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        <title>灘の旅人</title>
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        <description>灘の旅人</description>
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            <title>第85話「稗原町」</title>
            <description>	
歴史的には、稗という植物は救荒作物として知られる。
だが「これが稗か。。」と眺めた記憶はないし、まして飢饉を体験したこともない。
	ナダ区民にとって稗原の地名は、「放置自転車や原付の保管所」がある場所として、
聞き覚えがあるかもしれない。
	ちなみに水道筋商店街の南にある稗田小学校や稗田公園は旧稗田村に由来するが、
「稗田町」という町名はない。稗原町は六甲道の西にある。
	六甲道の山側、山手幹線の海側を東西に貫く「神若線」を都賀川方面に向かう。
普通の住宅街かと思いきや、こだわりの店、わがままな店が軒を連ねる。
	稗原町には、公園が多い。
1丁目から3丁目までの間に、4つも公園がある。
むつみ広場、ひょうたん広場、稗原町公園、そして高架下には睦市民公園。
	とりわけオススメは高架下の睦市民公園である。
雨の日も雪の日も、滑り台やブランコに没頭できる。
	このブランコに座って橋脚を見ていたら、震災を思い出す人もいるかもしれない。
	もうすぐ16年目の1月17日がやってくる。
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            <title>第84話「原田通」</title>
            <description>	
旧原田村の、原田通である。
原田の「原」には、開墾された土地という意味があるという。
	さて。まずは王子神社である。
	王子神社はかつて、「原田神社」と呼ばれていたという。
入り口の標石側面には大々的に「元原田神社」と彫り込まれているし、
高林神社という神社と合祀されたという話などもあり、なにやら複雑な歴史を匂わせる。
	最近、パンダのコウコウが急逝したという悲しいニュースが流れた王子動物園は、
道路を挟んで原田通の山側にある。
	この王子動物園の「王子」は、もちろんこの「王子神社」に由来する。
由来する、というよりも、動物園の敷地が王子神社の鎮守の森みたいな「原田の森」だったわけで、
キリスト教系の関西学院大学だって、元は「原田の森」にひょっこり生まれた大学だし、
京都の下賀茂神社にある「糺の森」と同じぐらい、霊験あらたかな原田の森なのだ。
	最近では「○○王子」全盛の時代だそうで、ハンカチだのハニカミだの腕立てだのポッチャリだの、
何でもかんでも王子王子だが、このあたりじゃ700年ぐらい前から王子権現が祀られているのだ。
	あれやこれやの歴史の話は置いといて、
とりあえず、この稲荷社の床下に佇む狐像の存在感はどうだろう。
	王子動物園に暮らすマヌルネコを彷彿とさせる佇まいである。
（体型はずいぶん違うけど。。。） 
	原田通は、灘区屈指の観光地である王子動物園の門前町・・・ではない。
動物園なんて知らん、というほどの存在感がある場所を、駆け足で紹介したい。
	王子街園のフェニックス
	景山医院。
	銃砲･火薬。
	 そして「原田の森ギャラリー」（前兵庫県立近代美術館）。
1970年竣工というが、40年の歳月を感じさせない。村野藤吾の作品。 
	原田通は、木々の緑、白い壁、青い空のコントラストがやけに印象的な町だった。
	次回は稗原町。

