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        <title>灘の旅人</title>
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        <description>灘の旅人</description>
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            <title>第77話「長峰台」</title>
            <description>	
摩耶山の掬星台に上がって大阪方面を眺めると、そのすぐ左手にある、なだらかな長い峰を持つ山がある。標高687mの長峰山である。
	峰筋をずっと市街部に下りていった尻尾の突端あたりが長峰台にあたる。護国神社から長峰坂を上がりきったところが長峰中学校だ。
	ナダに坂道数多あれど、この長峰坂の名の知れ渡り方は、ちょっと不思議なくらいだ。
	護国神社前の交番のある交差点から長峰中学校の門まで約550メートル。斜度や疲労感は言うに及ばず、ナダ区民不屈の精神を養う大リーグ養成ギブス的な役割を果たしてきた故の知名度であろう。
	長峰中学校あたりの標高は200メートル弱なので、実際には篠原台や鶴甲団地の方が高い。実際の高さよりも高く感じることを「長峰坂効果」とでも呼んでおこう。
	とは言うものの、長峰台が灘区屈指の標高を誇るエリアであることは間違いない。長峰台も、空の中の町なのだ。
	長峰中学校の擁壁に、世界地図が現れていた。
	そして門の前にある、石垣風の石柱。
	何だろう？

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            <title>第76話「中原通」</title>
            <description>	
山手幹線よりもまだ上、阪急に沿って延びる中原通の名前は、
浜手と山手を分ける「中の手」の「中」に由来するという。
	目と鼻の先の水道筋感を残しつつ、坂道の気配を感じさせつつ、阪急電車の音が響く。
東に行けば縦横に路地が絡まり合い、西に向かえばハイソな雰囲気の家もちらほら。
	そんな中原通は、なるほどたしかに中の手の代名詞なのかもしれない。
	中原通1丁目。
他人には教えない方がいいんじゃないかと思う場所の一つが、味のある路地。
	「お邪魔します・・・」と呟いて玄関先に上がり込むような、
昼餉の匂いを嗅いでしまった罪悪感と幸福感が混ざり合ったような、
迷路のワクワク感と、手作りの庭先空間が同時に楽しめるような、
そんなステキな場所は秘密のままにしておきたいな、という気持ちでいっぱいになる。
	最上級の路地空間から西にぷいっと吐き出されてみると、
そこは中央筋からひょいと上がったぶぎうぎロード。
	ぶぎうぎが　ぶぎうぎにきて　ぶぎうれず　ぶぎうぎかえる　ぶぎうぎの声
	西へ。
	ひょっこりと顔を覗かせている「中原グランドキャニオン」。
	アンドー先生も、このぐらいのスケール感だったらいいのに。
	ふと気がつくと、祭りムードで賑わう王子公園だった。
	中原通の懐は深い。

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            <title>第75話「永手町･後編」</title>
            <description>	
レードルのドアの向こうには「貸店舗」の看板が置かれ、
	その上には、無造作ではあるものの、いわくありげにエプロンがかけられていた。
	誰かへのメッセージだろうか。
	永手町4丁目、ＪＲ六甲道駅。
	一日25000人以上が、この駅のホームから電車に乗り込む。
	駅は人を吸い込み、人を吐き出す。
	震災後、駅周辺の再開発は人口の急増をもたらした。
	居並ぶ店舗も、群雄割拠、栄枯盛衰、生存競争。
	変化のスピードに目が眩む。
	人間の顔が見える町になるまで、もう少し時間がかかるのかもしれない。
	夕方、駅から吐き出された人びとは、土に染みこむ水のように、
	我が家へと帰って行った。
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            <title>第74話「永手町・前編」</title>
            <description>	連れが「オムライスにはケチャップだよね」と言うので、
	僕はカウンターに立つマスターに何気なく、本当に何気なく、
	「ケチャップのオムライスってないの？」と尋ねた。
	一瞥もせず、マスターは「そんなものは、どこでも食えるやろ」と言い捨てた。
	翌月、再びレードルを訪れた時、あの、コピー用紙を丸めたようなメニューの中に、
	「オムライス（ケチャップ）」の文字を見つけた。
	その時僕は、なぜだか救われた気がした。
	だがしかし。
	そんな出来事の積み重ねが、傾いた喫茶店のマスターに閉店を決意させたのかと思うと、
	なんとも自責の念でいっぱいだ。
	永手町1丁目、「レードル」閉店の報せを耳にして以来、
	あのときの出来事が繰り返し思い出されてならない。
	永手町3丁目の蕎麦屋「よう」が閉店した時にも、
	やはり、僕の心のざわざわという音は、しばらく鳴りやまなかった。
	僕がもっとちゃんと通っていれば、店主のヨーコちゃんの愚痴を聞いてあげれば、
	こんなことにならなかったかもしれない、と。
	ある日気がついたら、Bar「fine」が無くなっていたときにも、
	高架下にあるジャパンのオヤジのメガネが歪んでいても、
	最近の六甲道を歩く時は、隙間風のような寂しさと向き合わなければならない。
	（次回は永手町・後編）

