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        <title>灘の旅人</title>
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        <description>灘の旅人</description>
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            <title>第70話「寺口町」</title>
            <description>	
行事や仕事に追われて、ふと気がつけば、だいぶ深いところまで秋が来ていた。
	日頃の運動不足のせいもあって、坂の多いエリアにはなかなか足が向かないのだけれども、
	ここはひとつ、小さい秋でも見つけようかと、気張って寺口町に向かった。
	寺口町は、巨大な陸橋ができて久しい高羽の交差点から始まる。
	新幹線のボディの曲線を思わせる陸橋の足下には、「右一王山」の小さな道しるべがこっそりと佇む。
	寺口町の坂道を上がったり下がったりしながら、
	この町を表す言葉を考え見たけれど、どうにも思いつかない。
	細い坂道を上ったあたりに新築の建物が建ち並んでいたり、
	古い文化住宅が斜面にへばりついていたり、突然空き地が広がっていたりして、
	独特な雰囲気を持った場所だと思うのだけれど、、
	細くランダムな階段のせいで、フゥフゥと息があがるばかりで、
	そのうち周りを見るのもしんどくなってきた。
	とにかく寺口町には、味のある坂道や階段がたくさんあるということだけは間違いないのだけれど、
	ヨソ者を受けつけない、山城のような雰囲気に包まれているような気がしてならない。
	次回は徳井町の予定。

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        <item>
            <title>第69話「鶴甲　後編 」</title>
            <description>	鶴甲2丁目の下りのバス停から少しあがったところに、
	「鶴甲山団地」と書かれた札がある。
	大阪ガスの施設のようだが、詳しくは分からない。
	詳しくは分からないが、鶴甲山の気配を残した貴重な表札だ。
	そこから一気に、六甲ケーブル下駅から東に向かう脇道を登る。
	翠光園、長寿の里、きしろ荘、鶴寿園、千山荘と鶴甲5丁目の老人ホーム団地を抜けると、
	油こぶしを経由して六甲山頂方面に向かう登山道の入り口がある。
	このあたりの標高は約300m前後なのだが、かつての鶴甲山の標高は327m。
	山頂はちょうど神戸大の発達科学部あたりだったようなので、
	ここからの景色に立ちふさがるように、鶴甲山が聳えていたのだろう。
	今では木が生い茂り、すっかり景色は見えなくなってしまったのだが、
	10年ほど前は、実によい眺めだったのでお気に入りの場所のひとつだった。
	ケーブル下駅から昭生病院の方へ下ると大土神社がある。
	水車が絞った菜種油の輸送安全を祈願するために建てられたという云われを持つ。
	石垣に囲まれた独特の雰囲気を持つ神社だ。
	ちょっと前まで、石垣の石を組んで作られた通り道があったのだが、
	今では塞がれてしまっていて残念。
	土山神社から、いったん炭山橋まで下りて「あじさいの道」の階段を上がると、
	田崎真珠の「六甲台あこや工場」がある。六甲台とは言うものの、鶴甲3丁目である。
	真珠を見極めるための「光」を選んだ結果、この場所に辿り着いたそうだ。
	山側から入る安定した光が、真珠を見極めるのに最適だということで、
	加工のための作業場はすべて山側に面しているのだとか。
	最近、工場の北側にもマンションが建ってしまったが、
	真珠を照らす「光」に変わりはないのだろうか。
	次回は寺口町！

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            <title>第68話「鶴甲　前編」</title>
            <description>	
鶴と甲（カメ？）という意味を採れば、実におめでたい地名だろう。
	鶴甲山という山を削って造成された団地が完成したのは昭和42年。
	西神ニュータウン同様、鶴甲の地下には、
削った土砂を運搬するトンネルが作られた。
	そのトンネルは、今もひっそりと地中に残されているという。
	以前、篠原伯母野山の記事の中で、町内の標高差について触れたことがある。
	鶴甲の標高差は約150ｍ。
	鶴甲1丁目1番地は神大国際文化学部の入り口の下にある交差点あたりから、
鶴甲5丁目の老人ホームあたりの標高差がそのぐらいなのだ。
	人が住んでいない摩耶六甲の山腹エリアを除けば、標高差は灘区随一だ。
	鶴甲のまちが開かれた頃に設置されたと思われる、兜を模した記念碑。
	そして小便小僧（？）。
	ちょっとオッサン顔なのは、鶴甲団地とともに歳を重ねてきたからだろうか。
	バス停の近くで、崖沿いにまっすぐ伸びる、ワイルドな歩道を見つけた。
	歩きながら、かつて鶴甲山の雰囲気を想像してみたが、
坂道を駆け抜けるトラックの爆音に打ち消されてしまった。
	ところどころ改修工事が進んでる神戸大のキャンパス。
	部分的に、ではあるものの、何だか他所の大学に来たような、ちょっとしたヨソヨソしさを感じてしまう。
	後編に続く。

