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2010年5月19日(水曜日)

地下道慕情(1)

カテゴリー: - naddist @ 19時30分02秒

その日は突然やって来た。
阪急王子公園駅前の「原田地下道」が撤去、いや、南入り口近くにあった灘区が誇る
地ソース「灘ソース」や玉子焼きの名店「たこ福」の記憶とともに地中に「埋め」られた。

都市インフラの中でも「暗い、汚い、怖い」の3拍子揃った地下道が好きな人は少ないと思う。
でも僕は地下道が愛おしい。
神戸は大きな幹線道路が小学校の校区内を分断しているため、子どもたちは通学時に歩道橋や
地下道を利用した。
昭和という時代に、地上の交通戦争から子どもの命を守ってくれた大切なシェルターだったのだ。
同じ役割を果たしたのが歩道橋だが、歩道橋が陽とすれば地下道は陰の存在だった。
歩道橋が天地真理だとすれば、地下道は安西マリアだ。
古すぎますか?
じゃ、歩道橋が松田聖子だとすれば、地下道は中森明菜なのだ。
ちがうか。
僕は頭のさきっちょから声を張り上げて「青い珊瑚礁」を歌う松田聖子より
少しドスの効いた声で「スローモーション」を歌う中森明菜が好きだった。
…えっと、話を戻そう。
ま、とにかく地下道は歩道橋と比べてドラマチックだった。
まず、地下道を降りるときの、少し「ゾワッ」とする感じ。
何か、イケナイ世界へ誘われるような、異次元への入り口のようなワクワクする感じ。
階段の先の見えない怖さ、そして何もいなかった時の安堵感。
でも、外の音が龍の鳴き声のように聞こえる反響音にまた怖くなって走る。
そして、登り階段の先に光が見えた時の嬉しさ。
どうです。歩道橋ではこうはいかない。
ひと歩きでいくつもの楽しみがあるのが地下道なのです。
(歩道橋は歩道橋の楽しみ方があるのだけど)

残念なことに僕らを導いてくれた地下道はどうやら廃止される運命にある。
かつての盟友、歩道橋だって撤去が進んでいる。
「ザラザラ」な昭和から「ツルツル」の平成へ。
地下道や歩道橋という「おでき」のような「ザラザラ」が街からなくなり、ツルツルの風景が
浸食して、どんどんドキドキワクワクできない街になっていくような気がする。
そんな街は、ほくろのないちあきなおみが歌う『喝采』みたいに何の味わいもない。

地下道がなくなった王子公園駅前は妙によそよそしくなった。
原田交差点のシンボルである、阪急電車の「原田拱橋(アーチ)」が街角の仲間の最期を
静かに眺めていた。

次回から「失われつつある昭和の道」地下道の魅力をひもといていきたいと思う。


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