2007年 7月
« 6月   8月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
最近の投稿
沖声灘語 月別過去ログ
沖声灘語 カテゴリ一覧
沖声灘語 最近のコメント
最新の灘イベント情報
予定なし
オンライン状況
11 人のユーザが現在オンラインです。 (1 人のユーザが 沖声灘語 を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 11

もっと...

2007年7月26日(木曜日)

沖縄の青谷

カテゴリー: - utinadanchu @ 11時49分20秒

沖縄で感じる灘 FEEL NADA IN OKINAWA 02「坂道」



海に続く坂の道。ここは青谷?(首里寒川町)

沖縄には、意外と坂がある。
山というほどのものはないのだが、那覇でも国際通りと国道58号線、
崇元寺通りに囲まれた都心部の三角形周辺以外は、どこも坂がちだ。
中でも首里の丘陵に沿った地域は、灘情緒があふれる。



灘情緒あふれる坂の街。ここは六甲?(首里金城町)

坂道があり、坂をうまく利用した住宅がある。
遠くに海が見え、那覇港や安謝新港からの船の汽笛が聞こえる。
「山手」という言葉は沖縄では使われないが、首里東面から南面にかけては、
山手風情のまちなみだ。


その名も「マンション六甲」。オーナーは六甲出身者か、
六甲的景観をよく知る人と信じたい(首里金城町)

本土風に言うなら、「首里台」とでもいおうか。
南東面を向いた明るい斜面に、階段状に家が並ぶ。
バスが、よっこらしょという感じで、登っていく。
坂のうえには大学や高校があり、六甲や青谷にいる気分にさせてくれる。



前回「スケート」に対して、コメントありがとうございます。
『阪神西灘の南、旧西灘ボウルあとに震災後できた
スノボ場「FREE区」も撤退しました。
ま、あそこでスノボはないと思ったのですが、予想通りです』

何度か行きましたが、あっけなさすぎるので有名な六甲山人工スキー場の
10倍くらいあっけないゲレンデは、仕方ないのかな?
夏場とかもやってればよかったのに。
沖縄に移転してこないかなー。
成功しそうな気がするんやけど。


2007年7月18日(水曜日)

海の日にアイススケートin 沖縄

カテゴリー: - utinadanchu @ 02時54分14秒

沖縄で感じる灘 FEEL NADA IN OKINAWA 01「スケート」



沖縄の白い恋人達。こけまくる元気おじーを横目に快走する中学生たち
(沖縄県南風原町、サザンヒルスケートリンクにて)

▼ 昨日(7月16日)は海の日。
正午に、安謝新港(神戸行きフェリーが出ているところ)で、一斉に汽笛が鳴るのが聞こえた。
神戸でも鳴ったのかなー、と思いながら家を出て、向かったのはコバルトブルーの瀬底ビーチではなく、白銀の南風原サザンヒルスケートリンク。 気の合う沖灘人仲間6人で納涼スケートに来た。

▼ 実は沖縄には、真夏でもやっているアイススケート場がある。
沖灘区から車で15分。ここは、沖縄で最も冬の灘を思わせる空間。南西諸島で唯一、吐く息が白い場所だ。しかも、うちなーんちゅの子供たちが元気よく滑っていて、みんな上手いのである。昨年の冬に来たときなど、地元の首里中学校の女生徒たちがスカート姿で滑っていた。灘でも夏にスケート場をオープンしていたら、きっとこういう光景だったろうに。

▼ この日もTシャツ短パン姿、野球ユニフォームの子供たちから、半パンジャージの女子中生、普通のスラックスにワイシャツ姿でこけまくっている元気おじいまで、真夏の沖縄の「白い恋人たち」が舞っていた。鬼ごっことかしておおはしゃぎする子や、フィギュアスケートの練習をしている女の子たち。なぜか、おばあはいなかった。たぶん、沖縄でもっともおばあがいないゾーンである。



アイスカチャーシーに興じる沖灘人たち。
中は銀盤輝く白銀の世界、外は沖縄の灼熱の太陽が照りつける

▼ 灘の子供時代、近くにスケート場があった。長峰校区の生徒はヨワタンが多かったが、あの坂とあのスケート場のおかげで逃げ足の早さとスケートのうまさは灘はおろか神戸で群を抜いていた。他校が襲撃をしてきたら長峰坂を駆け上がり、ゲリラ戦で応酬した。スケート場ではこっちから他校の連中にやりたい放題だった。
ただ、よく来ていた烏帽子中の女子には一目おいていた。上手だったし、かわいかったのだ。阪神パークや大阪のラサまで遠征に行くと、地元女子中学生が逆ナンしてきて、かえってびびったものだ。

▼ 久々のスケートについ当時と時代錯誤してしまい、ビールマンスピンからイナバウアー、そしてアイスカチャーシーと、すっかり14歳に戻った気分だった。危うく地元の中学生に声をかけそうになったが、我に帰って自粛した。ちなみに流れる音楽は、「唐船どーい」や「かぎやで風」ではなく、名前のわからない普通のポップスだった。たしかに「唐船どーい」だとみんなこけまくりだし、「かぎやで風」だと前に進まないだろう。自分のころは桜田淳子か山口百恵だった。悪くはなかったが、中学生としてはシルバーコンベンションとかEW&Fなどソウル系のダンスナンバーをかけてほしかった。


2007年7月11日(水曜日)

沖灘語で解く「灘」

カテゴリー: - utinadanchu @ 14時30分24秒

沖灘地名学演習(5)「ナダ」


灘と沖縄県東風平の花であるマリーゴールド
(東風平町のホームページから借用)

