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2008年6月20日(金曜日)

夏を先取り

カテゴリー: - WACK! @ 23時39分08秒

大石駅付近

ちょっと暑い日が続いたので、水遊びを敢行してきた。
王子プールのシーズンインはもうちょっと先。
(今、改修工事中らしい。完成が楽しみ!)
いや、王子プールが開いてても、お金がかかる。
灘の自然を使って遊ぼうじゃあないか。

夏休みには日陰ができる杣谷川で遊ぶのだが、
まだお日様の暖かみが欲しい気候。
場所は阪神大石駅付近を選んだ。

☆注 意☆
このあたりはちょっと深くなっている。
「あぶない」の看板には水深1mと書いてある。
読者にちびっ子がいたら、必ず大人と一緒に入るようにしよう。
また、増水している日には川に入るのはやめよう。

汽車ごっこ

大きいカワムツがスルスルと泳いでいるのを見て網を突き出す。
浮き輪を並べて汽車ごっこ。
岩の隙間からは手のひらほどのカニが出てきた。

あと1ヶ月もすればこんな光景が当たり前になるのだが、
早すぎる賑やかさに散歩の灘人たちは暖かな視線を向けていた。

もうすぐこれが日常な夏がやってくる。


2008年5月23日(金曜日)

今年も赤い宝石を。

カテゴリー: - WACK! @ 23時29分45秒

毎年同じ事の繰り返しだが、
その繰り返すことが大事なこともある。
今年も野イチゴを求めて山際まで歩く日々だ。

野イチゴ

ずっしり感漂うほどに赤く膨れた袋。
目の前には採り切れない野イチゴたち。
ハイカーのおばちゃんは一瞥くれて、ツンと素通り。
ひょいとつまんでみたならば
こころに花が咲くのにね。

今日はジャムに挑戦。
ちょっとの砂糖と水で煮ただけ。
見た目はちょっと悪いけど味は絶品!
この優しくも力強い味は
お金じゃ買えない贅沢なのだ。

野イチゴジャム

ハイムで買ったバターロールが
すてきなおやつに変わったのだった。


2008年4月14日(月曜日)

わんぱく公園その後

カテゴリー: - WACK! @ 20時10分24秒

すっかりご無沙汰になってしまいました。
新年の抱負はどこへやら…
某冨樫氏のごとくなりつつありますが、
休んでいる間に溜まったネタを
吐き出していこうかと思います。

* * * * * * * * * *

遊具 -悲報-」のエントリーで紹介したわんぱく公園、
その後遊具はすっかり撤去され、腐食した丸太の塀と
砂場だけが残された。
しばらくは立ち入り禁止が続いていたが、
今では解除され、砂場で遊べるようになっている。

「向こうの遊具の方へ行こ!」
原田の森へ遊びに行った帰り、期待に駆ける子どもたち。
「遊具はもう無いねんで。ええんか?」
別に隠すことでもない。
そして子どもたちの期待は裏切られた。
「どうする、帰ろか…?」
「いや、遊んで帰る!」
遊具は無くとも塀と砂場があるのだ。
遊びようなどいくらでもあるのだった。

BB弾拾い
BB弾拾い。
白やオレンジは普通。
青や緑といったレアものを探せ!

発掘作業
発掘作業。
遊具の基礎石だったのだろうか。
砂場をまさぐれば出るわ出るわ大き石。
時には謎の鉄管なんかも出てくるのだった。

宝探し的な要素の遊びを中心に僕らは楽しんだ。
もちろん塀さえあれば鬼ごっこやかくれんぼにも事欠かない。
遊具が無くなった分、創造性を刺激してくれる公園になったのだった。


2008年2月15日(金曜日)

ぼた雪舞う週末

カテゴリー: - WACK! @ 13時31分53秒

五毛天神で雪遊び

先週の土曜、ナダの市街地に雪が積もった。
雪雲は六甲山地ですっかり水分を失ってしまい
表六甲には空っ風が吹くのが通例。
実に2年ぶりの白銀である。

ぼた雪での積雪は溶けやすく、
靴に手袋に染みこんで凍てつく。
一方、粉雪と比べて堅い雪玉を作りやすい。

ぬれた手袋はうざったい!と、素手で雪玉を放り合う。
雪だるまを作ろうと大きな玉に作っても、
途中で投げたい衝動に負けて壊してしまうのであった。
雪玉の乱舞。
標的はオトナ。
明日は日曜、仕事が休みでよかったと思うほど
クタクタになるまで投げ合ったのであった。

五毛以外の地域ではどんな遊びが展開されていたのだろうか。
五毛天神で雪遊びをしていたのは僕らだけ。
もっと遊べよ、ナダっ子たち!


