都賀川の悲報にどう向き合っていいのか。言葉がない。
またしても六甲の自然に呑み込まれた、尊い同胞のいのち。灘の土あるいは星に帰った幼い命、若い人たちの魂の冥福を、何よりも祈るばかりである。
沖縄タイムスの1面に掲載された故郷の悲劇にぼう然としながら、石垣島の風土と精神世界を現代高校生とおばあの視点で描いた「風車祭(カジマヤー)」という小説(フィクション)を思い出していた。
マブイ(沖縄でいう、魂と心の間にある、あるいは魂の前の状態にある宇宙の存在。魂魄。その人の性格や先祖関係、地霊との関係など根源的なものを含む。死ぬと魂はマブイとなりあの世に行き、魄は墓に入るという)を失った少女が、雨乞いの呪文で雨の爆風を巻き起こし、一瞬にしてアラピキ川という都賀川に似た街の川を氾濫させる。死者、行方不明者、経済損失など、島は甚大な被害を受ける。
東京の企業が、島のリゾート用地や別荘地を買えるだけ買いあさっていた。静かな先祖の眠りがあったはずの地は重機に踏み潰され、先祖だけではなく連綿と続くマブイや祖霊さえも彷徨わせた。島人の発祥の地として信仰していた山を切り崩し、埋め立て地を作ったことで、島の地脈はすべて狂っていた。
御嶽(ウタキ。祖霊と人間の接する場所。神社のようなもの)はすべて地脈の上にあったため、埋め立て地を沈めて御嶽を元に戻そうと、地震とともに猛烈な津波も襲ってこようとしていた。しかしながら、結果的に人間の犯した罪は命で償うしかなく、膨大な数の犠牲者が出ることを食い止めることは不可能に思われた。
食い止めたのは、島を囲むサンゴ礁にマブイを宿した、246年間あの世に行けずに島を彷徨っていた女の魂魄だった。
六甲では、マブイを落とした人、いや元からマブイなど持たない(企業人という意味での)東京人たちが、今も競って山裾を切り崩している。
そうでもいわないと、僕はこの悲報を受容できないのだ。


*「灘にあった南西諸島連盟」は休みます


(継続中) - 11月23日
11月29日