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        <item>
            <title>第73話「中郷町」</title>
            <description>	中郷町は、徳井村の「中ノ郷」であったという。
	中郷町には、徳井会館があり、会館の裏側には徳井村の住人だったと思しき
	地蔵たちが隠居生活（？）を送るひな壇がある。
	どうやら徳井村はここに健在のようだ。
	中郷町と大和町にまたがるかたちで、大和公園が広がる。
	二つを併せれば、かなりの面積になる。
	公園にはテニスコートが整備されており、緑の金網の向こうから楽しげな声が溢れてくる。南側には木漏れ日と落ち葉に包まれた「公園」がある。
	落ち葉を踏みながら歩く道は直径約40mの正円を描く。
	何かに行き詰まった時、この円を五周ほど歩いたら道が開けてきそうだ。
	ここだけではないけれど、「徳井会館前」という名前のバス停が、モノレールでも停まりそうな雰囲気になっていた。
	停まるバスは1時間に一本程度だけれども、バス停だけが未来を先走ったのかもしれない。。。
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            <title>第72話「友田町」</title>
            <description>	寒空の下に響くもちつきの杵音が、年の瀬を感じさせる頃となった。
	子どもたちは、クリスマスと年末年始というビッグイベントが控える冬休みを、指折り数えているだろうか。
	高羽川が二号線の下を潜って、海側にひょいと出てきたあたりから友田町は始まる。
友田町の南端は昔の西国街道・・・だという。
	友田町、記田町、浜田町、深田町のいずれも、旧八幡村の字名から付けられた町名なのだが、
	由来についてはどうにもはっきりしていない。
	二号線沿いに桜口の交差点に近づいていくと、
金融保険機関の支店が一つ、二つ、三つと並んでいることに気がつく。
	ナダのウォール街･･･なんてのは言いすぎだけれど、「100年に一度」の衝撃は、
	このあたりのローカルな金融システムにも大きな影響を与えているに違いない。（と想像してみる）
	二号線の山側にあるイタリア広場を囲む高層建築群を映すグランド六甲のガラスの壁。
	震災を経た後も、遊び場としての形を追求し続けた結果、今の姿になったのだろう。
	夜遅くまで、若者たちがたむろする新しい形の「盛り場」なのだろう、と思う。

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            <title>第71話「徳井町」</title>
            <description>	嵐の後の冬の青空の下、灘区と東灘区の境界線に辿り着く。
	公会堂を川向かいに眺めたあたりから、徳井町は始まる。
	すっかり麺ロードの様相を呈している２号線沿線で、刀削麺の店構えが目を惹く。
	ロードサイド系と地場系の店舗がランダムに並ぶのがこのあたり特徴か。
	かつて徳井町は大工の町だったという。
	灘の酒蔵建設に携わった大工の多くが徳井町に暮らしていたのだとか。
	夜、徳井町の街路は青く光る。
	防犯効果が云々とのことだが、クリスマスシーズンなので、赤いライトと交互に並べてみたら賑やかになって、効果抜群かもしれない。
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            <title>第70話「寺口町」</title>
            <description>	
行事や仕事に追われて、ふと気がつけば、だいぶ深いところまで秋が来ていた。
	日頃の運動不足のせいもあって、坂の多いエリアにはなかなか足が向かないのだけれども、
	ここはひとつ、小さい秋でも見つけようかと、気張って寺口町に向かった。
	寺口町は、巨大な陸橋ができて久しい高羽の交差点から始まる。
	新幹線のボディの曲線を思わせる陸橋の足下には、「右一王山」の小さな道しるべがこっそりと佇む。
	寺口町の坂道を上がったり下がったりしながら、
	この町を表す言葉を考え見たけれど、どうにも思いつかない。
	細い坂道を上ったあたりに新築の建物が建ち並んでいたり、
	古い文化住宅が斜面にへばりついていたり、突然空き地が広がっていたりして、
	独特な雰囲気を持った場所だと思うのだけれど、、
	細くランダムな階段のせいで、フゥフゥと息があがるばかりで、
	そのうち周りを見るのもしんどくなってきた。
	とにかく寺口町には、味のある坂道や階段がたくさんあるということだけは間違いないのだけれど、
	ヨソ者を受けつけない、山城のような雰囲気に包まれているような気がしてならない。
	次回は徳井町の予定。