2008年2月1日(金曜日)

こども喫茶

カテゴリー: - WACK! @ 19時17分32秒

外観

「こども喫茶」と「駄」の垂れ幕。
どんなお店なのか何となく想像できるのだが、
でもホンマに?というネーミングと佇まいだ。
あれって何ですか?という問いを多方面から受け、
答えられない心苦しさを解消するため
白昼堂々乗り込んできた。

店内

区民ホールの南西向かいにあるお店は
モダンな住宅の一階部分。
木の戸を開くと中は白が基調の明るい空間が広がっていた。
正面には駄菓子が少し控えめに、整然と陳列され、
右手には木のベンチとカウンター、
左手にはダーツなどのおもちゃが並べられている。
カウンター正面のメニュー表には100円前後の商品が
かわいい書体で描かれている。

まさに垂れ幕の通り、駄菓子屋な子ども向けの喫茶店だ。
ホンマにホンマやった。
あっぱれ。
駄菓子屋と呼ぶにはその雑多な感じや古びた雰囲気は無く、
喫茶店と呼ぶにはゆっくり腰をかけてくつろげる様子ではない。
子どもたちがこだわり無く、自分たちの時間を使う場所ということに
特化したお店なのだと感じた。

切り盛りされているのは若いご夫婦。
クミン歴10年くらいで、以前は古着屋をされていたとのこと。
開店間もないお店だが、すでに放課後の時間は子どもであふれているのだそうだ。

DSを持ち寄った男の子たちが頭を突き合わせている横では
女の子たちがジュース片手にうわさ話。
「今、子ども喫茶ー。今から帰るー」と、あたかも友達ん家のように
電話を借りていくのだそうだ。
その様子、目に浮かぶ。

たこせん・たまご

話を聞くだけでは申し訳ないので、たこせん・たまごを注文。
しばらくして出てきたのはかわいい四つ葉のお皿に乗ったたこせんだった。
ちょっと喫茶店クオリティな駄菓子に子どもの心も小躍りするだろう。
噛むと半熟玉子がトロリと溶け出す絶妙な火加減。
心まで温かくなる一品だった。
お値段80円と、もちろん子どもサイズ。
こういう贅沢ならさせてやってもいいじゃない、と思うのだった。

ベビーカーを右手、ちびっ子を左手に握ったお母さんが入ってきた。
「今日は2個までね。」
店内をぐるっと回り、会計までベビーカーとともに行動できる。
こんな配慮も新世代的。

このお店がどのように地域に溶け込んでいくのか、この先が楽しみになった。

◆こども喫茶
【Open】 11:00(仕入れの日は遅くなることも有り)  【Close】 19:00
【定休】 月曜(祝日の場合、翌日)


2008年1月11日(金曜日)

遊具 -オトナ向け-

カテゴリー: - WACK! @ 12時00分08秒

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

すっかり1ヶ月飛ばしてしまいました。
すみません、ボチボチですが、もうちょっと筆を執っていきます。
では…いつもの文体で。

公園から木製遊具が失われていく一方で、
その数を増やしている物がある。
大人向けの健康遊具だ。
あえて呼ぼう。あれは遊具だ。

「遊び」という言葉の意味から大人向け器具を考える。

・仕事がないこと
対象と想定されているような人物によって、
想定された使い方をされているところを見たことが無いように思う。
僕が公園を訪れるような時間にそういった人がいないだけだろうか。
仕事がないという観点から「遊んでいる器具」と見た。

・ゆとりがあること
使い方が分からないものが結構ある。
器具の横にピクトグラムが付けられていたりするのだが、
それでも分からないことが、ままあるのだ。
これは、とらえ方によっては使い方を限定しない、
つまり使い方にゆとりがあると言えるのだ。

・遊ぶこと
もちろん意味の上ではこれが本命。
そして、この健康器具を遊具と呼ぼうと思うゆえんだ。

公園の健康器具のメインユーザーは、実は子どもたちだ。

丸山公園のローラー

丸山公園の馬跳び

都賀川公園のぶら下がり器具

大人たちが使わないから、子どもたちは好きな時に好きなだけ使える。
どんな風にだって使えるから、子どもの発想を広げてくれる。
馬跳びは背が高すぎて子どもたちには飛べないけど、
誰が素早く上に立てるか競争遊びに使うことができる。
ぶら下がり器具は足が地面に着かないほど高い鉄棒だ。

木製で、安全で、子ども目線の遊具が設置されれば
そりゃ何より嬉しいのだが、
せめて遊びの多い器具が設置されればと思う。
子どもたちは自分たちの力でそれを遊具に変えられるのだから。


2007年12月7日(金曜日)