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            <title>第83話「浜田町」</title>
            <description>	
浜田町、というぐらいなので、かつては海辺であったことは間違いない。
	旧八幡村が海とつながっていた、唯一の場所でもある。
	浜田町の丁目の並びは、ちょっと不思議だ。
	浜田町は、阪神新在家駅から南東方向に広がる、およそ200メートル四方の区画だが、
	南東側4分の1が1丁目、北に上がって43号線の北側に2丁目と3丁目、
	再び43号線の南側に渡って、区画の南西部分が4丁目となる。
	浜田町2丁目、浜田公園を東に望んだ直線上には、阪神石屋川駅がある。
	細長い公園は、かつて阪神電車が走った名残である。
	季節柄、公園ではちょうど盆おどりの準備が進んでいるところだった。
	43号線の頭上には阪神高速が聳え、運河の南側には神戸製鋼の製鉄所が広がる。
	巨大な構造物や工場と隣り合うため、住宅と工場が混ざり合う浜田町の人間臭さが心地よい。
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            <title>第82話「畑原通」</title>
            <description>	
畑原村の名の由来は、字義通り、畑の原であったと思う。
梅雨のど真ん中ではあるものの、昨日降った土砂降りの雨が、傾斜のある溝の底をちょろちょろと流れる。
水が残らない扇状地に水田を作るのは困難なことだ。
	畑原のだんじり倉庫がある平五郎稲荷大明神あたりから、畑原通が始まる。
阪急より南にある畑原市場とは離れているが、このあたり一体が畑原村であった。
	天神さんの鳥居から路地を西へ抜ける。
縦筋を横切って、また路地へ。
「畑原の小径」とでも名付けたくなる、路地ワンダーランド。
	空観堂は摩耶小学校の西隣にある。
空観上人を祀るお堂には、文字が書かれた大小さまざまな石が敷き詰められている。
	祈祷によって人々を病から救ったという空観上人。
念ずれば通ず。願いは叶う。
石に願いを込める人々の思いを、空観上人は今も静かに受け止めている。
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            <title>第81話「灘南通」</title>
            <description>	
灘南通から見る摩耶山がいい。
近からず、遠からず。
	数百万年前から続く六甲変動が生み出した、鋭い稜線が美しい。
	今は線路跡が遊歩道になってしまったが、灘南通は、臨港線の始点となった貨物東灘駅の南にある。
	ならば「東灘南通」になるかと思うが、そう単純な話でもない。
	『坂の上の雲』の舞台となる日露戦争が起きた1904年（明治37年）、この地に「灘信号所」が作られた。
	1907年（明治40年）には、貨物線の整備に合わせて「灘聯絡所」となる。
	そして現在の灘駅開業より先の1910年（明治43年）、「灘駅」の名を冠した貨物駅が設置された。
	ところが、1917年（大正6年）に現在の灘駅が作られたために、その東側にあった貨物「灘駅」は「東灘駅」と名前を変えた。
	戦前戦後は貨物駅としての役割を果たした。
	1972年（昭和47年）には貨物取扱廃止に伴い「東灘操車場」となり、さらに「東灘信号所」と名前を変え、2003年には臨港線が廃止された。
	灘に歴史あり、灘南に灘駅あり、である。（※現行の灘駅は岩屋北町です）
	灘駅ができたからと、「灘駅」の名前を譲って、自ら「東灘駅」を名乗るところなど、なにやら奥ゆかしい灘区民気質ではないか（という気がする）。
	そんなこんなで、灘南通は、海港都市コウベを感じる絶好の場所の位置しているのだ。
	歴史を踏まえれば、西灘村に東灘駅があったのも無理からぬことのようにも思えてくる。
	（※東灘区の編入は昭和25年なので、その頃から「灘の本拠地論争」は余計にややこしくなってくる・・・。）

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            <title>第80話「灘浜東町」</title>
            <description>	ウェブによって身近に使えるようになった衛星写真を眺めると、大阪湾の北に、一箇所だけ「赤い島」を見つけることができる。
	「神戸市灘区灘浜東町」、もとい神戸製鋼所の「神戸製鉄所」である。
	（※衛星写真）
	昭和34年（＝1959年）、新在家の海が埋め立てられてから、50年が経つ。
	赤い島は、今も線材や棒鋼の生産を続けている。
	十年以上前、灘区に住み始めて最初に覚えたランドマークが、神戸製鋼所の紅白煙突だった。
	総出力140万キロワットの石炭火力発電所建設に伴い、120メートルの紅白煙突は輪切りにされてなくなった。
	そして今度は、撞木を2本束ねたようなのような150メートルの灰色煙突がニョキニョキと生えてきた。
	ところで、この赤い島には、「火喰い竜」と呼ばれる怪物が棲む。
	2500度に達するという高炉の底には、「サラマンダー」（火喰い竜、もしくは火トカゲ）と呼ばれるドロドロに溶けた鉄鉱石の残渣が溜まるのだという。
	数年前に行われた高炉の改修工事を追ったドキュメンタリーは、「灘浜サイエンススクエア」で見ることができる。
	ナダの火喰い竜、そんな物語が灰色の煙突から吹き上がる。
	世界中の自動車の2台に1台は、ナダの火喰い竜が棲む高炉から生み出された部品を使っているのだ。
	日本最小で世界最高効率の高炉は、今も灘浜で熱く煮えている。

