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	<title>ナダ建築夜話</title>
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	<description>ナダ建築夜話</description>
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	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（57）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=92</link>
	<dc:date>2008-10-26T09:24:53+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;dr-&amp;#102;r&amp;#97;&amp;#110;&amp;#107;y&amp;#64;&amp;#110;a&amp;#100;&amp;#97;tama&amp;#46;com&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	気がつくと、平成２０年の世の中は１０月も終わろうとしているのであった。
１０月は土曜日にステアリングを握って遠出する週末が続いたので、つい金曜
日の夜なべを避けてしまいがちだった。
	読者の皆様、筆者の筆不精をどうかご容赦願いたい。
	震災直後は、デマに踊らされた自警団によって朝鮮半島出身者が虐殺されたり
あるいは憲兵隊の甘粕中尉が大杉栄一家を惨殺するという陰惨な出来事が起こ
った被災地であった。が、秋風が吹く頃にもなると、ようやく京浜の地でも日常
を取り戻そうとする動きが人々の間で本格的になってきた。
	　神戸からの救援物資の配給に没頭していた儀作と銀次郎も、そろそろ区切り
をつけるとき、と悟った。残務整理に取り掛かって、関係先への挨拶廻りをは
じめた。
　儀作は、現地入りしてまもなく、一台の自動車を用立てた。物資配給に使う
ためで、荷が到着する芝浦と市中の交通にフル稼働させた。しかし、震災で悪
路と化した市中の道に、さしもの「馬なし車」も足回りがだめになってしまっ
た。儀作は求められれば誰かれとなく自動車に便乗をさせたのことも、車の酷
使に拍車をかけたかもしれない。
	　「しかし大したものだ。この自動車も、よう働くのう」銀次郎が感心したよ
うにつぶやく。
　銀次郎と儀作は自動車で横浜へ向かっていた。２人を乗せた２台目になるこ
の車も、そろそろ足回りから不吉な騒音が聞こえ始めている。
　
　横浜商工会議所の仮事務所へ出向いた。会頭の有吉忠一が出迎えた。有吉は
元兵庫県知事。２人とは旧知の仲である。「いや、皆さんの奮闘振りに、われ
われもどれほど助けられたことか」。無償で立ち働いた２人を、有吉会頭は労
った。
　「ところで」有吉会頭は少し目を伏せがちに切り出した。「実は震災の起こ
る少し前に、アメリカから横浜港に自動車が２５台届いたのだが、震災で買主
が亡くなってしまって行き場を失っているのです。どなたか、引き取ってくだ
さるような方の心当たりはないですか。」　　　　　　　（この項、つづく）　
	　

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>気がつくと、平成２０年の世の中は１０月も終わろうとしているのであった。<br />
１０月は土曜日にステアリングを握って遠出する週末が続いたので、つい金曜<br />
日の夜なべを避けてしまいがちだった。</p>
	<p>読者の皆様、筆者の筆不精をどうかご容赦願いたい。</p>
	<p>震災直後は、デマに踊らされた自警団によって朝鮮半島出身者が虐殺されたり<br />
あるいは憲兵隊の甘粕中尉が大杉栄一家を惨殺するという陰惨な出来事が起こ<br />
った被災地であった。が、秋風が吹く頃にもなると、ようやく京浜の地でも日常<br />
を取り戻そうとする動きが人々の間で本格的になってきた。</p>
	<p>　神戸からの救援物資の配給に没頭していた儀作と銀次郎も、そろそろ区切り<br />
をつけるとき、と悟った。残務整理に取り掛かって、関係先への挨拶廻りをは<br />
じめた。<br />
　儀作は、現地入りしてまもなく、一台の自動車を用立てた。物資配給に使う<br />
ためで、荷が到着する芝浦と市中の交通にフル稼働させた。しかし、震災で悪<br />
路と化した市中の道に、さしもの「馬なし車」も足回りがだめになってしまっ<br />
た。儀作は求められれば誰かれとなく自動車に便乗をさせたのことも、車の酷<br />
使に拍車をかけたかもしれない。</p>
