマ・コンパニオン・アニマル」として推挙したい、イチオシの動物はこちら!

 

 

鳥が好きなんですよね。

 

ペンギンは飛べないですけど、水の中では飛べるんです。
その姿が、何だかとても楽しそうで。

「俺、飛べないけど、水の中だったら、ほんまにすごいねんで」

そんな、一芸に秀でたところが好きです。

ダチョウも飛べませんが、足の速いヤツとは仲良くなれなさそうです。

 

それから最後に、「モモジ追悼」写真を紹介して終わります。

「モテモテコアラ」モモジ 逝く 王子動物園

本当に立派な方(コアラ)だったようです。合掌。

モモジのお隣にお住まいのマリアさん。どこか寂しそう。

モモジの同僚、ピックスさん。どこか虚ろな表情?

 

aiaiプロフィール:「灘の旅人」担当。1997年に来灘し、2001年よりnaddist氏に師事。人文地理学を専攻する研究者(の卵)。「見えない地理学」をテーマに、場所への愛着・地蔵再生・災害の記憶などの研究をしている。最近では経済的理由のため外食ができず、食べ物ネタに参加できない日々が続く。個人ブログ「めだかのがっこう@灘区」。静岡県出身。元灘大学講師。


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