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2008年7月3日(木曜日)

灘にあった壕を想う その2

カテゴリー: - utinadanchu @ 11時58分35秒


▼ 灘の壕話を続ける。
 昭和40年代、大人たちから戦時防空壕跡だとを聞かされた、神大農学部前から六甲ケーブルに至るバス道沿いにいくつかあった花崗岩質の壕。小学校低学年だった自分たちには、とても大きな洞窟に見えたものだ。ちょうどウルトラマン第8話「怪獣無法地帯」で、多々良島でピグモンが測候所員を介抱していた、あるいはレッドキングが現れた洞窟を思い起こさせた。余談ながら、「怪獣無法地帯」の脚本を書いたのは金城哲夫・上原正三の沖縄出身コンビだ。

 

▼ 鶴甲行き36系統のバスが神大理工学部方面に向かって右折する山側、かつて(今もあるかもしれないが)CASAがあった場所にも壕らしき穴があった。CASAができる前はセミがやかましく鳴く小さな森で、御影塚町の酒造会社「福寿」(現「神戸酒心館」)の安福さんの敷地だと聞いていた。壕の前を通る時、真夏の炎天下でもひんやりした空気が体にあたった。壕で亡くなった人の霊気かもしれないと思いつつ、「天然のクーラーや」と阪神電車か灘神戸生協くらいしか冷房を知らなかった僕らは、喜んで霊気にあたりにいった。思えば、このときの憑依がいま沖縄で役に立っている。

 

▼ 壕の中でした遊びで代表的なのは、なんといっても火遊び。小学校で配られた夏休みのしおりには「壕跡にはマムシや野犬がいるので入ってはいけません」などのほか、「火遊びは絶対いけません」などとくどくど書かれていた。大人が禁止すればするほど、当時の小学生は使命感に燃えたもの。学校から盗んだ(持ち出した)アルコールランプや、「手りゅう弾」というシャレにならない花火で「洞窟実験」を行なった。友人のコニシ君たちは油コブシ山で火遊びをして山火事になり、神戸新聞に載った。こうして僕らはイケナイこととヨイことの区別を覚えたものだった。

 

*「灘にあった南西諸島連盟」はまたまた休みます



灘⇔沖縄 通い船対談

vs naddist 様
「6月23日は灘的にも重要な日です。
神戸出身の元沖縄県知事、島田氏の慰霊碑も建立するそうですね。

防空壕は長峰ダムの南、杣谷川沿いに一つ確認できます。
写真撮影可能です」

 

次号は島田氏の命日(と考えられる日)に近いので、
糸満市に建てられた島田氏の慰霊碑を含めレポートしようと
思っています。 

防空壕跡、杣谷川沿いにもありますね。
現在登山道になっている六甲山南面の山道には
壕とおぼしき穴がいくつかありました。
由来とか研究されている方はいないのでしょうか。
by 沖灘人
 


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