	<p>　「しかし大したものだ。この自動車も、よう働くのう」銀次郎が感心したよ<br />
うにつぶやく。<br />
　銀次郎と儀作は自動車で横浜へ向かっていた。２人を乗せた２台目になるこ<br />
の車も、そろそろ足回りから不吉な騒音が聞こえ始めている。<br />
　<br />
　横浜商工会議所の仮事務所へ出向いた。会頭の有吉忠一が出迎えた。有吉は<br />
元兵庫県知事。２人とは旧知の仲である。「いや、皆さんの奮闘振りに、われ<br />
われもどれほど助けられたことか」。無償で立ち働いた２人を、有吉会頭は労<br />
った。<br />
　「ところで」有吉会頭は少し目を伏せがちに切り出した。「実は震災の起こ<br />
る少し前に、アメリカから横浜港に自動車が２５台届いたのだが、震災で買主<br />
が亡くなってしまって行き場を失っているのです。どなたか、引き取ってくだ<br />
さるような方の心当たりはないですか。」　　　　　　　（この項、つづく）　</p>
	<p>　
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=91">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（56）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=91</link>
	<dc:date>2008-09-29T01:48:00+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;&amp;#100;&amp;#114;-&amp;#102;&amp;#114;&amp;#97;&amp;#110;k&amp;#121;&amp;#64;&amp;#110;&amp;#97;d&amp;#97;t&amp;#97;m&amp;#97;.c&amp;#111;&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　東京に入った滝川儀作、そして銀次郎達には、上海丸を始めとして
到着する救援船の物資の分配を行う、という新たな仕事が待っていた。
　震災でほとんど被害を受けなかった内幸町の日本興業銀行の一部屋を
銀次郎たちは借り受けた。計画・意匠を渡辺節、そして構造を内藤多仲
というコンビで手がけた第２作である。その第１作は神戸・海岸通の大
阪商船ビルなのだが、そんなことは今の銀次郎たちにはどうでも良い話
だった。
　部屋に篭って、入電してくる救援物資のリストをもとに、東京市や
神奈川県庁とも連絡を取り合いながら、儀作と銀次郎は額をつき合わせ
て、配分計画を立て、ついで港から物資の配給場所への運送の手配を整
える。そうした日々が結果として２ヶ月近く続くことになる。
　
　そんな仕事の手があいたある日、銀次郎は、思い立って青山の地を
訪ねた。すこしづつ掘っ立て小屋が建ちつつある青山の街角を銀次郎は
歩いた。ある意味、かつて自分が通学していた頃の風景に戻っているの
ことに、不思議な感覚を禁じえない銀次郎であった。
　
　銀次郎は校門の前に立った。
　勝田館は、一部の壁を残してすっかり瓦礫の山となっていた。他に
あったはずの校舎も大半は姿を消していた。
	　こちらは屋根瓦がずれただけで残った学院長館に、高木院長を訪ねた。
　「これはこれは、勝田さん」失われた学園の復興に奔走している高木
院長だったが、突然の銀次郎の来訪に驚きつつも、席を薦めた。
　「高木院長、私は非常に申し訳のないことをしました。もう少し、設
計のときに地震への備えを指図しておけば、と悔やまれます。」
　高木院長は、「いいえ、あの揺れでは、こうなってしまったのもやむ
をえないと・・・」と当日の様子を伝えた。
	　「学院の復興に何らかのお役に立ちたいのはやまやまですが、いまや
債権者に首根っこを押さえられている身、面目ない」。
　「いや、こうして立ち寄っていただいたことだけで、私たちにはもう」
	　高木院長は、遠ざかる銀次郎の影が見えなくなるまで校門で見送った。
　
　宿舎への道すがら、銀次郎は思った。「形あるものもいつかは壊れる
ときも来る。儚いものじゃ」。そして、自分の会社のことも、時期が来
れば整理をしなくてはならないだろう、と覚悟を決めた。それに今住ん
でいる青谷の屋敷も、いつかは明け渡さなくてはならない時が来るとい
うことも。　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項　つづく）

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　東京に入った滝川儀作、そして銀次郎達には、上海丸を始めとして<br />
