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2009年6月14日(日曜日)

灘にあった南西諸島連盟 最終章 その1

カテゴリー: - utinadanchu @ 02時06分05秒



▼ 戦後の灘にあった南西諸島連盟の実態解明を間近に迫ったところで、MacBookは割れLANは力尽き、筆者のマブイストーンも落ちていた。半年間の断筆となったが、ついに自宅に沖縄電力「ひかりふる」が開通、本日から最終章「南西諸島連盟と戦後闇市」で復活します。
 本編は沖縄大学地域研究所投稿を兼ねるため論文調・新聞調で、写真や図版もなくお読み苦しい点があるかと思いますが、ごカンベンください。

 

▼ これまでの検証で、奄美連盟や沖縄人組織の部分的解体や合従連衡などを経て、南西諸島連盟は1946年8月ごろ沖縄・奄美出身者を救済する名目で設立されたことがわかった。日本国民に配給制が敷かれる中で、米軍により故郷が占領され「第三国人」となった彼らが物資の獲得を優位に進めるため連盟を設立したことは間違いない。沖縄人連盟の請願書に基づくマッカーサー覚書によると、奄美出身者だけの「奄美連盟」では援助適用外になり、兵庫県から満足な援助物資の払い下げをされなかったと見られる。そこで、沖縄出身者も含めた包括的な支援団体という大義名分を出すことで、名目上は払い下げの適用が可能としたのだ。

 

▼ 神戸奄美会創立60年記念誌「奄美」によれば「その後、東地区に南西諸島連盟が設立された。身分証が発行され、乗りもの不足であったにも拘わらず、身分証を呈示すれば優先的に乗車券が購入でき、買い出しなどには大いに役立ったものである。奄美連盟では北海道から鰊、ジャガイモ、昆布等を調達して食糧難の会員に頒布したものだ」。また、長田区の真陽小学校東側の空地を借りて奄美出身者用のバラックを建てて引揚者や住宅困窮者への提供を行なったほか、北海道の物産を購入して出身者に配るなどしたと記されている。

 

▼ 先にあげた、島尾敏雄の回想を思い出してみたい。
「それと、身分があの当時、第三国人ということになって、物資なんかが手に入りやすかったと思います。それで金の廻りがよくなって、南西諸島連盟というのを作って、かなり羽振りをきかしたんです。ぼくはその頃神戸にいたのですが、彼らは神戸の街中を、南西諸島連盟と大書きした自動車でぶっとばしたりしていましたね」
「連盟にはいりますと、まあ物資が手に入る。第三国人にはその頃特別な配給ルートがあったんでしょうか、ぼくにはわかりませんが・・・それで家内が奄美なもんですから、はいれってかなりすすめられました」。

 

▼ 7月の神戸新聞に、「青年隊またお手柄」の見出しで「1946年5月に発足した南西諸島連盟神戸灘支部青年隊が自動車泥棒検挙に協力」の記事がある。「5月初旬発足以来警察に協力、すでに窃盗犯5件を灘署につき出すなどめざましい活動をつづけている」と記されている。ヤミ市は全盛期を迎えていたが、戦争で行政による警察力は弱体化しており、ヤミ市に関わる者は自警団を作って自前で警備にあたっていた。自警団同士の乱闘が起こるなど情勢は不安定だった。「南西諸島連盟神戸灘支部青年隊」もまた、そんなヤミ市組織の自警団だったのだろう。
(つづく)
 
 

 


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