遊具 -悲報-

カテゴリー: - WACK! @ 23時03分28秒

前回の記事を受け、遊具と子どもたちについての
前向きなエントリーを考えていた。
そんな僕のもとへ新たな知らせが舞い込んできた。

「わんぱく公園の遊具が使えなくなってるんです。」

なぜ?という思いと、やはり…という考えが交錯した。
何度も遊びに行っているから、あの遊具の状況はわかってるんだ。
しかし、打つ手は本当に無かったのか。
ある程度の予想をしながら僕はカメラを提げ、自転車を漕いだ。

西入口から

看板

朽ちた杭

使用どころか進入すら許されない状況。
また思い出を噛み締める機会を失ってしまった。
調査がしっかりなされたらしいこと
それを掲示してくれている配慮が救いであった。

この公園は土木事務所の管轄ではないからか。
このような配慮は珍しいように思う。
そして、教育委員会とスポーツセンターの判断であることに
希望を見いだしたく思った。
撤去後の整備、その内容は是非とも前向きなものであってもらいたい。
市民のオピニオンは届く仕組みになっているだろうか。
調査をしてみたい思いに駆られた。

帰り道、かつて飛行機公園と呼ばれた場所を通った。
もはや子どもたちの歓声が轟くことのない公園を眺めながら
わんぱく公園が無味な変貌を遂げないことを強く願った。

旧飛行機公園


2007年11月23日(金曜日)

遊具

カテゴリー: - WACK! @ 23時46分43秒

気がつけば丸山公園から登り棒の遊具が無くなっていた。
木のピラミッドと長い方の滑り台は無くなって久しい。
代わりにやって来たのは蛇のトンネルチューブを持つ複合遊具だった。
子どもたちにとって丸山公園の代名詞ともなる人気の蛇だが、
僕はこれを見るたび未だにため息をつく。

僕が学童を始めた頃の丸山公園では、ピラミッド鬼ごっこが一番の楽しみだった。
如何に身を隠し、如何に身をこなし、如何に華麗に逃げるか。
常に考え、常に動き、常に緊張感に満たされていた。
あの狭い空間では大人の頭脳は有利に、大きい体は不利に作用した。
大人と子どもが遊び合える貴重な遊具だった。

僕はニュータウン育ちで、小学校の創立10周年を経験している世代だ。
ウチの小学校のウリは、神戸市内で一二を争う広さの校庭と、
木でできた背の高いマンモス遊具だった。
丸太の土留めで囲まれた「らくだ山」の上に立つマンモスは
スリルという快感と身のこなし方を教えてくれた。
授業終了のチャイムはヨーイドンの合図。
みんなで一斉に飛び登るとギシギシ音を立ててゆらゆら揺れる。
綱だけでできた一本橋は遊具のてっぺんにかかっている。
手に汗握り、必死で渡るのは鬼ごっこをしているから。
早く行け!と急かされて滑ると途中でおしりが浮いてしまう二段の滑り台。
雨上がりに綱や木は濡れて気持ち悪かったが、それも貴重な感覚。
もちろん晴れの日には優しい印象の木製遊具であった。

思い起こせば、家の周りの公園も、その多くが木でできた遊具だった。
当時の神戸市はニュータウンで新しい生活のあり方を提案したかったのだろう。
徒歩5分の圏内に公園を配置し、緑と木にあふれた空間は暖かみを演出する。

そんなことなどお構いなしに子どもたちは自由に遊ぶ。
丸太の塀を使って高鬼をしたり、かくれんぼをしたり。
大人が想定した遊びをしないのが子どもなんだと思う。

そんな楽しさの一方で、確かに危険な事もあった。
滑り台の真ん中からおしりどころか体が浮いて落ちてしまった子がいた。
そげが指に刺さるなんて日常茶飯事。
手入れが十分にされていなかった丸太の土留めは根本で腐り、
僕の体重を支えられず折れてしまった。
おかげさまで頭を強く打ち、「目から星が出る」を実体験できた。

この「ニュータウンでの経験と反省」を神戸市は活かして
今、学校の遊具や公園に「改良」の手を入れているのだろう。
我が母校からマンモスは去り、どこでも見られる「総合遊具」が鎮座している。
公園の木の塀はすべて取り去られ、かくれんぼの思い出は記憶でしかたどれない。

僕のニュータウンでの20年が、目の前の丸山公園と繋がって見える。
経験と反省ってなんだろう。
改良ってどうすることなんだろう。

安全が何より大事であることに異論は無い。
しかし、安全とトレードオフになっているものを
我々大人は見失ってはいけないと思う。

子どもの安全を守ることを本気で考えるなら、
子どもを危険から遠ざけるだけでは十分ではないのではないか。
危険から身を守る方法を身につける、気づけるようになる、
そのための関わりを大人が惜しまない努力も同時に必要だろう。