到着する救援船の物資の分配を行う、という新たな仕事が待っていた。<br />
　震災でほとんど被害を受けなかった内幸町の日本興業銀行の一部屋を<br />
銀次郎たちは借り受けた。計画・意匠を渡辺節、そして構造を内藤多仲<br />
というコンビで手がけた第２作である。その第１作は神戸・海岸通の大<br />
阪商船ビルなのだが、そんなことは今の銀次郎たちにはどうでも良い話<br />
だった。<br />
　部屋に篭って、入電してくる救援物資のリストをもとに、東京市や<br />
神奈川県庁とも連絡を取り合いながら、儀作と銀次郎は額をつき合わせ<br />
て、配分計画を立て、ついで港から物資の配給場所への運送の手配を整<br />
える。そうした日々が結果として２ヶ月近く続くことになる。<br />
　<br />
　そんな仕事の手があいたある日、銀次郎は、思い立って青山の地を<br />
訪ねた。すこしづつ掘っ立て小屋が建ちつつある青山の街角を銀次郎は<br />
歩いた。ある意味、かつて自分が通学していた頃の風景に戻っているの<br />
ことに、不思議な感覚を禁じえない銀次郎であった。<br />
　<br />
　銀次郎は校門の前に立った。<br />
　勝田館は、一部の壁を残してすっかり瓦礫の山となっていた。他に<br />
あったはずの校舎も大半は姿を消していた。</p>
	<p>　こちらは屋根瓦がずれただけで残った学院長館に、高木院長を訪ねた。<br />
　「これはこれは、勝田さん」失われた学園の復興に奔走している高木<br />
院長だったが、突然の銀次郎の来訪に驚きつつも、席を薦めた。<br />
　「高木院長、私は非常に申し訳のないことをしました。もう少し、設<br />
計のときに地震への備えを指図しておけば、と悔やまれます。」<br />
　高木院長は、「いいえ、あの揺れでは、こうなってしまったのもやむ<br />
をえないと・・・」と当日の様子を伝えた。</p>
	<p>　「学院の復興に何らかのお役に立ちたいのはやまやまですが、いまや<br />
債権者に首根っこを押さえられている身、面目ない」。<br />
　「いや、こうして立ち寄っていただいたことだけで、私たちにはもう」</p>
	<p>　高木院長は、遠ざかる銀次郎の影が見えなくなるまで校門で見送った。<br />
　<br />
　宿舎への道すがら、銀次郎は思った。「形あるものもいつかは壊れる<br />
ときも来る。儚いものじゃ」。そして、自分の会社のことも、時期が来<br />
れば整理をしなくてはならないだろう、と覚悟を決めた。それに今住ん<br />
でいる青谷の屋敷も、いつかは明け渡さなくてはならない時が来るとい<br />
うことも。　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項　つづく）
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=90">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（55）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=90</link>
	<dc:date>2008-09-06T09:00:00+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;&amp;#100;r&amp;#45;f&amp;#114;&amp;#97;n&amp;#107;y&amp;#64;&amp;#110;a&amp;#100;&amp;#97;&amp;#116;a&amp;#109;&amp;#97;.c&amp;#111;&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　いくつかの川を渡り、鎮守の森に野宿して、ようやく石橋市長の一行は東
京市中に入った。だが、甚大な被害という点では、東京もさほど差がなかっ
た。
　とはいえ、市街地がことごとく焼け落ちた横浜とは対照的に、東京府庁の
あるの丸の内界隈は、被害が軽く済んだオフィスビルも多かった。鯨のよう
に巨大な東京駅もしっかり建っていた。
	　対照的に、はす向かいの新築間もない丸の内ビルは、壁に亀裂が走ってい
て深手を負っているようだった。
	　銀次郎は、「英和学校・・・、青山学院はどうなったかのう」と、心の片
隅で気にかけていた。
　銀次郎は、「青山あたりは、被害はどうのようなものですか」と、応対し
ている府庁の吏員の一人に尋ねてみた。
　「比較的山手ではありますが、揺れがかなり長く続いたので、火事も出て
いるようですが」。
	　「やはり厳しいかも知れぬ」。銀次郎は心の中で、自分に言い聞かせる
ようにつぶやいた。
