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2008年5月7日(水曜日)

灘の清明祭とブラジル移民

カテゴリー: - utinadanchu @ 20時00分46秒


 
イッペーの花


▼ 前回、4月27日に行なわれた都賀川シーミー(清明祭)を書いた。二十四節気の清明にあたる新暦4月5日に沖縄本島を中心に行なわれる行事で、台湾や香港でもこの風習が残るという。考えてみれば、古き灘でも行なわれていたのではないかと思いあたるフシがある。子供のころ、毎年4月初旬の日曜日に現在は区役所になってしまった桜口町4丁目の祖父母宅に親戚一堂が集まって会食をしていた。当時は旧暦でひなまつりをすると説明された記憶があるが、もしかしたら清明祭の名残りではないか。我が家系では、行事には法事の菓子類に混じって月餅が出されていた。

▼ 明治初年にどこからか神戸に流れ着いて貿易商を始めた家系なので、福建か広東系の可能性はある。こうした、国内外の南西方面からさまざまな家系が集まって現在の灘人が生まれたことはたしかだろう。そんな明治時代は、神戸から海外に出る人も多かった。ちょうど100年前の4月28日、神戸港からブラジルに向けて「笠戸丸」が出航した。コーヒー農園と雇用契約してブラジル移民第1号として旅立った781人のうち、324人は「ソテツ地獄」と呼ばれる厳しい経済事情にあった沖縄県出身者だ。

▼ 桜口で「清明」に従姉妹たちと大騒ぎしていた昭和40年代、赤坂通出身の伯父は南米移民船「アルゼンチナ丸」の乗組員として大平洋を渡っていた。春先には旅立つ移民船といれ違いに、沖縄や奄美から大勢の集団就職者を乗せた関西汽船が連日神戸港に入ってきた。
 この時期、沖縄でも、神戸の移民収容所跡地でも、ブラジルの国花「イッペー」の黄色い花が咲いている。


コメント

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  1. 小学校の頃、ブラジルから転校してくる子が何人かいました。
    彼らはミドルネームを持っていました。
    野球は下手だけど、サッカーがうまかったなぁ。

    Comment by naddist — 2008年5月9日(金曜日) @ 09時18分15秒

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