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        <title>灘の旅人</title>
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        <description>灘の旅人</description>
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            <title>第81話「灘南通」</title>
            <description>	
灘南通から見る摩耶山がいい。
近からず、遠からず。
	六甲変動が生み出した鋭い稜線が美しい。
	今は線路跡が遊歩道になってしまったが、灘南通は、臨港線の始点となった貨物東灘駅の南にある。
	ならば「東灘南通」になるかと思うが、そう単純な話でもない。
	『坂の上の雲』の舞台となる日露戦争が起きた1904年（明治37年）、この地に「灘信号所」が作られた。
	1907年（明治40年）には、貨物線の整備に合わせて「灘聯絡所」となる。
	そして現在の灘駅開業より先の1910年（明治43年）、「灘駅」の名を冠した貨物駅が設置された。
	ところが、1917年（大正6年）に現在の灘駅が作られたために、その東側にあった貨物「灘駅」は「東灘駅」と名前を変えた。
	戦前戦後は貨物駅としての役割を果たした。
	1972年（昭和47年）には貨物取扱廃止に伴い「東灘操車場」となり、さらに「東灘信号所」と名前を変え、2003年には臨港線が廃止された。
	灘に歴史あり、灘南に灘駅あり、である。（※現行の灘駅は岩屋北町です）
	灘駅ができたからと、「灘駅」の名前を譲って、自ら「東灘駅」を名乗るところなど、なにやら奥ゆかしい灘区民気質ではないか（という気がする）。
	そんなこんなで、灘南通は、海港都市コウベを感じる絶好の場所の位置しているのだ。
	歴史を踏まえれば、西灘村に東灘駅があったのも無理からぬことのようにも思えてくる。
	（※東灘区の編入は昭和25年なので、その頃から「灘の本拠地論争」は余計にややこしくなってくる・・・。）

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            <title>第80話「灘浜東町」</title>
            <description>	ウェブによって身近に使えるようになった衛星写真を眺めると、大阪湾の北に、一箇所だけ「赤い島」を見つけることができる。
	「神戸市灘区灘浜東町」、もとい神戸製鋼所の「神戸製鉄所」である。
	（※衛星写真）
	昭和34年（＝1959年）、新在家の海が埋め立てられてから、50年が経つ。
	赤い島は、今も線材や棒鋼の生産を続けている。
	十年以上前、灘区に住み始めて最初に覚えたランドマークが、神戸製鋼所の紅白煙突だった。
	総出力140万キロワットの石炭火力発電所建設に伴い、120メートルの紅白煙突は輪切りにされてなくなった。
	そして今度は、撞木を2本束ねたようなのような150メートルの灰色煙突がニョキニョキと生えてきた。
	ところで、この赤い島には、「火喰い竜」と呼ばれる怪物が棲む。
	2500度に達するという高炉の底には、「サラマンダー」（火喰い竜、もしくは火トカゲ）と呼ばれるドロドロに溶けた鉄鉱石の残渣が溜まるのだという。
	数年前に行われた高炉の改修工事を追ったドキュメンタリーは、「灘浜サイエンススクエア」で見ることができる。
	ナダの火喰い竜、そんな物語が灰色の煙突から吹き上がる。
	世界中の自動車の2台に1台は、ナダの火喰い竜が棲む高炉から生み出された部品を使っているのだ。
	日本最小で世界最高効率の高炉は、今も灘浜で熱く煮えている。