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            <title>第79話「灘浜町」</title>
            <description>	
ハードボイルドとは元来、硬く茹でた玉子のことを指す。
	転じて、感情に流されず、時に冷徹で、時に無慈悲な男たちを描いた文学や映画がハードボイルドとされる。
ヘミングウェイ、ゴルゴ13、カサブランカ、舘ひろし。
	灘浜町は、ハードボイルドな空気が満ちた場所だ。
	マッチョな風景、とでも言い換えてもいいだろう。
	岸壁、クレーン、廃棄物運搬船、赤潮、セメント工場。
広大なガソリンスタンド、コカコーラ、人造アルコール工場。
遠景には製鉄所、発電所、艀、湾岸線、コンテナ、倉庫群。
	もし、灘浜のハードボイルド感を満喫したい人がいたら、
トレンチコートを着て、灘浜の岸壁を全力疾走してみたらいいと思う。
	でも、君のハードボイルドに危険を感じたサビキ釣りファミリーが通報したら、
本当にハードボイルドな警官たちがやってくるかもしれない。
	灘浜はすべて、昭和15年に埋め立てられた土地だ。
	埋め立てという考え方自体が、ハードボイルドである。
	それから70年近く経ってもなお、剥き出しのクレーンや愛想のないコンクリートが似合う町だ。
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            <title>第78話「灘北通」</title>
            <description>	
もうすぐ7月28日がやってくる。
	去年の今頃、この川には、もっとたくさんの子どもたちが遊んでいたことだろう。
	まだまだ生々しい記憶や思いを持つ人たちがたくさんいる中で、自分には、紡ぐべき言葉が見つからない。
	だが、川で遊ばない様になるということは、川で遊ぶ経験を持たずに育つということだ。
	癒えぬ傷をまだしばらくそっとしておくこと、川の危険を知ること、そして灘っ子たちに新たな川の記憶が培われることを願わずにはいられない。
	灘北通は、長い。
	都賀川のある1丁目から、灘駅の向こうの10丁目まで。
	長い。。。
	公園には、階段のような、滑り台のような、不思議な傾斜構造物があった。
	石垣の御影石と調和して、妙に味わい深い。
	そして西隣には水神社。
	この神社は、水害除け、災厄除けを願うものである。
	海側のトンネルから抜けてきた時の景色が良かった。
	5丁目、6丁目を西へ。
	震災後にできた復興住宅である灘北第2住宅の高層棟の根本を西へ。
	工事中の灘駅を眺めつつつ、もう少し西へ。
	灘北通の西端は、天を突くような高層マンション。
	その隣でプツリと灘区が終わっている。
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            <title>第77話「長峰台」</title>
            <description>	
摩耶山の掬星台に上がって大阪方面を眺めると、そのすぐ左手にある、なだらかな長い峰を持つ山がある。標高687mの長峰山である。
	峰筋をずっと市街部に下りていった尻尾の突端あたりが長峰台にあたる。護国神社から長峰坂を上がりきったところが長峰中学校だ。
	ナダに坂道数多あれど、この長峰坂の名の知れ渡り方は、ちょっと不思議なくらいだ。
	護国神社前の交番のある交差点から長峰中学校の門まで約550メートル。斜度や疲労感は言うに及ばず、ナダ区民不屈の精神を養う大リーグ養成ギブス的な役割を果たしてきた故の知名度であろう。
	長峰中学校あたりの標高は200メートル弱なので、実際には篠原台や鶴甲団地の方が高い。実際の高さよりも高く感じることを「長峰坂効果」とでも呼んでおこう。
	とは言うものの、長峰台が灘区屈指の標高を誇るエリアであることは間違いない。長峰台も、空の中の町なのだ。
	長峰中学校の擁壁に、世界地図が現れていた。
	そして門の前にある、石垣風の石柱。
	何だろう？

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        <item>
            <title>第76話「中原通」</title>
            <description>	
山手幹線よりもまだ上、阪急に沿って延びる中原通の名前は、
浜手と山手を分ける「中の手」の「中」に由来するという。
	目と鼻の先の水道筋感を残しつつ、坂道の気配を感じさせつつ、阪急電車の音が響く。
東に行けば縦横に路地が絡まり合い、西に向かえばハイソな雰囲気の家もちらほら。
	そんな中原通は、なるほどたしかに中の手の代名詞なのかもしれない。
	中原通1丁目。
他人には教えない方がいいんじゃないかと思う場所の一つが、味のある路地。
	「お邪魔します・・・」と呟いて玄関先に上がり込むような、
昼餉の匂いを嗅いでしまった罪悪感と幸福感が混ざり合ったような、
迷路のワクワク感と、手作りの庭先空間が同時に楽しめるような、
そんなステキな場所は秘密のままにしておきたいな、という気持ちでいっぱいになる。
	最上級の路地空間から西にぷいっと吐き出されてみると、
そこは中央筋からひょいと上がったぶぎうぎロード。
	ぶぎうぎが　ぶぎうぎにきて　ぶぎうれず　ぶぎうぎかえる　ぶぎうぎの声
	西へ。
	ひょっこりと顔を覗かせている「中原グランドキャニオン」。
	アンドー先生も、このぐらいのスケール感だったらいいのに。
	ふと気がつくと、祭りムードで賑わう王子公園だった。
	中原通の懐は深い。

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