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2008年2月26日(火曜日)

沖灘料理店物語 番外編「灘駅ありんくりん その1」

カテゴリー: - utinadanchu @ 22時29分40秒

西の琉宝、東のめんそーれ、都賀のよさこい 番外編 vol.17





▼ ステンドグラスの趣きある駅舎が取り壊された灘駅の近くの店で、こんな菓子をもらった。「黒糖ごま菓子」。かつて五毛界隈で栽培された、摩耶天上寺の燈火用のゴマを使った沖灘銘菓、と思いたかったがそんなわけはなく、沖縄県浦添の産だった。食べてみると、ほどよい甘さ。仕事の疲れが取れる甘さと歯ごたえだ。くせになる味。

▼ 菓子をくださったのは、駅から北に50歩くらいのところにある沖縄家庭料理の店「ありんくりん」のオーナー、金城美嬉さん。ほぼ全品が300円と500円というわかりやすい安心価格設定で、故郷沖縄のお母さんの味を楽しませてくれる。昨年オープンしたばかりで、企画時には存在に気づかなかったので、本稿は番外編となった。「ありんくりん」とは沖縄方言で「あれやこれや」の意味。

▼ いま金城さんは、灘駅前の坂道に合った沖灘スウィーツを出せないか、ジンブン(沖縄方言で知恵)を巡らせている。早くも常連客となった沖灘区議会議長の「ぜひ、松蔭や海星の子らが、ありんくりんの沖灘スウィーツをほおばりながらこの坂道をヌブイクダイ(沖縄方言で上り下り)する姿をみたい」という熱望も後押しする。

▼ ゴマは肥満防止効果がありカルシウムも豊富で、美の源だ。五毛通のみなさんの手で、五毛の胡麻を復活させられないだろうか。東京の流行に流されず、全国で唯一マキシスカートのポリシーを貫く沖灘女子高校生たちが、沖縄黒糖と合わせた五毛胡麻黒糖スウィーツを手に坂道を歩く。平松愛理*も思わず歌にしたくなる絵に違いない。

* 平松愛理「南町から」参照



灘⇔沖縄 通い船対談

vs komatsu 様
「うわー!凄い凄い!!こんな厨房やった!w
店はあの懐かしい汚い店なんですが、服の青と三線持つ姿が凄く
決まってますねえ。
この店の雰囲気懐かしいなあ。
よさこい連載お疲れ様でした!
大学時代の思い出の一コマが懐かしく思い出されて楽しい一時でした。
有難う御座います!! 」


こちらこそ、長々と続いたものを懲りずにお読みくださり、
ありがとうございます。
戦後の水道筋界隈にあった闇市のことを書こうかと思っているのですが、
そのときしんちゃんは再び登場してもらうことになると思いますので、
よろしくお願いいたします。

 
 


vs naddist 様
「おおお!!貴重な写真ありがとうございます。
何か、八幡神社東にあった喫茶店『カウボーイ』を彷彿とさせます。
カウボーイのマスターはギターでしたが、流し回りの風情や達観かげん
が同じですね。
つくづく行けなかったことが悔やまれます。
ともかく「よさこい」連載お疲れさまでした。
                             合掌 」


たしかにカウボーイは、カテゴリー的には同じかも。
そうなると東のカウボーイ、西のよさこいですね。
Komatsuさんのところにも書きましたが、
戦後水道筋界隈の沖縄・奄美系闇市について、少し連載する予定です。
また情報あればお寄せください。

 
 

vs 中村よお 様
「いやあ、そもそもはそういうことだったんですねえ。いい話ですねえ。
写真にも感動しました。
自分にとってのいろいろなことを思い出すきっかけにもなりました。
ありがとうございました」


ご愛読、ありがとうございました。
写真はもっとあったはずなんですが、散逸していました。
よくあの写真が残っていてくれたものでした。
先日、帰灘したときに三宮のジュンク堂で中村よおさんの本を再発見しました。
前に立ち読みしたことがあり、今度は買おうと思ったのですが、
情けないことに手持ちがありませんでした。次回、買います。


2008年2月19日(火曜日)

沖灘料理店物語「都賀のよさこい 最終回」

カテゴリー: - utinadanchu @ 20時33分00秒

西の琉宝、東のめんそーれ、都賀のよさこい vol.16




よさこいの、珠玉の1枚。
この1枚が、よさこいのすべてを語ってくれている。
2001年10月26日。


▼ だいぶん前になる。夏の日曜日の夕暮れ、ダイエー灘店のちょうど向かいくらいの都賀川べりで、よく三線を練習した。散歩する人が、なにげに耳を傾けてくれた。灘警察署の署長も窓越しに聞いていた、と、灘署担当の朝日新聞街頭班記者が後日教えてくれた。そんなある日。
「すまんが、うちで弾いてくれへんか。ビールと餃子をおごるから」。
振り向くと、口ひげ面の料理人が立っていた。自分がしんちゃんと仲良くなったきっかけだった。