	　銀次郎も、母校の被害が気がかりではあったが、公務での状況ということ
もあり、私的な単独行動をとることははばかられた。
	　その、青山学院の、銀次郎が心血を注いだ勝田館は、丸の内の赤レンガ街
の町並みとは対照的に、完全に文字通り瓦礫の山と化し、一部の壁面が残る
だけという壊滅的な被害を受けていた。　
　煉瓦造で、大きな講堂を内包する勝田館は、今日の目から見れば、地震に
対しての考慮が十分なされた建物でなかったことは事実であろう。しかし、
竣工から５年余りで、勝田館は地上から姿を消すことになったのだった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）　

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　いくつかの川を渡り、鎮守の森に野宿して、ようやく石橋市長の一行は東<br />
京市中に入った。だが、甚大な被害という点では、東京もさほど差がなかっ<br />
た。<br />
　とはいえ、市街地がことごとく焼け落ちた横浜とは対照的に、東京府庁の<br />
あるの丸の内界隈は、被害が軽く済んだオフィスビルも多かった。鯨のよう<br />
に巨大な東京駅もしっかり建っていた。</p>
	<p>　対照的に、はす向かいの新築間もない丸の内ビルは、壁に亀裂が走ってい<br />
て深手を負っているようだった。</p>
	<p>　銀次郎は、「英和学校・・・、青山学院はどうなったかのう」と、心の片<br />
隅で気にかけていた。<br />
　銀次郎は、「青山あたりは、被害はどうのようなものですか」と、応対し<br />
ている府庁の吏員の一人に尋ねてみた。<br />
　「比較的山手ではありますが、揺れがかなり長く続いたので、火事も出て<br />
いるようですが」。</p>
	<p>　「やはり厳しいかも知れぬ」。銀次郎は心の中で、自分に言い聞かせる<br />
ようにつぶやいた。</p>
	<p>　銀次郎も、母校の被害が気がかりではあったが、公務での状況ということ<br />
もあり、私的な単独行動をとることははばかられた。</p>
	<p>　その、青山学院の、銀次郎が心血を注いだ勝田館は、丸の内の赤レンガ街<br />
の町並みとは対照的に、完全に文字通り瓦礫の山と化し、一部の壁面が残る<br />
だけという壊滅的な被害を受けていた。　<br />
　煉瓦造で、大きな講堂を内包する勝田館は、今日の目から見れば、地震に<br />
対しての考慮が十分なされた建物でなかったことは事実であろう。しかし、<br />
竣工から５年余りで、勝田館は地上から姿を消すことになったのだった。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）　
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=89">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（54）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=89</link>
	<dc:date>2008-08-30T14:41:21+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;d&amp;#114;&amp;#45;&amp;#102;r&amp;#97;nky&amp;#64;n&amp;#97;dat&amp;#97;&amp;#109;&amp;#97;&amp;#46;co&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　大桟橋に近い岸壁に、ランチは接岸した。
　石橋市長、滝川会頭、銀次郎は、ひとまず神奈川県庁を目指した。
　栄華を誇った通りは、瓦礫の山か、あるいは余燼のくすぶる焼け棒杭の
広がる焦土と化していた。その中に、倒壊を免れた横浜正金銀行や、開港
記念館の時計塔が屹立していた。
	　明治建築界の巨魁・片山東熊の手がけた・仏蘭西式の赤煉瓦の殿堂も、
大きな被害を受けていた。
　安河内知事が臨時の天幕で一行を出迎えた。
	　「このたびの甚大なる災害、謹んでお見舞い申し上げます」。
　石橋市長が言葉をかけた。
　「いち早く救援に駆けつけていただき、かたじけない。」
　「この後にも、救援船が参ります。」
　「しかしながら、市中もこのような有様で、荷役を行う沖仲士も集まら
ない状況です。しかし、多少の時間が必要だが、県としてなんとしてでも
手当てして、神戸の篤志を県民へ渡せるよう努力いたしましょう」。
　
　横浜市役所へも出向いて、渡辺市長と面会した一行は、上海丸の物資陸
