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2008年11月21日(金曜日)

灘にあった南西諸島連盟 第2部 その3

カテゴリー: - utinadanchu @ 02時33分43秒



▼  1946年8月に沖縄人連盟兵庫県本部が結成される前から、沖縄県出身者は同胞の救済のため組織的に動いていた。もともと戦前から、出稼ぎ者を中心とした沖縄県出身者による互助のための組織活動は盛んで、大阪では1924年に関西沖縄県人会が設立され、大阪球陽新報社から「球陽」という在関西の県出身者向けの新聞も発行されていた。また沖縄県内の字ごとの郷友会活動も盛んで、神戸では沖縄県北部の大宜味村塩屋から川崎製鉄所や神戸製鋼所、三菱重工などに出稼ぎに来た者が多かったのか、「葺合塩屋相愛会」「兵庫塩親会」などの名前を大阪球陽新報社発行の小冊子などで確認できる。注目しておきたいのは、それら同郷会の会長等の住所に「灘南通」と「脇濱町」の地名が見えることだ。同町に住む沖縄人名士として7人が紹介されている。

 

▼  終戦後、尼崎の軍需工場だった住友鋼管で人員整理された沖縄県出身の女子挺身隊の救済をきっかけに、1945年11月に尼崎市内5地区の沖縄出身者組織が集まり「尼崎沖縄県人会」が発足した。宝塚の沖縄出身者も合流し、警察の協力を得て行なった沖縄相撲大会で「郷里への手紙を書いてGHQに届け、沖縄への輸送を依頼しよう」と決議、集まった柳行李1個分の手紙を京都のGHQ司令部に運んで沖縄に輸送するという約束を取り付けている。また、先述したように東京の沖縄人連盟による請願書で1946年1月2日に「日本政府ハ窮乏セル琉球人避難民ニ遅滞ナク十分ナ食糧、住宅、治療、寝具、衣料等ヲ支給スベシ」というマ指令をとりつけ、援護活動に動いた。行政が機能しないため、県人会は「消えた沖縄県」にかわって帰還事業など行なわざるを得なかった。これが現在も県人会の相互扶助の基盤となっている。親ぼく団体ではなく相互扶助団体である所以である。

 

▼ 「沖縄県人会兵庫県本部35年史 ここに榕樹あり」には、尼崎市を相手に先のマッカーサー司令部の司令書を示しながら交渉し、戦災で焼け残った小学校の空校舎の借用や、引揚者や生活困窮者のための救済物資の配給を受けていた。同書の中に「発足当初、奄美大島関係者によって組織された南西諸島連盟との合流問題が持ち上がった。(中略)ところが、大阪の方ではさっさと合流してしまうのである。名称も南西諸島連盟関西本部として活動した。神戸にあった南西諸島連盟の方は、そこで『我々は沖縄をも含めた南西諸島の団体である』というふれこみで、われわれと同じように、兵庫県庁に向けて救済物資の払下げ交渉に入ってしまった。現に、南西諸島連盟の役員に沖縄出身者がいたから、話はますますややこしくなって、兵庫では大きな混乱が生じてしまったのだった」という一文がある。

 

▼ 先にあげた神戸新聞の記事や島尾敏雄のコメントから、灘を本拠とした南西諸島連盟は詳細な実態は不明だが泡沫的でゲリラ的な雰囲気を感じた。一方、大阪にあった沖縄県人組織は、「沖縄人連盟関西本部」という大きな組織だ。沖縄県出身者の数も兵庫とはケタが違っていた。その大きな組織を、南西諸島連盟はいとも簡単に吸収合併してしまっていた。当時の沖縄人連盟兵庫本部執行部の上江洲久氏は、回想録で南西諸島連盟に対する苦々しい思いを綴っている。(つづく)
 
 


2008年11月7日(金曜日)

灘にあった南西諸島連盟 第2部その2

カテゴリー: - utinadanchu @ 14時53分36秒



▼ 1946年3月、兵庫県奄美連盟は沖縄人連盟に合流すべく発展的解消されることになり、連絡事務所が神戸在住沖縄県人連絡取扱事務所代表の大城清蓮方に置かれることになった。一方で奄美連盟は同月に連盟結成報告会を行ない、兵庫区御崎町に神戸支部を置いた。さらに奄美大島連盟神戸支部が尼崎の奄美連盟との合流を視野に「親米の精神に則り」長田区で結成された。4月になると、奄美連盟兵庫県連合結成大会が神戸市兵庫区の吉田国民学校で結成され、事業として相互援助を図るため協同組合や図書館の設置、機関誌発行を申し合わせている。この段階で、神戸市内で「奄美」を名乗る団体が少なくとも3団体はあったことが想像される。それぞれが掲げる「沖縄人連盟に合流」「親米の精神に則る」「協同組合などの事業」といった言葉に注目しておきたい。

 

▼ 4月には、奄美連盟から「急告奄美出身者へ」という案内広告で、兵庫県下在住奄美出身者は四月十九日尼崎本部に於ける決定に拠りて総て奄美連盟兵庫県連合会に結集」が呼びかけられている。この記事で特筆されるのは、「現在巷間に流通する奄美連盟マーク及び身分証明書は本連盟制定のものに非ざればその効力と認めず」という文言があることだ。なぜマークや身分証が重用視されたのか。その効力とは何だったのか?

 

▼ この奄美連盟は、帰還事業で8月に神戸新聞で「奄美大島ヘノ帰還希望者ヘ急告」という案内広告を出している。「故郷へ御帰り希望の方は帰還期日の割当の都合がありますから来る9月5日までに必ず申込下さい。帰還証明書の発行その他の帰還事務を取扱っております。奄美連盟」としたうえで、取扱所として本部(神戸市生田区三越百貨店6階)、東部支部(灘支部が解消、葺合区大日通1)、西部支部(長田区西尻池)、尼崎本部、尼崎東部本部、明石支部をあげている。この中の、「灘支部が解消」という文言も覚えておきたい。

 

▼ 沖縄人組織の動きはどうか。先に当時の「町の義人」として紹介した大城清蓮が路頭に迷う悲惨な同胞沖縄県民のため1946年1月に生田区元町7丁目の大城方に設置した神戸在住沖縄県人連絡取扱事務所が、3月17日に結成大会を行なうことになったと神戸新聞は報じている。「全国大会決議事項として政府に対する請願事項である引揚人稼働者に対する賃金、要生活援護者、学生、疎開児童への支給金、県人経営中●工業諸賃金等十項目の発表を行なったのち今後の連盟事業として民主主義による平和日本建設への貢献、引揚民、避難民、学童、学徒、徴用工、復員者の生活安定、沖縄本島への帰郷出郷、通信、送金の自由、大衆に愛される治安隊ならびに挺身隊の結成等を決議し十七日その結成大会を催すことになった」。冒頭の兵庫県奄美連盟が沖縄人連盟に合流すべく連絡事務所を大城方に置くことになったのは、このときである。(●は不明の文字)
 
 

▼ 一方、やや遅れること1946年8月、県下に21支部あった沖縄県人会が尼崎に集まり、沖縄人連盟兵庫県本部を結成した。副会長に大城清蓮が就任している。大城は、神戸と尼崎の沖縄人組織の両方に絡んでいる。資料でわかる範囲では、大手とおぼしき団体は少なくとも神戸に奄美系組織が2団体、沖縄系組織が1団体、尼崎に各1団体が組織的な活動の根をおろし始めたようだ。そしてもうひとつ、奄美と沖縄のハイブリッドともいえる南西諸島連盟が中間地点の灘に発足するのだ。(つづく)

 


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