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            <title>第69話「鶴甲　後編 」</title>
            <description>	鶴甲2丁目の下りのバス停から少しあがったところに、
	「鶴甲山団地」と書かれた札がある。
	大阪ガスの施設のようだが、詳しくは分からない。
	詳しくは分からないが、鶴甲山の気配を残した貴重な表札だ。
	そこから一気に、六甲ケーブル下駅から東に向かう脇道を登る。
	翠光園、長寿の里、きしろ荘、鶴寿園、千山荘と鶴甲5丁目の老人ホーム団地を抜けると、
	油こぶしを経由して六甲山頂方面に向かう登山道の入り口がある。
	このあたりの標高は約300m前後なのだが、かつての鶴甲山の標高は327m。
	山頂はちょうど神戸大の発達科学部あたりだったようなので、
	ここからの景色に立ちふさがるように、鶴甲山が聳えていたのだろう。
	今では木が生い茂り、すっかり景色は見えなくなってしまったのだが、
	10年ほど前は、実によい眺めだったのでお気に入りの場所のひとつだった。
	ケーブル下駅から昭生病院の方へ下ると大土神社がある。
	水車が絞った菜種油の輸送安全を祈願するために建てられたという云われを持つ。
	石垣に囲まれた独特の雰囲気を持つ神社だ。
	ちょっと前まで、石垣の石を組んで作られた通り道があったのだが、
	今では塞がれてしまっていて残念。
	土山神社から、いったん炭山橋まで下りて「あじさいの道」の階段を上がると、
	田崎真珠の「六甲台あこや工場」がある。六甲台とは言うものの、鶴甲3丁目である。
	真珠を見極めるための「光」を選んだ結果、この場所に辿り着いたそうだ。
	山側から入る安定した光が、真珠を見極めるのに最適だということで、
	加工のための作業場はすべて山側に面しているのだとか。
	最近、工場の北側にもマンションが建ってしまったが、
	真珠を照らす「光」に変わりはないのだろうか。
	次回は寺口町！

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        <item>
            <title>第68話「鶴甲　前編」</title>
            <description>	
鶴と甲（カメ？）という意味を採れば、実におめでたい地名だろう。
	鶴甲山という山を削って造成された団地が完成したのは昭和42年。
	西神ニュータウン同様、鶴甲の地下には、
削った土砂を運搬するトンネルが作られた。
	そのトンネルは、今もひっそりと地中に残されているという。
	以前、篠原伯母野山の記事の中で、町内の標高差について触れたことがある。
	鶴甲の標高差は約150ｍ。
	鶴甲1丁目1番地は神大国際文化学部の入り口の下にある交差点あたりから、
鶴甲5丁目の老人ホームあたりの標高差がそのぐらいなのだ。
	人が住んでいない摩耶六甲の山腹エリアを除けば、標高差は灘区随一だ。
	鶴甲のまちが開かれた頃に設置されたと思われる、兜を模した記念碑。
	そして小便小僧（？）。
	ちょっとオッサン顔なのは、鶴甲団地とともに歳を重ねてきたからだろうか。
	バス停の近くで、崖沿いにまっすぐ伸びる、ワイルドな歩道を見つけた。
	歩きながら、かつて鶴甲山の雰囲気を想像してみたが、
坂道を駆け抜けるトラックの爆音に打ち消されてしまった。
	ところどころ改修工事が進んでる神戸大のキャンパス。
	部分的に、ではあるものの、何だか他所の大学に来たような、ちょっとしたヨソヨソしさを感じてしまう。
	後編に続く。

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