揚げの都合も考えて、一路、徒歩で東京へ向かうこととなった。
　　
　かつての東海道の道筋を、一行は進んだ。マッチ箱のようにへしゃげた
かつての町並みのなかに、かろうじて建っている家が見える。
　行く道に、銃剣を装備した歩兵が警戒しているのに、一行はたびたび遭
遇した。「何でも暴動のうわさがあるそうです」。市長秘書が銀次郎に耳
打ちした。
	　上陸してから、半日以上経ったが、このような非常時に食事にありつけ
る場所などありえるはずもなかった。
　だが、市長秘書がどこからか、炊き出しのうどんを一杯調達してきた。
　だが銀次郎は、「わしはよいから、市長と滝川君とで分けてください」
と頑なに断る。
　「道中は長いですから、せめて一口だけでも」、と石橋市長が薦めても
「なに、私も若い時分は、すきっ腹抱えてどれだけ過ごしたこととか。平
気ですよ。」と譲らない。
	　結局、この後にも、握り飯が手に入ったが、銀次郎は市長と儀作に譲っ
て、結局、東京を出るまで、食事らしい食事を取ることはなかった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）
	　
　

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　大桟橋に近い岸壁に、ランチは接岸した。<br />
　石橋市長、滝川会頭、銀次郎は、ひとまず神奈川県庁を目指した。<br />
　栄華を誇った通りは、瓦礫の山か、あるいは余燼のくすぶる焼け棒杭の<br />
広がる焦土と化していた。その中に、倒壊を免れた横浜正金銀行や、開港<br />
記念館の時計塔が屹立していた。</p>
	<p>　明治建築界の巨魁・片山東熊の手がけた・仏蘭西式の赤煉瓦の殿堂も、<br />
大きな被害を受けていた。<br />
　安河内知事が臨時の天幕で一行を出迎えた。</p>
	<p>　「このたびの甚大なる災害、謹んでお見舞い申し上げます」。<br />
　石橋市長が言葉をかけた。<br />
　「いち早く救援に駆けつけていただき、かたじけない。」<br />
　「この後にも、救援船が参ります。」<br />
　「しかしながら、市中もこのような有様で、荷役を行う沖仲士も集まら<br />
ない状況です。しかし、多少の時間が必要だが、県としてなんとしてでも<br />
手当てして、神戸の篤志を県民へ渡せるよう努力いたしましょう」。<br />
　<br />
　横浜市役所へも出向いて、渡辺市長と面会した一行は、上海丸の物資陸<br />
揚げの都合も考えて、一路、徒歩で東京へ向かうこととなった。<br />
　　<br />
　かつての東海道の道筋を、一行は進んだ。マッチ箱のようにへしゃげた<br />
かつての町並みのなかに、かろうじて建っている家が見える。<br />
　行く道に、銃剣を装備した歩兵が警戒しているのに、一行はたびたび遭<br />
遇した。「何でも暴動のうわさがあるそうです」。市長秘書が銀次郎に耳<br />
打ちした。</p>
	<p>　上陸してから、半日以上経ったが、このような非常時に食事にありつけ<br />
る場所などありえるはずもなかった。<br />
　だが、市長秘書がどこからか、炊き出しのうどんを一杯調達してきた。<br />
　だが銀次郎は、「わしはよいから、市長と滝川君とで分けてください」<br />
と頑なに断る。<br />
　「道中は長いですから、せめて一口だけでも」、と石橋市長が薦めても<br />
「なに、私も若い時分は、すきっ腹抱えてどれだけ過ごしたこととか。平<br />
気ですよ。」と譲らない。</p>
	<p>　結局、この後にも、握り飯が手に入ったが、銀次郎は市長と儀作に譲っ<br />
て、結局、東京を出るまで、食事らしい食事を取ることはなかった。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）</p>
	<p>　<br />
　<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/kantou_eq_yokohama.JPG"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-kantou_eq_yokohama.JPG" alt="関東大震災　関内の惨状" /></a>
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=88">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（53）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=88</link>