▼ 店には何度か行ったことがあるくらいで、ちょっと面識がある程度だった。その日、店に入って初めて壁に油まみれの三線がかかっていることに気がついた。戦後まもなく、しんちゃんは食べるものがない中で母親で始めた灘の闇市で取り締まりに会い、アメリカの占領下にあった両親の故郷の島に帰った。その島で、島唄が大好きになり、手製のカンカラ三線で見よう見まねで覚えた。油まみれの三線を手にしたしんちゃんは、そのころの歌を謡い始め、カウンターと厨房でひとときのセッションとなった。

▼ 三線は、心の力を込めて、思いっきり弾くんや、謡うんや、と彼が言うのを心で聞いた。戦後の沖永良部、沖縄、灘で、島歌を口ずさみながら精一杯生きたしんちゃんの、忘れられない一言。芸事として取り組むのとは違う、生活する人間として向き合う魂の謡が「灘の沖縄」にあることを知った。以来、目で聴き、耳でとらえた心象を、手や指ではなく心の力で奏でるのが歌三線と理解した。日々の暮らしから滲み出た魂魄の呟きには、言葉の贅肉はない。不要なものがそぎ落とされて魂になったとき、言霊となってメロディに乗り相手に伝わるのだ。沖灘流とは、そういうものだ。

沖灘の空に逝って6年目になるしんちゃんの、冥福を祈る。(完)



灘⇔沖縄 通い船対談

vs naddist 様
「ウコンチャーハンですか。可能性を感じます。
ターメリックは灘南通の『INDO SPICE』で調達すれば
沖灘メニューとして完璧ですね」

でしょ。
ウコンは、実は亜熱帯でなくても栽培できます。
山梨県が沖縄より先に特産品化しており、日本での元祖です。
灘でできないはずはないです。
インドゆかりの天上寺がある灘で「摩耶ウコン」。
作ってみませんか。
「女房近頃ご機嫌でねえ」の会社もびっくりですよ。


2008年2月12日(火曜日)

沖灘料理店物語「都賀のよさこい その9」

カテゴリー: - utinadanchu @ 23時18分19秒

西の琉宝、東のめんそーれ、都賀のよさこい vol.15





▼ 「昔はホテルでもやっとったんやでー。腕には自信がある」と、聞いたおぼえがある。1950年代の末に沖縄から戻り、大阪と神戸で苦労しながら中国料理の腕を身につけていたしんちゃん。いつしか伝説となっていた餃子の味には、それなりに裏打ちされたものがあったようだ。


▼ たしかに、餃子はうまかった。値段をはっきりおぼえていないが、安かった。タレは台湾/神戸式の味噌ダレだったと思うのだが、これも5年経つと記憶は曖昧だ。たしか店の扉の横に、ドライブスルーのような餃子テイクアウト用の小窓があったはず。


▼ そんな「よさこい」には、琉球ルーツを感じさせる裏メニューもあった。自分が好きだったのは、ターメリックライス。ウコンで炒めたチャーハンだ。酒をしたたか飲んで、小腹がすいてきたころ、「これ食べたらカンペキやで」と出してくれた。餃子との相性も抜群だった。


   


2008年2月5日(火曜日)

沖灘料理店物語「都賀のよさこい その8」

カテゴリー: - utinadanchu @ 19時24分04秒

西の琉宝、東のめんそーれ、都賀のよさこい vol.14





▼ 好きな酒で、店の中で何度か倒れた。助けたのは、客だった。入院するお金がないしんちゃんに、常連の神大生たちがカンパして病院に入れた。店がなくなるまで、入口には当時の神大生の寄せ書きのメッセージと写真が飾られていた。


▼ 自力で震災を乗り越えた。震災当時、神戸入りした東京のテレビ局などは、おそらく被災後にできたバラック店鋪と思っただろう。元から仮設店鋪みたいだったので、被災地では妙に違和感がなかった。店で逝くまで、このバラックの厨房で鍋を振った。


▼ 最後まで収支はぎりぎりだったようだ。「ここの家賃は1万7千円。しかし、それがなかなか払えんねん」といいながら、馴染み客には「これサービスやで、食べていき」とプラスαの一品ふるまった。「もう借金は懲りたからしてへん。だから大丈夫」。


   

灘⇔沖縄 通い船対談

vs naddist 様
「カラオケ台北のおっちゃんが経営してたんと違いましたかね、台北飯店。
カラオケ台北がなくなって水道筋からカラオケBOXがなくなりました。
もちろん『ミュージックスタジオ美佐(灘中央市場)』はありますが、
若い人たちにも気軽に楽しんでもらえるBOXも欲しいところではあります。
ふと、カラオケ台北でレタス焼飯食べながら『唐船ドーイ』や『海ぬチンボラー』
を歌ったことを思い出しました。
今考えてみるととても沖灘的ですね。
ハイヤセンスルユイヤナ、シマヌヘイヘイヘイヘイ」

しんちゃんと台北飯店とはやはり関係なかったんですね。
カラオケ台北はnaddistさんたちに連れていってもらったのが最初でしたが、
非常に魅力的なカラオケBOXでした。
この店でそんな歌を歌った人は、おそらくnaddistさんが最初で最後でしょうね。
こういう若い沖灘人が気軽に沖灘民謡を歌えるBOXは、灘にぜひほしいものです。
ちなみに台湾は沖灘列島の最南端にあたり、沖灘人の故郷のひとつです。
灘で台湾料理といえば、宮前商店街にあった台湾料理店はどこに行ったのかなー


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