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            <title>第67話「土山町」</title>
            <description>	東灘区のずっと山手の方に上がっていくと、鴨子ヶ原や渦森台という地名がある。
	ずいぶん遠いところのような気がするが、谷を挟んで灘区土山町が隣り合っている。
	六甲病院や親和女子に向かう道を上がると、そこは山の上のマンション開発ラッシュ。
	土山町は、その東側斜面を伸び上がっていく。
その一番高いところには、関西電力の新神戸変電所の敷地が広がっている。
	「灘の御影」と言うと奇妙な表現かもしれない。
	でも、御影山手や鴨子ヶ原と隣り合う土山町を歩くと、そんな表現がしっくりくる。
	土山町なのに「プリオーレ御影山の手」なんてマンションがあったりする。
	以前のゼンリン住宅地図に記載されていた「灘土山住宅」は、
大規模改修工事の末に「ヒルズ御影山手」なんて名前のマンションに変わってしまった。
	石屋川の向こうにある、灘区悲喜交々。
	若草幼稚園のところまで下ってくる。
	橋を東側に渡っても、灘区なのだ。
	土山町には旧徳井村の墓地があったという。
	現在の「東明桜ヶ丘霊園」は、その名残だろうか。
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            <title>第66話「高羽町　後編」</title>
            <description>	高羽という地名は、平安時代の史料に現れるというから、古より伝わる由緒正しき地名である。
	「鷹」にまつわる説もあるが、高＝タカ＝タケ＝竹、羽＝フ＝ウ＝生と読んで竹が生えた地だという説もあり、その由来は定かではない。
	高羽川渓谷は、阪急と交差する南北で深みを見せる。
	丹生神社は、水神が祀られているという。
	高羽川沿いに建てられていて、祀神の由来や由緒は定かではないが、水が不足しがちな六甲の裾野の村々に水をもたらす神だったようだ。
	だがV字に切れ込んだ高羽川の険しさを見ると、時に猛威を振るった水神を祀ったのではないかという気もしてくる。
	最近改修工事が終わった高羽小学校の姿。
	以下は前の校舎のお別れ会の時に撮った写真。
	そして、高羽小学校すぐ西隣の高羽公園。
	震災後、この公園に並んでいた仮設住宅に3年ほど通った記憶が蘇る。
	だが、今はもう、何の痕跡もない。
	側溝の上に店を構えていた靴と傘修理の「正直屋」さんも、跡形も無く消えてしまった。
	おもろうて　やがて哀しき　高羽道

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            <title>第65話「高羽町　前編」</title>
            <description>	
石屋川と阪急、そして高羽の交差点にむかって上る山麓線に挟まれた三角地帯。
	渋滞の抜け道にもならないこの場所には、孤島のような空気が漂う。
	16系統の上りのバスが、阪急の橋脚すれすれに舐めるようにターンする交差点を西へ。
線路に沿って東西に伸びる路地を歩く。
	古いが現役の掲示板には「高羽住田自治会」の文字が。
	古い字（あざ）の名残を見かけると、宝物のように思えるのはなぜだろうか。
	もう少し歩くと、「踏み切り地蔵」と名づけられた地蔵に出会う。
	「高羽町　後編」に続く