	<dc:date>2008-08-25T00:08:23+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;dr&amp;#45;f&amp;#114;a&amp;#110;&amp;#107;&amp;#121;&amp;#64;&amp;#110;adata&amp;#109;a.co&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　被災地を思う銀次郎たちの重々しい空気とは対照的に、上海丸は順調に
航海を続け、紀淡海峡を抜けて、熊野灘へ出た。
	　現地に着けば、徒歩での移動は避けられない。まずは鋭気を養うために
も休もう、と寝床に横になった銀次郎達、神経は昂ぶっていたものの、神
戸港を出るまでの東奔西走で、三者三様で疲れていたのか、機関の振動も
何のその、寝入ってしまった。
	　夜が明けた。銀次郎は東の水平線から昇った太陽をまぶしそうに見やり、
そして北へ視線を向けた。かなたに富士山が見える。
　もうすぐ三浦半島の島影が見えてくるだろう。
	　横浜も相当な被害を受けている、との情報がもたらされていたので、上海
丸を横浜に寄港させて、ある程度物資を陸揚げするよう、石橋市長、滝川会
頭、銀次郎の三者で決めていた。
	　陸地が近づいてきた。斜面が崩れて木々の間から崖が痛々しい有様を見せ
ているところもあった。だが、それはまだ序章に過ぎない。
	  横浜の町が見えてきた。
　甲板上の石橋市長、滝川会頭、銀次郎は迫ってくる横浜の町の様子を見て
愕然とした。
　威容を誇った新港埠頭の岸壁が崩れ、目印代わりの巨大な煉瓦造三階建倉
庫二棟のうち一棟は、ちょうど半分のところで瓦礫の山が出来上がっていた。
	　取るものとりあえず、三井物産差し回しのはしけが上海丸の船腹に取り付
き、支援物資の揚陸作業が開始された。
	　銀次郎たちは横浜の町に上陸すべく、ランチに飛び乗った。（この項つづく）

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　被災地を思う銀次郎たちの重々しい空気とは対照的に、上海丸は順調に<br />
航海を続け、紀淡海峡を抜けて、熊野灘へ出た。</p>
	<p>　現地に着けば、徒歩での移動は避けられない。まずは鋭気を養うために<br />
も休もう、と寝床に横になった銀次郎達、神経は昂ぶっていたものの、神<br />
戸港を出るまでの東奔西走で、三者三様で疲れていたのか、機関の振動も<br />
何のその、寝入ってしまった。</p>
	<p>　夜が明けた。銀次郎は東の水平線から昇った太陽をまぶしそうに見やり、<br />
そして北へ視線を向けた。かなたに富士山が見える。<br />
　もうすぐ三浦半島の島影が見えてくるだろう。</p>
	<p>　横浜も相当な被害を受けている、との情報がもたらされていたので、上海<br />
丸を横浜に寄港させて、ある程度物資を陸揚げするよう、石橋市長、滝川会<br />
頭、銀次郎の三者で決めていた。</p>
	<p>　陸地が近づいてきた。斜面が崩れて木々の間から崖が痛々しい有様を見せ<br />
ているところもあった。だが、それはまだ序章に過ぎない。</p>
	<p>  横浜の町が見えてきた。<br />
　甲板上の石橋市長、滝川会頭、銀次郎は迫ってくる横浜の町の様子を見て<br />
愕然とした。<br />
　威容を誇った新港埠頭の岸壁が崩れ、目印代わりの巨大な煉瓦造三階建倉<br />
庫二棟のうち一棟は、ちょうど半分のところで瓦礫の山が出来上がっていた。</p>
	<p>　取るものとりあえず、三井物産差し回しのはしけが上海丸の船腹に取り付<br />
き、支援物資の揚陸作業が開始された。</p>
	<p>　銀次郎たちは横浜の町に上陸すべく、ランチに飛び乗った。（この項つづく）
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=87">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（52）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=87</link>
	<dc:date>2008-08-16T12:24:50+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;&amp;#100;&amp;#114;&amp;#45;&amp;#102;r&amp;#97;n&amp;#107;&amp;#121;&amp;#64;&amp;#110;&amp;#97;da&amp;#116;ama.&amp;#99;o&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　銀次郎は橘通の市役所へ向かう前に、商業会議所へ立ち寄った。