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            <title>第79話「灘浜町」</title>
            <description>	
ハードボイルドとは元来、硬く茹でた玉子のことを指す。
	転じて、感情に流されず、時に冷徹で、時に無慈悲な男たちを描いた文学や映画がハードボイルドとされる。
ヘミングウェイ、ゴルゴ13、カサブランカ、舘ひろし。
	灘浜町は、ハードボイルドな空気が満ちた場所だ。
	マッチョな風景、とでも言い換えてもいいだろう。
	岸壁、クレーン、廃棄物運搬船、赤潮、セメント工場。
広大なガソリンスタンド、コカコーラ、人造アルコール工場。
遠景には製鉄所、発電所、艀、湾岸線、コンテナ、倉庫群。
	もし、灘浜のハードボイルド感を満喫したい人がいたら、
トレンチコートを着て、灘浜の岸壁を全力疾走してみたらいいと思う。
	でも、君のハードボイルドに危険を感じたサビキ釣りファミリーが通報したら、
本当にハードボイルドな警官たちがやってくるかもしれない。
	灘浜はすべて、昭和15年に埋め立てられた土地だ。
	埋め立てという考え方自体が、ハードボイルドである。
	それから70年近く経ってもなお、剥き出しのクレーンや愛想のないコンクリートが似合う町だ。
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            <title>第78話「灘北通」</title>
            <description>	
もうすぐ7月28日がやってくる。
	去年の今頃、この川には、もっとたくさんの子どもたちが遊んでいたことだろう。
	まだまだ生々しい記憶や思いを持つ人たちがたくさんいる中で、自分には、紡ぐべき言葉が見つからない。
	だが、川で遊ばない様になるということは、川で遊ぶ経験を持たずに育つということだ。
	癒えぬ傷をまだしばらくそっとしておくこと、川の危険を知ること、そして灘っ子たちに新たな川の記憶が培われることを願わずにはいられない。
	灘北通は、長い。
	都賀川のある1丁目から、灘駅の向こうの10丁目まで。
	長い。。。
	公園には、階段のような、滑り台のような、不思議な傾斜構造物があった。
	石垣の御影石と調和して、妙に味わい深い。
	そして西隣には水神社。
	この神社は、水害除け、災厄除けを願うものである。
	海側のトンネルから抜けてきた時の景色が良かった。
	5丁目、6丁目を西へ。
	震災後にできた復興住宅である灘北第2住宅の高層棟の根本を西へ。
	工事中の灘駅を眺めつつつ、もう少し西へ。
	灘北通の西端は、天を突くような高層マンション。
	その隣でプツリと灘区が終わっている。
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            <title>第77話「長峰台」</title>
            <description>	
摩耶山の掬星台に上がって大阪方面を眺めると、そのすぐ左手にある、なだらかな長い峰を持つ山がある。標高687mの長峰山である。
	峰筋をずっと市街部に下りていった尻尾の突端あたりが長峰台にあたる。護国神社から長峰坂を上がりきったところが長峰中学校だ。
	ナダに坂道数多あれど、この長峰坂の名の知れ渡り方は、ちょっと不思議なくらいだ。
	護国神社前の交番のある交差点から長峰中学校の門まで約550メートル。斜度や疲労感は言うに及ばず、ナダ区民不屈の精神を養う大リーグ養成ギブス的な役割を果たしてきた故の知名度であろう。
	長峰中学校あたりの標高は200メートル弱なので、実際には篠原台や鶴甲団地の方が高い。実際の高さよりも高く感じることを「長峰坂効果」とでも呼んでおこう。
	とは言うものの、長峰台が灘区屈指の標高を誇るエリアであることは間違いない。長峰台も、空の中の町なのだ。
	長峰中学校の擁壁に、世界地図が現れていた。
	そして門の前にある、石垣風の石柱。
	何だろう？

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            <title>第76話「中原通」</title>
            <description>	
山手幹線よりもまだ上、阪急に沿って延びる中原通の名前は、
浜手と山手を分ける「中の手」の「中」に由来するという。
	目と鼻の先の水道筋感を残しつつ、坂道の気配を感じさせつつ、阪急電車の音が響く。
東に行けば縦横に路地が絡まり合い、西に向かえばハイソな雰囲気の家もちらほら。
	そんな中原通は、なるほどたしかに中の手の代名詞なのかもしれない。
	中原通1丁目。
他人には教えない方がいいんじゃないかと思う場所の一つが、味のある路地。
	「お邪魔します・・・」と呟いて玄関先に上がり込むような、
昼餉の匂いを嗅いでしまった罪悪感と幸福感が混ざり合ったような、
迷路のワクワク感と、手作りの庭先空間が同時に楽しめるような、
そんなステキな場所は秘密のままにしておきたいな、という気持ちでいっぱいになる。
	最上級の路地空間から西にぷいっと吐き出されてみると、
そこは中央筋からひょいと上がったぶぎうぎロード。
	ぶぎうぎが　ぶぎうぎにきて　ぶぎうれず　ぶぎうぎかえる　ぶぎうぎの声
	西へ。
	ひょっこりと顔を覗かせている「中原グランドキャニオン」。
	アンドー先生も、このぐらいのスケール感だったらいいのに。
	ふと気がつくと、祭りムードで賑わう王子公園だった。
	中原通の懐は深い。