そして、あの遊具たちがくれた「自由」という遊び。
大人の想定を超えたところで楽しむ子どもたち。
その発想を豊かに広げてくれるようなもの、遊び方を固定しないものを
公園には用意してほしいと願うのであった。


2007年10月12日(金曜日)

バトン

カテゴリー: - WACK! @ 23時10分21秒

「一年生、二年生のみんな、組み体操の隊形に、集まれっ!」
「やぁぁ〜」

運動会の代休、疲れも知らず子どもたちは朝から元気だ。
女の子たちと組み体操ごっこをすることになった。
子どもたちは見たもの聞いたもの何でもごっこにして遊ぶ。

「ほら、あの塔のヤツやろー。上に立つねん。」
「えぇぇ、こんなん立たれへん。」

塔のヤツ

保育園で組み体操をやった子も多いだろう。
見よう見まねで出来るだろうという過信は
脆くも崩れ去る。
他のワザもなかなかピシッと極まらない。
半ば飽きてきたところへ先日の主役たちが登場した。
仲良し五年生軍団だ。

真一文字に見入る

次々に極まってゆくワザの数々。
ワザの成功率はもとより、指先まで伸びた美しいライン、
息の合ったコンビネーション演技、
下級生たちは真一文字に並び、ただただ見入るのであった。

華麗なるワザ

「全員でピラミッドしよ」

私らも入ってええの?っていう嬉しさが顔からにじみ出る。
五年生たちは率先して土台になり、一年生を頂点に据える。
多段ピラミッドの頂点は思いの外難しくて結局乗り切れなかったが、
サボテンの発展型「スター」や「ロケット発射」といった
あこがれの大技をみんなで体験。

ロケット発射

伝統というバトンは着実に受け継がれているのだった。


2007年9月28日(金曜日)

残酷な遊び

カテゴリー: - WACK! @ 19時43分10秒

今のブームはカマキリだ。
家に飼っているカマキリの数を自慢し、
毎日餌のバッタ取りに奔走している。
イナゴが稲を食い尽くすように、
空き地のバッタは子どもたちに狩り尽くされてしまった。
お出かけの先で見つけたカマキリは必ず拉致され、
強制見合い婚をさせられている。
オオカマキリとハラビロカマキリの異種間交配は
実現してしまうのであろうか。

今のブームと書いたが、
子どもたちの遊びには恒常的なものと
流行性のものがある。
ここ数年、カマキリは「怖いから触れない」虫の代表だった。
しかし一度火が着くと、恐怖心をも凌駕してしまう。
ま、克服できない子も女の子を中心にたくさんいるのだが。

カマキリの火種は餌やりにあった。
生きたままのバッタをカマキリに押しつけると
カマで挟んで遠慮もなく食べ始める。
その従順さ(食欲に忠実なだけ?)に愛着を感じる。
同時に、生きたまま食すという事の残酷さ、
それをさせている事への軽い罪悪感。
ダメと言われていることをついやってしまう感覚に似ている。

カマキリ食事中
バッタを二匹も押しつけられたカマキリ@灘丸山公園
局部は自主規制(しかし、その方がイヤらしい)

バッタには申し訳ないが、こういった体験を子どものうちにするのは
実はとても大切なんじゃないかと思うのだ。
生物の生き死にと食事という切り離せないものが
切り離されてしまっている昨今。
人間が食物連鎖の中にいる以上逃れられない原罪を
感じずに過ごしている子どもたち。
彼らがカマキリの姿に自らを投影できる日が来るかもしれない。
今すぐではなくても。

こういう遊びをしている子どもたちを注意深く、
しかし暖かく見守っていこうと思うのである。


2007年9月14日(金曜日)

夏の灘を遊ぶ 第4弾

カテゴリー: - WACK! @ 19時26分46秒

日陰に入ると涼風を感じられる季節になった今ではあるが、
まだまだ日差しは肌を刺すように痛い。
三連休が続く9月後半でも使える快適夏灘遊びをご紹介。

男の子を中心に人気のある遊びの一つが釣りである。
しかし、慣れない人だと踏み出すのが難しいレジャーの一つ。

どこで釣りゃええねん。
どうやって釣りゃええねん。
何を用意すりゃええねん。
子どもが海に落ちたらどうすんねん。

灘の力で一挙解決してしまおうじゃないか。

まずは道具。
子どもは釣れりゃフグでもサッパでも何でも良いのだ。
究極的には棒切れにテグスと針とミミズでも付けときゃいいのだが、
それすら面倒くさければ、まずは釣具屋にGo。
摩耶インター南のポイントで竿とリールがセットで1000円前後。
子どもの釣りにはこれで十分。
店の人に聞けば今釣れる魚や、それをねらうために必要な仕掛けや餌を
適当に見繕ってくれる。