▼ 「なだ」の「ナ」。「ナ」がおだやかさや平らかさをあらわす古代海洋民族語であることは、「那古の浦」の項で触れた。他に「魚」を表す古代語であったともいう。和語「サカナ」は本来「肴」であり、「酒魚」から発展した。「那覇」は魚が取れる場所「ナバ」が転訛して「ナハ」なったという説がある。ただし、魚を表す語には別に「イユ」があり、使い分けがあったのかは不明だ。ちなみに「ナ」が語尾にくる場合は土地や地理的空間そのものを表し、これはもっとも古い日本語のひとつである。

▼ 「なだ」の「ダ」。「ナ」と同じく平坦さを表す言葉として南島にもよく見られる。沖縄の地名では、明治の「琉球処分」で琉球王朝が日本に併合されるまで「奥平」は「ウクンダ」、「西平」は「イリンダ」、そして宮平は「ナーダ」だった。山から海にかけて、もしくは遠くに海を望むなだらかな地形を表す場所に多いと感じられる。現存する地名では、「東風平」(コチンダ)などが有名だ。本土の「日本平」などは、後世の作だろう。決して「ニホンダ」などと読ませることはない。

▼ 余談であり、沖灘人に取っては非常に興味深い話だが、その東風平町(現八重瀬町)の町花は、灘区の区花と同じく「マリーゴールド」だ。沖縄の自治体の花は沖縄に特化された品種が選定される傾向が強いが、普通の園芸種であるマリーゴールドがなぜ選ばれたのかは未確認だ。残念ながら東風平町は市町村合併で自治体組織が変わってしまったが、八重瀬町の東風平地区の花としては今も現役だ。

▼ 「なご」などと同様に全国に散らばる「なだ」は、「灘」という和語になる以前、古代黒潮系海洋民族にとって「おだやかで平らかな地」、「漁場」といった意味を持つ古代語だった。ちなみに「田」の語源も東南アジア一帯で平坦地を指したという指摘がある。沖縄では濁音で「安田」(アダ)、「安慶田」(アゲダ)、「赤田」(アカダ)などのほか、清音で「長田」(ナガタ)、「宇栄田」(ウエタ)、「川田」(カワタ)など多い。神戸の長田も古い地名で、灘と由来が近いかもしれない。

▼ 私たち沖灘人は、大和朝廷も神武東征もない縄文の昔、船を駆ってこの地を開いた先祖の偉業に地名を通じて思いを馳せ続けたい。

(つづく)


2007年7月3日(火曜日)

沖灘語で解く新在家ー東明「那古の浦」

カテゴリー: - utinadanchu @ 17時47分16秒

沖灘地名学演習(4)「ナゴノウラ」


沖縄の「名護の浦」。民謡にも出てくる名勝の地

▼ 徳井の南に東明という地域がある。行政区分上は東灘区御影塚町だが、区界でみると灘区であってもおかしくなく、急進的naddist論者の間では帰属をめぐり「灘の竹島」といわれ領土問題化している。というのもこのエリアは乙女塚、伝統的建造物「武庫の郷」、御影に属するが独立系の東明だんじり、酒心館をはじめとする地酒産業、ゴンチャロフ工場、阪神電車の高架車庫、高羽大橋など灘資源の宝庫であるからだ。東明だんじりは、美女が乗ることでも脚光を浴びる。

▼ この海岸沿い一帯は、かつて「那古の浦」と呼ばれていた。万葉集には「名児の浦」で姿を見せる。石屋川の西、新在家あたりまでが「那古の浦」だったろう。現在、かろうじて町内にある「那古の浦パークマンション」と、先述の「こうべ甲南 武庫の郷」で開催される甲南カルチャー倶楽部の「那古の浦陶芸教室」に名を残すくらいである。

▼ 南島地名研究センター「地名を歩く」によると、全国に「ナゴ」およびそれに近い読みの地名は71カ所存在する。名護をはじめ県内各地に「ナゴ」がある沖縄県を筆頭に、西日本の湾状の海岸沿いに多い。最も東は千葉県館山市の鏡ケ浦周辺のようだ。富山県新湊市の湾が万葉集で「奈呉」と書かれており、「ナゴ」の北限か。また、名古屋周辺には10カ所ものナゴ地名があるという。

▼ 「ナゴ」の「ナ」は、黒潮系海洋民族の古代語で穏やかさを表わす。和語の「なごやか」「薙ぎ」なども、この「ナ」から来ている。「ゴ」「コ」も海岸沿いの地名によく使われる。沖縄なら「辺野古」「津波古」など。「我如古」など丘陵地にも見られることから、平坦さを表わす言葉のひとつかもしれない。また、沖縄に多い地名のひとつ「兼久」(カネコ、カニク)が砂浜を表わすことから、砂の多い地を意味する可能性もある。

▼ 那覇(沖縄南部)、名護(沖縄北部)、名瀬(奄美)、中村(高知)、那賀(徳島)、那賀(和歌山)、那智(和歌山)、名古屋(愛知)、そして灘(兵庫)。こうしてみると、比較的著明な「ナ」地名だけをあげても、南西から東北に45度の角度でほぼ一直線に連なっている。大分県南東部の佐伯市には名護屋湾があり、そこにも灘の地名がある。

▼ 私たち沖灘民族のルーツ、古代黒潮系海洋民族の灘での痕跡を巡る旅。次回はいよいよ「灘」について。

(つづく)



【沖灘地名学演習 補講】

「 西求女塚は、大塚山と呼ばれていたようです。

異常に標高が低い、大阪の天保山みたいなもんですかね。

知られざる灘の山です」とのコメント。

大塚山という名前から推察すると、そこは墓であるという認識はあったけど、

もはや山でしかないという感じだったんでしょうね。

古代、敏馬の泊に出入りする船は、敏馬神社の崖と大塚山に気持ちを新たに

したことでしょう。


33 queries. 0.048 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress