西の琉宝、東のめんそーれ、都賀のよさこい vol.6
▼ スナックではあるが、京町筋にあった老舗「那覇」以来、神戸で正統派沖縄料理を味わえる店となった「めんそーれ玉緒」。「那覇」の時代は、沖縄料理といえば台湾料理とともに「ゲテモノ」イメージで通っていた。「ゲテモノに挑戦」という感じでママの料理を食べたおじさん達は、ゲテモノという異文化に対する少し見下したまなざしを改め、暮らしに密着した深い味わいのある料理であることを実感しただろう。
▼ 明方も近い4時ごろ、店を終えた小夜子ママは水道筋の東はずれにある灘温泉で疲れを癒してから摩耶小学校近くの自宅に帰るのが日課だった。かねてから、落ち着いた環境で沖縄家庭料理をやりたいという思いがあった。スナック店鋪は狭くて家賃は高く、料理をメインにできない。今の状態では、泡盛のボトル1本入れて少し食べたら軽く1万円は行ってしまう。これでは若い人は来ない。普通の値段で本当の沖縄家庭料理を食べられる店を出せたら、と灘温泉の湯舟で考える日々だった。
▼ 震災からの再建も落ち着いた2004年、思いは六甲道に叶った。駅の近く、安くておいしいと言われていたさぬきうどんの定食屋が立ち退いた店鋪だった。若い人も多い。家族連れも来てもらえる。沖縄から神戸へ骨を埋め、苦労の連続を乗り越え何十年と三宮で頑張ってきて、ようやく落ち着ける場所にたどりついた。沖永良部出身の相方女性と、料理することを楽しみながら切り盛りする姿が微笑ましい。そのころ、名護の孫娘が東京大学に進学した。広くて明るいキッチンの中で、すっかり「灘のおばあ」になったママは、嬉しそうだった。
naddist様より。
「手元の『神戸味覚地図1964年版』(創元社)によると、
『那覇』のメニューは足テビチ、ソーキ焼き、耳皮ナマスなど。
耳皮ナマスはおそらくミミガーの味噌和えなのでしょうが、
新鮮な語感です。
ソーキ焼きは文字通り焼いたソーキにソテツ味噌やハブの粉を
調合した特製味噌だれをつけて食べるそうです。これは興味津々。
あと『化亭物(ゲテモノ)』というカテゴリーもあったようです。
当時の琉球料理は南国の精力系スタミナ食というような認識も
あったんですかね」
naddist様、いつもありがとうございます。
たしかにそのような感じです。自分も、小中学生のころは本文でも
書いたように台湾料理と沖縄料理には大人からの刷り込みがあった
のか、そういう認識だった気がします。
1964年のガイドブックというのもすごいですが、それに載っている
のもすごいですね。ほんとに、かなりの名店だったようですね。
うちにある70年代の「ワンダフル・コウベ」などでも「沖縄料理は
スタミナ源になる」みたいな紹介をされています。どうやら、ハブ酒
のイメージが強いようです。
74年発行の「カラーブックス 神戸の味」では、「ソーキボーニイ
(豚骨焼)がうまい」とあり、こちらも新鮮な響きです。
「キングスアームス」の次、「ハイウエイ」の対抗ページに載っている
ことからも、格の高い店だったことが偲ばれます。
当時は沖縄からの船が中突堤に着いて、岸壁の建物で入国審査をした
そうな。沖縄県人会も、80年代に尼崎に移転するまでタワーサイド
ホテルの山側くらいにありました。
ところで、97年ごろの神戸市内の電話番号データベースで見ると、
なんと中央区に「那覇」という名前の店が3軒もありました。
加納町と北長狭で、加納町の1軒は前回書いた店だと思います。
他の店は、もしかしたら名店「那覇」と何か関係あるかも。