僕らは釣り具一式を既に持っているので、
西灘小の西向かいにある「灘釣餌センター」さんで
ゴカイとレンガをいただいた。
こぢんまりとした、ご夫妻の温かみを感じるよいお店だ。

山信前を通る
灘釣餌センターから灘浜への直線上にあの「山信」があるのだ。

行き先は灘浜緑地。
ココはトイレ・水道が有るので、便利。
岸壁には柵があるので子どもが落ちる心配もない。
夏の暑い時期、灘浜大橋が作る大きな日陰が有り難い。
それでも暑さに子どもがへたってきたら、
灘浜サイエンススクエアに逃げ込める。
これほど子どもの釣りに適した場所は日本全国探しても
そう見つからないのではないだろうか。

ボラの大群
都賀川河口付近。ボラは跳ねることがあるので面白い。

子どもたちが釣り糸を垂らしていると、
よく日に焼けたおじさんたちが時々ひょいっと寄ってきてくれる。
ネイティブな方々なので、このへんの魚事情に詳しい。
これはカマスの子やな、と教えてくれたおじさんは、
極太のテグスと疑似餌でタコを一本釣り。
スズキとおぼしき特大魚を釣り上げて、
外道だと言わんばかりに投げ捨てる人も。

タコ釣りのおじさんと
おじさんがタコを釣った時には子どもたちの歓声が。

今回は潮回りが悪く、2時間粘ってカマスの子とボラの子とハゼのみ。
これまでにはボウズの日もあれば、サッパが入れ食いの日もあった。
サヨリがたくさん釣れた美味しい日も。

日により季節により違う顔を見せる海。
親切な釣具屋と気ままな釣り人、豊かな海という灘の力を借りて、
たくさんの灘っ子たちに灘前の釣りを楽しんでもらいたい。

釣り竿と船


2007年8月3日(金曜日)

夏の灘を遊ぶ 第1弾

カテゴリー: - WACK! @ 22時43分58秒

もう夏休みも中盤、8月に入りました。
子どもは遊んだ分だけ成長するんです。
たくさん遊ばせなきゃならんとです。
遊ぶ側も遊ばせる側も必死です。
がんばるぞー。

杣谷川1

まずはこの場所をご紹介。
都賀川を遡り、篠グラ南で西の杣谷川へ。
杣谷川を左手に見つつまだまだ山手へ登る。
同朋学園が見えたらあともう少し。
袋小路にある大豪邸。
その脇にある石畳の階段を降りてください。
そうして着いた先にはここは灘区?な風景。

ここには原っぱと砂地の川底が残っているのです。
川の中にはヨシノボリやカワムツ、ヤゴにカニが。
川辺にはバッタや蝶やトカゲや時にはハチが。
子どもたちに感じさせたい自然な環境に溢れています。

堰堤付近まで行けば、水深は腰の高さくらいあります。
生活排水なんかの心配がないので、泳ぐのも可能。
(飯ごう炊さん排水の心配はありますね。)
実に気持ちいい!

杣谷川2
 
地元の子どもたちには有名なスポットなようで、
学童っ子以外にもよく遭遇します。
あんまりたくさんの人が訪れてもちょっと困っちゃいますが、
お手軽に自然豊かな川遊びを楽しみたい人はぜひ寄ってみてください。


2007年7月13日(金曜日)

浜で遊ぶ

カテゴリー: - WACK! @ 13時10分47秒

足元で大石川の力強い流れと押し寄せる波がせめぎ合う。
ほんの10メートル先にはボラがのんきに泳ぎ、海鵜が潜る。
目に映る灘浜大橋とケーソンに人間の営みを罪悪的に感じながら
しかし、そんな中でも生きている物たちの営みに感謝した。

そう、人間が棲み処である海辺を激変させた今も
一部の生き物たちは力強く生きているのだ。
それを肌で感じられるのが大石川の河口なのである。

大石川河口付近

海水浴場のように砂を入れたわけではない灘の浜は
引き潮の時だけその姿を現す。
そこには漬け物石くらいの岩が無数に転がっている。
よいしょと半分転がすと、出るわ出るわカニの群れ。
急いで捕らなきゃ別の岩に逃げ込んでしまう。
これを転がせ、あっちもよろしく、
次から次へと子どもたちにせがまれる。
きりがないのでセルフでよろしく。

ケーソンの隙間

ひび割れたケーソンの隙間。
徐に覗くと、カニがびっしり並んでいる。
手前には小さいカニが、奥には大きなカニ。
カニのコミュニティは弱肉強食のようだ。
子どもたちは必死に棒でつつくが、
ここのカニは中々捕れない。
子どもたちはひとしきりチャレンジしたら
再び岩の方へ戻っていった。