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            <title>第75話「永手町･後編」</title>
            <description>	
レードルのドアの向こうには「貸店舗」の看板が置かれ、
	その上には、無造作ではあるものの、いわくありげにエプロンがかけられていた。
	誰かへのメッセージだろうか。
	永手町4丁目、ＪＲ六甲道駅。
	一日25000人以上が、この駅のホームから電車に乗り込む。
	駅は人を吸い込み、人を吐き出す。
	震災後、駅周辺の再開発は人口の急増をもたらした。
	居並ぶ店舗も、群雄割拠、栄枯盛衰、生存競争。
	変化のスピードに目が眩む。
	人間の顔が見える町になるまで、もう少し時間がかかるのかもしれない。
	夕方、駅から吐き出された人びとは、土に染みこむ水のように、
	我が家へと帰って行った。
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            <title>第74話「永手町・前編」</title>
            <description>	連れが「オムライスにはケチャップだよね」と言うので、
	僕はカウンターに立つマスターに何気なく、本当に何気なく、
	「ケチャップのオムライスってないの？」と尋ねた。
	一瞥もせず、マスターは「そんなものは、どこでも食えるやろ」と言い捨てた。
	翌月、再びレードルを訪れた時、あの、コピー用紙を丸めたようなメニューの中に、
	「オムライス（ケチャップ）」の文字を見つけた。
	その時僕は、なぜだか救われた気がした。
	だがしかし。
	そんな出来事の積み重ねが、傾いた喫茶店のマスターに閉店を決意させたのかと思うと、
	なんとも自責の念でいっぱいだ。
	永手町1丁目、「レードル」閉店の報せを耳にして以来、
	あのときの出来事が繰り返し思い出されてならない。
	永手町3丁目の蕎麦屋「よう」が閉店した時にも、
	やはり、僕の心のざわざわという音は、しばらく鳴りやまなかった。
	僕がもっとちゃんと通っていれば、店主のヨーコちゃんの愚痴を聞いてあげれば、
	こんなことにならなかったかもしれない、と。
	ある日気がついたら、Bar「fine」が無くなっていたときにも、
	高架下にあるジャパンのオヤジのメガネが歪んでいても、
	最近の六甲道を歩く時は、隙間風のような寂しさと向き合わなければならない。
	（次回は永手町・後編）

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            <title>第73話「中郷町」</title>
            <description>	中郷町は、徳井村の「中ノ郷」であったという。
	中郷町には、徳井会館があり、会館の裏側には徳井村の住人だったと思しき
	地蔵たちが隠居生活（？）を送るひな壇がある。
	どうやら徳井村はここに健在のようだ。
	中郷町と大和町にまたがるかたちで、大和公園が広がる。
	二つを併せれば、かなりの面積になる。
	公園にはテニスコートが整備されており、緑の金網の向こうから楽しげな声が溢れてくる。南側には木漏れ日と落ち葉に包まれた「公園」がある。
	落ち葉を踏みながら歩く道は直径約40mの正円を描く。
	何かに行き詰まった時、この円を五周ほど歩いたら道が開けてきそうだ。
	ここだけではないけれど、「徳井会館前」という名前のバス停が、モノレールでも停まりそうな雰囲気になっていた。
	停まるバスは1時間に一本程度だけれども、バス停だけが未来を先走ったのかもしれない。。。
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            <title>第72話「友田町」</title>
            <description>	寒空の下に響くもちつきの杵音が、年の瀬を感じさせる頃となった。
	子どもたちは、クリスマスと年末年始というビッグイベントが控える冬休みを、指折り数えているだろうか。
	高羽川が二号線の下を潜って、海側にひょいと出てきたあたりから友田町は始まる。
友田町の南端は昔の西国街道・・・だという。
	友田町、記田町、浜田町、深田町のいずれも、旧八幡村の字名から付けられた町名なのだが、
	由来についてはどうにもはっきりしていない。
	二号線沿いに桜口の交差点に近づいていくと、
金融保険機関の支店が一つ、二つ、三つと並んでいることに気がつく。
	ナダのウォール街･･･なんてのは言いすぎだけれど、「100年に一度」の衝撃は、
	このあたりのローカルな金融システムにも大きな影響を与えているに違いない。（と想像してみる）
	二号線の山側にあるイタリア広場を囲む高層建築群を映すグランド六甲のガラスの壁。
	震災を経た後も、遊び場としての形を追求し続けた結果、今の姿になったのだろう。
	夜遅くまで、若者たちがたむろする新しい形の「盛り場」なのだろう、と思う。

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