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            <title>第64話「高羽字滝ノ奥」</title>
            <description>	「滝ノ奥」というぐらいだから、はじめはどれほど山奥なのかと思った。
	かつては高羽村の入会地だったのだろう。
	十善寺よりもさらに奥まった場所なのだから、表現としては間違ってはいない。
	神戸大の国際文化学部脇にあるテニスコートの横を通り抜けたあたりを東に向かって橋を渡れば「高羽字滝ノ奥」なのだ。
	「ごこう橋」という橋を渡ったところに、「六甲高羽アーバンライフ」というマンションだけがある。
	周りを見渡せばマンションや建売住宅の開発ラッシュのようで、ゴリゴリと削られたベージュ色の岩肌が生々しい。
	橋の下だけは、滝ノ奥の名にふさわしい濃い緑が覆い尽くしている。
	木々に覆われた谷底に、ちょっと大き目の堰堤がある。
	かつては、それが滝ノ奥の「滝」だったのかもしれない。
	次回は「高羽町」。

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            <title>第63話「高尾通」</title>
            <description>	
高い尾根で「高尾」ということらしい。
箕岡や長峰と共に、「灘区の屋根」をなす。
	摩耶ケーブル下から東に向かって、気持ちよく延びる道。
	神戸大学の国維寮は、昭和41-42年の建築とされる。
	建物は古めかしく、男子専用学生寮の趣きなのだが、中庭の石垣は、妙に味わいがある。何かの遺構だろうか。
	敷地の脇には、「頌徳碑」の文字が刻まれた石碑が佇む。
	かつて福住通にあった湊川高等実業女学校（湊川高等女子職業高校）が、阪神大水害で被災した犠牲者を追悼するために建てられたものであるという。
	現在、湊川高等実業女学校の流れを汲む湊川短期大学（三田市）に、石碑を移転する計画が進行中とのことだ。（※毎日新聞2008年7月28日･神戸版参照）
	摩耶ケーブルの駅前には、天上寺への道筋を示す石柱がある。草に隠れていて確認できなかったが、石は「摩耶十八丁」と記された丁石であるという。
	1丁は約109メートル、36丁で１里。つまり18丁は半里で2キロメートル弱ということになる。元は別の場所に設置されていたものがここに移設されたそうだ。
	春には桜のトンネルとして楽しませてくれる桜並木だが、今の時期には、照りつける真夏の日差しを遮る濃厚な日陰を与えてくれるのがありがたい。
	次回は「高羽（字滝ノ奥）」（高羽町ではありません）の予定。

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            <title>第62話「曾和町」</title>
            <description>	
毎日、暑い日が続いている。
	曾和町は、高羽小学校の北西、六甲登山口の交差点からは北東に位置する。
	ソワとは、急な傾斜地や崖を指す言葉であるという。
元は、高羽村字岨。これに「曾和」の字を当てたとか。
	和にして洋。
洋にして和。
それが今の曾和町の雰囲気だ。
	曾和町には神戸ドイツ学院がある。
オリンピックのような絢爛たる「国際」ではなく、鬱蒼とした樹木に囲まれた物静かな「国際」は、高羽山手とも呼ぶべき、この地域の味わいを深めている。
	ドイツ学院の裏手にひっそりと佇む平屋の住宅の小さな煙突が、実にいい味わいを醸している。
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            <title>第61話「千旦通」</title>
            <description>	
灘小学校は、千旦通にある。
	昭和45年に、西灘小学校から分かれて出来たということだから、「西灘の東」という意味で「灘小学校」になったのだろうか？？どなたかご存じだったら教えてください。
	ところで、千旦通の「千旦」は、旧地名の「千旦ノ木」に由来するという。
千旦ノ木という地名は、和歌山県にもある。和歌山のそれは、松下幸之助出生の地であるという。
	センタンノキという音からは、栴檀という種類の木を想像できるが、異論が多い。大阪の中之島にかかる栴檀木橋という橋の名前も、由来は明らかではない。
	和歌山の千旦がセンダと読むことから、千旦＝センダ＝千駄（たくさん）と読み替えてみたり、センダキ＝千駄焚き＝雨乞いの儀式の場所だったという説もある。
	灘の旧地名の「神ノ木」「辻の木」の並びで「千旦の木」を考える方法もあるというが、どうにも答えを見いだせない。
	ところで前から気になっていたのだが、ここの地蔵には、地蔵盆専用のテントが備え付けられている。先見の明というか、準備がいいというか、実に大したものだと思う。

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