ケーソンの壁面は貝やヤドカリの宝庫。
数え切れないほどの貝がへばりついている。
無差別に捕獲すると、貝とヤドカリが半々くらいだ。
こちらはほとんど抵抗しないので、捕りたい放題。
触手を引っ込めたイソギンチャクもちらほら見られる。

全部カニ
 
こういう遊びの時、子どもたちはすばらしい集中力を見せてくれる。
黙々、黙々黙々、でかいのおった!、どれー?、黙々…。
入れ物がいっぱいになり、満足するまで続いた。

カニ相撲

みんなで集まって収穫を披露する。
そして、思い思いに遊ぶ。
カニ相撲(両方逃げる)、エサやり(食べるわけ無い)、ヤドカリ引っこ抜き(残酷)
それぞれの楽しみを満喫した。

灘に浜と磯を取り戻す。
僕の密かな野望である。
こんな楽しみが知る人ぞ知るではもったいないと思うのだ。
すぐ近くの製鉄所さんは環境教育に熱心だ。
どうだろう、敷地の一部を元の浜に戻してやってもらえないものだろうか。


2007年6月29日(金曜日)

子育て協力店

カテゴリー: - WACK! @ 08時00分00秒

灘区保健福祉部子育て支援係の監修で「子育て協力店」のマップが完成しました。
【神戸市灘区 子育て支援情報】
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/82/kosodate/index.html
6月号の広報に載っていたので、ご存じの方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが。

子どもを連れてお店に入るのは一苦労なんだそうです。
どんなことが大変だと思いますか?
お子さんがいらっしゃるクミンの方には愚問ですね。

例えば外食の時、かなり気疲れするそうです。
「子連れで入っても文句言われないだろうか。」
子連れ歓迎な店を探せばいいじゃんって思いますか?
既に子どもがいるご家庭の人はどうやってそのお店を探しますか?
当たるも八卦当たらぬも八卦だと、当たらぬ度にストレスがたまります。

子連れ歓迎のお店の情報を仕入れて、喜んで来店しました。
子どもはじっとなんかしていません。
料理が来るのを黙って待ってなんかいません。
隣の席のおっちゃんがしかめっ面になっていきます…。
居心地が悪くなって、結局そそくさと店を出ることになります。

“怒りの相談室"なんかに出てくる厚顔無恥なトンデモ親なんて
割合にすれば極々少数です。
良識のあるフツーの子育て家庭の結論は
「家で食べる方が気が楽だから、外食はやめとこ。」
「外で食べるならファミレスか回転寿司やな…」
になりがちです。

子どもを連れて入った時に、他のお客のご迷惑にならないよう
個室に通してもらえたらな、っておっしゃる方がいました。
そういえば子育て協力店登録されてる新家さんは
個室におもちゃまで完備していますね。
新家さんのように、「子連れもOK」と言うだけではなく
悩みの根源からバックアップしてくれるお店が増えると良いですね。
そして、そんなお店の情報が誰でも簡単に手にはいると良いですね。

そんな趣旨でできた「子育て協力店」のマップです。
独身のアナタも一度目を通してみてください。
【お知らせ(保健福祉部) 灘区「子育て協力店」のマップが完成!!】
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/82/kosodate/news/index.html#kosodatemap
↑こちらのページからPDFで見られます。

マップを見ると、いろんなお店が登録されています。
一口に「子育て協力」と言っても、その方法は色々ですね。
古美術のお店がおむつ交換場とミルク用のお湯を提供することで協力しています。
これくらいだったらウチの学童でも協力できるかも。
幼児用のおもちゃだってありますし。
市場でのお買い物に疲れた時、ナダの薀蓄市場のお買い得情報を聞きながら
休憩できる場の提供なんて方法で子育て協力店登録なんてのもアリ?

現在22店舗。
まだまだ少ないですよね。
エリアも阪急沿線と六甲道周辺に集中しちゃってます。
皆さんの行きつけのお店で子育てに協力してそうなお店、ありますか?
「ウチの店、協力するよ!」ってな方、いらっしゃいませんか?
実はまだまだ追加募集中なんです。
上に張ったリンクから申込書がダウンロードできます。
自薦・他薦問わず、7月31日(火)が締め切りだそうです。
灘っ子家庭のため、灘区が「子育てが楽しくなるまち」となるために
クミンな皆様のお力をお貸しください!


