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2008年11月7日(金曜日)

灘にあった南西諸島連盟 第2部その2

カテゴリー: - utinadanchu @ 14時53分36秒



▼ 1946年3月、兵庫県奄美連盟は沖縄人連盟に合流すべく発展的解消されることになり、連絡事務所が神戸在住沖縄県人連絡取扱事務所代表の大城清蓮方に置かれることになった。一方で奄美連盟は同月に連盟結成報告会を行ない、兵庫区御崎町に神戸支部を置いた。さらに奄美大島連盟神戸支部が尼崎の奄美連盟との合流を視野に「親米の精神に則り」長田区で結成された。4月になると、奄美連盟兵庫県連合結成大会が神戸市兵庫区の吉田国民学校で結成され、事業として相互援助を図るため協同組合や図書館の設置、機関誌発行を申し合わせている。この段階で、神戸市内で「奄美」を名乗る団体が少なくとも3団体はあったことが想像される。それぞれが掲げる「沖縄人連盟に合流」「親米の精神に則る」「協同組合などの事業」といった言葉に注目しておきたい。

 

▼ 4月には、奄美連盟から「急告奄美出身者へ」という案内広告で、兵庫県下在住奄美出身者は四月十九日尼崎本部に於ける決定に拠りて総て奄美連盟兵庫県連合会に結集」が呼びかけられている。この記事で特筆されるのは、「現在巷間に流通する奄美連盟マーク及び身分証明書は本連盟制定のものに非ざればその効力と認めず」という文言があることだ。なぜマークや身分証が重用視されたのか。その効力とは何だったのか?

 

▼ この奄美連盟は、帰還事業で8月に神戸新聞で「奄美大島ヘノ帰還希望者ヘ急告」という案内広告を出している。「故郷へ御帰り希望の方は帰還期日の割当の都合がありますから来る9月5日までに必ず申込下さい。帰還証明書の発行その他の帰還事務を取扱っております。奄美連盟」としたうえで、取扱所として本部(神戸市生田区三越百貨店6階)、東部支部(灘支部が解消、葺合区大日通1)、西部支部(長田区西尻池)、尼崎本部、尼崎東部本部、明石支部をあげている。この中の、「灘支部が解消」という文言も覚えておきたい。

 

▼ 沖縄人組織の動きはどうか。先に当時の「町の義人」として紹介した大城清蓮が路頭に迷う悲惨な同胞沖縄県民のため1946年1月に生田区元町7丁目の大城方に設置した神戸在住沖縄県人連絡取扱事務所が、3月17日に結成大会を行なうことになったと神戸新聞は報じている。「全国大会決議事項として政府に対する請願事項である引揚人稼働者に対する賃金、要生活援護者、学生、疎開児童への支給金、県人経営中●工業諸賃金等十項目の発表を行なったのち今後の連盟事業として民主主義による平和日本建設への貢献、引揚民、避難民、学童、学徒、徴用工、復員者の生活安定、沖縄本島への帰郷出郷、通信、送金の自由、大衆に愛される治安隊ならびに挺身隊の結成等を決議し十七日その結成大会を催すことになった」。冒頭の兵庫県奄美連盟が沖縄人連盟に合流すべく連絡事務所を大城方に置くことになったのは、このときである。(●は不明の文字)
 
 

▼ 一方、やや遅れること1946年8月、県下に21支部あった沖縄県人会が尼崎に集まり、沖縄人連盟兵庫県本部を結成した。副会長に大城清蓮が就任している。大城は、神戸と尼崎の沖縄人組織の両方に絡んでいる。資料でわかる範囲では、大手とおぼしき団体は少なくとも神戸に奄美系組織が2団体、沖縄系組織が1団体、尼崎に各1団体が組織的な活動の根をおろし始めたようだ。そしてもうひとつ、奄美と沖縄のハイブリッドともいえる南西諸島連盟が中間地点の灘に発足するのだ。(つづく)

 


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