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2008年4月23日(水曜日)

生まれくる? 沖縄の「兵庫」(紅型編)

カテゴリー: - utinadanchu @ 03時15分55秒



▼ 琉球王朝時代、首里城につながるメインストリートは、今はない中山門から守礼門まで、現在の日本における最古の舗装路だった。しかも香を交えた珊瑚石灰を敷き詰めていて、道は崇高な香りを放ちながら白くまばゆく輝いたという。その中山門のあったところに、「琉染」という紅型工房がある。沖縄の町並みでも珍しい、合掌造りの木造建築だ。

▼ 沖縄戦で焼き尽くされた沖縄本島で、いちからの文化復興が始まった。紅型は技術力が低下しており、化学染料に頼るようになっていた。だが色落ちが避けられず評判を落としていった。沖縄の本土復帰前、この状況について京都の山岡古都氏が相談を受けていた。すでに友禅染めの大家であり、草木染めの第一人者だった。

▼ 復帰翌年(1973)、沖縄の紅型に伝統的な草木染めを復興すべく、山岡氏が私財を投げ打って立てた工房が「琉染」だ。紅型の復興の全身全霊を投じたが、京都の染色プロであっても「他所もの」ゆえ長期間にわたって地元では「紅型」を名乗らせてもらえず「琉染草木染め」「琉球友禅」といった名称を使わざるを得なかった。

 さんご染め

▼ 地元の紅型の作家や工房は政府から助成を得て今に至ったが、「紅型ではない」山岡氏は自力だった。紅型だけではなく、本土に買い漁られ流出していく沖縄の歴史遺産を友禅を売った金で買い戻すなど、独力で文化保護に努めた。沖縄ブームの中で政府から出る助成金をあてこんで沖縄にやってきて一儲けを狙う現代の本土企業とは、全くの対局にある。

▼ 沖縄文化のすばらしさが万人に評価される時代になった。山岡氏の尽力が語られることはないが、彼がいなければ沖縄の文化の今はないという人も少なくない。残念ながら2年前に亡くなられた。京友禅の大家として知られるが、兵庫県淡路島の出身だ。沖縄戦直前に死を覚悟して赴任し、県民の救済に尽くして殉職した戦前最後の沖縄県知事、島田叡氏とともに沖縄の兵庫人としてもっと評価されてよい。

▼ 琉染は現在、娘夫婦が継いでいる。天然の草木染めによる紅型や、山岡氏が編み出した「さんご染め」が4月のうりづんの風が薫る首里にさわやかに揺れている。

 紅型



灘⇔沖縄 通い船対談

vs naddist 様
(「そうめん編」について)
「タシヤーでもプットゥルーでもありませんが、
夏になると東畑原市場に灘目そうめんを使った沖灘メニュー
『灘目ひじゅるーそーみん』が登場しますよ」


をををおー、それはぜひ沖灘料理の定番にしなければ。
後日広報しますが、沖灘区那覇事務所が4月末に移転し、
「通い船那覇店」も併設することになりました。
といっても近所の人や沖灘区民が集う非常設の
縁側ゆんたくカフェみたいなもんですが。 by 沖灘人



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