2007年6月8日(金曜日)

三十年来の輝き

カテゴリー: - WACK! @ 23時41分13秒

河鹿の音色が木霊のように呼応する。
湿り気を帯びた冷ややかな山風が
昼間の暑さに合わせた半袖の腕を刺す。
眼前には灘の街、背後には重い闇。
山と山の手の境界を感じながら心を静める。

「こんばんわ」
闇の中から聞こえた気がして振り返った。
「おう、こっちや。そのリュック、もしやと思ってな。」
一段下がった川沿いの小径から緩い服装の男性が近づいてきた。
今朝この場所を教えてくれた皮膚科の先生だった。
「七時頃に一度来て、今日はこれで二度目や。」
左手のビールを口にし、げふとおくびを出した。

二人で橋の欄干に腕を預け、青谷川の流れに視線を落とした。
緑がかった黄色の光が二つ三つと流れては消える。
それは先生が診察の合間にこっそり教えてくれた宝物だった。
「愛というよりも執念やな。」
土砂降りの中でも飛んでいるんだと教えてくれた。

橋桁のすぐ下を一筋の長い光が通り過ぎていった。
「守山にルミナリエみたいに蛍が集まる木があるんやけどな、
人工的な感じがしてなあ…ここくらいの方がええんや。」
同時に数えられられる光は多い瞬間で5つくらいか。
不意の明滅を捉えようと視野すべてに意識を潜り込ませる。
そのときの気持ちは夜空に流れ星を探すのに似ている。

「近所の人らがここに幼虫とニナ貝を離しとるんや。
僕の友人がそれに関わっとってな、もう30年ほどになるそうや。」
目の前の光景は、一朝一夕で為し得たことでは無いのだ。
「僕らの世代の後に続くもんが出てきてくれんとな。
それこそ20年、30年と、その先も続くよう。
そう思て君に声を掛けたんや。
君んとこの子どもらも連れてきて、見せたって欲しいんや。
この自然が続くよう、この自然を好きになるよう。」

僕もまさにそのことを考えていた。
こんなにも愛おしい場所が灘にはあるのだ。
こんなにも掛け替えのない営みが青谷にはあるのだ。
一人でも多くの子どもたちの見て欲しい。
感じて欲しい。
疎らに飛び交う光を眺めながら
この場所で見せるであろう子どもたちの表情を想像した。

いつまでも欄干にもたれて眺めていたかった。
しかし、僕の寝床はここから1時間もの遠方にある。
名残惜しくも先生に別れを告げ、
闇の隙間から抜け出して、街の明かりを目指した。
振り返り見た闇はほのかに暖かい感じがした。

・・・・・・・・・・

青谷川の青谷道登山道入り口あたり
周辺は民家なので呉々もお静かに。

市バス2系統 青谷バス停から山手へ徒歩約3分

※6/13 一部改変 
  その後のリサーチで、皮膚科の先生が見守り始めたのは
  去年からだということがわかりました。
  また、蛍のお世話をしているのはご友人個人ではないことも
  わかりましたので、表現を変えました。
  調査不足ですみません。


2007年5月25日(金曜日)

ケシ粒

カテゴリー: - WACK! @ 09時28分34秒

ヒナゲシの種取り 
子どもの心を惹き付けるもの
丸いもの
飛ぶもの
動くもの
光るもの
回るもの
乗るもの
振るもの
音が出るもの
サラサラしたもの
モコモコしたもの
(まだあるかもね)

ケシ粒はサラサラしたものだ。
美野丘小からの帰りに、丸山公園への途中に、
そして高尾公園で、今ならどこでも手に入る。
大人にとってはただの雑草。
子どもにとってはオモロいおもちゃ。
今週はヒナゲシの種取りに出かけた。

ヒナゲシの実は二度おいしい。
中身の種はたくさん集めて楽しい。
実のてっぺんに付いている黄色い蓋は
放射状の模様があってお花みたい。
僕らは「お花マーク」と呼んでいる。

裏紙で袋を作って散歩に出かけた。
摩耶学童裏の空き地で、近所の駐車場で、
上野だんじり庫南入ルの道ばたで、
子どもたちは花期を終えたヒナゲシに群がる。
何に使うわけでもない種を、お花マークを、
ただひたすらに袋に流し込む。
収穫に喜びを感じる農耕民族の血のせいだろうか。
それともオタッキーなコレクターにも通ずる
蒐集欲とでも呼ぶような気持ちだろうか。

多くの子は、きっと家でゴミ箱行きにしてしまっただろう。
一時の楽しみ、それも有り。
「家の庭に埋めたよー。」
2年生の女の子は言う。
あの量の種を埋めたら来年庭はエラいことになるだろう。
しかし、本人は生えてくるまですっかり忘れていることだろう。
そんなタイムカプセル的な楽しみも、また有り。


2007年5月18日(金曜日)

紅玉

カテゴリー: - WACK! @ 08時00分00秒

クサイチゴ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
赤黒く染まった柔い玉を
優しくつまんで口に入れる。
貴腐ワインを含んだかのような
香りと甘みが口の中に広がる。
ワインにはない鮮烈さが
さらなる至福を演出する。

「生きててよかった」

自然と口にした言葉は
子どもたちの気持ちも代弁していた。
たかがクサイチゴのもたらした感動は
それほどまでに大きいものだった。

この一週間、毎日イチゴ取りに出かけている。
毎日取っても、次の日にはまた新しい実が
紅く染まってくれているのだ。
肥沃なる灘の大地とイチゴの生命力に感謝。
 
 
10分間での収穫 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この時期、多様な生命がその営みを力強く刻んでいる。
ケムシも例外ではない。
って言うか多過ぎ。
美味しいイチゴを手にするには
イチゴのトゲとケムシをうまく避けなければならない。

女の子は特にこのような状況に弱い。
ケムシがいるというだけで近寄ることすらできない。
しかし、イチゴは食べたい。
この葛藤がとても重要なのだと思う。

おそるおそる手を伸ばす。
怖くなってすぐに引っ込める。
またソロソロと伸ばす。
えいやっと掴んでさっと引っ込める。
手の中には(ちょっと潰れてるけど)紅い勲章。

代わりに取ってあげた時の「ありがとう!」の笑顔も捨てがたいが、
自分で取れた時の「やった♪」の笑顔の方が
一層素敵だと思うのであった。


2007年4月27日(金曜日)

市場と子ども

カテゴリー: - WACK! @ 22時28分00秒

きねまさ本舗と絵
「あった!ここ、ほら〜はよ見てよぉ。」
「あっちに私のあんねん。写真撮って!」
みんな一斉に言うので、体がいくつあっても足りない。
畑原市場に飾られた子どもたちの絵は
視野の上端を賑やかしている。

飾られている絵は以前ココで紹介したもの。
学童の子どもたちも何人か応募し、
それらすべてが市場のどこかに飾られている。
西から市場に入った学童っ子たちは、
まもなくして自分たちの絵に出くわした。

騒がしい声を聞いて、お店の人は店先に並んでくれている。
さながら卒業式の花道だ。
「どないしたんや。ほう、バッジもろたんか。見してや。」
まさか構われると思っていなかった子どもたちはドギマギ。

学童っ子たちの絵は、きねまさ本舗の周りでたくさん見つかった。
これも何かのご縁とこの店で和菓子を買うことにした。
「君ら学校はどこや?」
「美野丘ー!」「摩耶ー!」「福住とか上筒井もおんねんでー!」
買ったお菓子をおばちゃんが包んでくれている間
おっちゃんとの軽快な世間話が続く。
続く、続く…とっくに包み終えたおばちゃんの視線が泳ぐ。
「すんません、そろそろ時間が迫ってるんで…」
と僕が切り出さなきゃ終わる気配が無かった。

時間があまり取れなくて申し訳なかったのだが、
ねちっこいまでに構っていただき、とても嬉しい気持ちだった。
それは僕よりも子どもたち自身が一番感じているだろう。
ゆったり流れる時間、ただお金と物を交換するだけでは無いやりとり。
こんな懐の深さが市場の魅力。

市場が持っている包容力を活かすためのきっかけ、
それが今回は絵だったんだな。
あったかほっこりを子どもたちに知らしめるきっかけ、
今後も続いてほしいものだ。

※ 絵の展示は5月7日まで。


2007年4月13日(金曜日)

鬱金の桜

カテゴリー: - WACK! @ 23時36分31秒

鬱金の桜

「14日はうこんの桜まつりとゆめのはこ…21日はリュックサックマーケット…っと。」
朝、子どもが来る前にホワイトボードに予定を記入。

「おはー☆ なにーこれー、う○この桜!」

何がう○こなことか。
灘区が誇るレア種の桜を取り上げてう○ことは何事か。

僕のウ○チクめいた小言など聞く耳持たない。
あれよと言う間にアレに書き換えられてしまった。

次々と子どもがやってきた。
「見てー、これ、う○この桜!」

こらー!灘百選にも選ばれた緑っぽい花を咲かせるという貴重な桜に失礼ぞ!

マニアックに憤る僕を尻目に暴挙は続き、
ち○この桜を経てお○ん○んの桜になってしまった。

書き換えて大笑いしているのは高学年の女の子。
なんかもう、こんな時代なんですよ。
すみません、汚い話で。

明日、うこんの桜まつり@王子地域福祉センター です。
きれいな桜で汚い話は水に流してやってください。
明日は子どもたちを連れて行って懺悔させてやります。


2007年4月6日(金曜日)

三色団子

カテゴリー: - WACK! @ 23時27分43秒

花っていうか団子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
「あ、お団子や」

え?何が?

「ほらあれ、紅と緑と白やん」

うわっ、ホンマや。
“花より団子"を超えた"花っていうか団子”

これ植えた人はこうなるように品種を選んだのだろうか。

高尾公園の桃の花。
路線変更になった市バス102系統の車窓からも見られます。


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