　会頭の滝川儀作が出迎えた。
　「神戸として救援せねばならない」。銀次郎の言に、儀作は大きく
うなづいた。「今しがた、会議所の会員に一人参萬円をめどに義捐金
を呼びかけました。」
　「じゃあ、私は市役所で市長に会った後にでも、心当たりをたずね
て回って説得してみよう」「よろしくお願いします。私も救援物資の
買出しに出かけます。それと、三井物産の川村支店長から、救援物資
輸送に船を提供する、という申し出がありました」「ありがとう。市
長にも伝える」。
	　フレンチルネッサンス風の市庁舎に着くと、銀次郎は市長室へまっ
すぐ向かった。石橋市長が幹部と、義捐金の募集などについて打ち合
わせしていた。
　銀次郎は石橋市長に事の次第を伝えた。
　「物資は順番に送り込んで行きましょう。明日中には神戸を発ちま
しょう」。「わかった。三井物産、商議所にも連絡をお願いします。」
	　銀次郎は、まず西は舞子、東は御影あたりまで、知己の素封家や資
本家をたずねて回って、義捐金の拠出を説いて回った。
　義捐金は、儀作は壱百萬円をめどに考えていたが、最終的には壱百
五拾萬円以上の大口義捐金が寄せられた。
　銀次郎が駆け回る一方、儀作は主だった商店街をたずねて、「在庫
品でも訳ありでも構わないので、安くで物資を提供してくれないか」
と呼びかけて回った。
　商店主たちの反応はすばやかった。瞬く間に、指定した港ちかくの
保管場所に、ステテコや浴衣といった衣料、どんぶり、鉢、箸などの
食器、長持など家財といった物資が運び込まれた。その規模、時価弐
百五拾萬円。しかし儀作の中での予算額は五拾萬円である。だが、商
店街の「大将」たちは、「人さんが困っているときにそろばん勘定な
んてでけへん」と、無償での提供を申し出ことに、儀作は胸を打たれ
只ただ頭をたれて、感謝の意を表すより他なかった。
	　取り急ぎの救援船は、川村氏の手配で、上海丸と決まった。
　集積場所からはしけによって、市民の善意の品々が上海丸の船腹に
収められていった。そしてメリケン波止場から、石橋市長、商議所代
表として会頭の儀作、市会議長の銀次郎も、被災地へ向かうべく、メ
リケン波止場から上海丸へ向かうランチの人となった。
　二日おそく、物資を満載した上海丸は神戸港を出発した。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　銀次郎は橘通の市役所へ向かう前に、商業会議所へ立ち寄った。<br />
　会頭の滝川儀作が出迎えた。<br />
　「神戸として救援せねばならない」。銀次郎の言に、儀作は大きく<br />
うなづいた。「今しがた、会議所の会員に一人参萬円をめどに義捐金<br />
を呼びかけました。」<br />
　「じゃあ、私は市役所で市長に会った後にでも、心当たりをたずね<br />
て回って説得してみよう」「よろしくお願いします。私も救援物資の<br />
買出しに出かけます。それと、三井物産の川村支店長から、救援物資<br />
輸送に船を提供する、という申し出がありました」「ありがとう。市<br />
長にも伝える」。</p>
	<p>　フレンチルネッサンス風の市庁舎に着くと、銀次郎は市長室へまっ<br />
すぐ向かった。石橋市長が幹部と、義捐金の募集などについて打ち合<br />
わせしていた。<br />
　銀次郎は石橋市長に事の次第を伝えた。<br />
　「物資は順番に送り込んで行きましょう。明日中には神戸を発ちま<br />
しょう」。「わかった。三井物産、商議所にも連絡をお願いします。」</p>
	<p>　銀次郎は、まず西は舞子、東は御影あたりまで、知己の素封家や資<br />
本家をたずねて回って、義捐金の拠出を説いて回った。<br />
　義捐金は、儀作は壱百萬円をめどに考えていたが、最終的には壱百<br />
五拾萬円以上の大口義捐金が寄せられた。<br />
　銀次郎が駆け回る一方、儀作は主だった商店街をたずねて、「在庫<br />
品でも訳ありでも構わないので、安くで物資を提供してくれないか」<br />
と呼びかけて回った。<br />
　商店主たちの反応はすばやかった。瞬く間に、指定した港ちかくの<br />
保管場所に、ステテコや浴衣といった衣料、どんぶり、鉢、箸などの<br />
食器、長持など家財といった物資が運び込まれた。その規模、時価弐<br />
百五拾萬円。しかし儀作の中での予算額は五拾萬円である。だが、商<br />
店街の「大将」たちは、「人さんが困っているときにそろばん勘定な<br />
んてでけへん」と、無償での提供を申し出ことに、儀作は胸を打たれ<br />
只ただ頭をたれて、感謝の意を表すより他なかった。</p>
	<p>　取り急ぎの救援船は、川村氏の手配で、上海丸と決まった。<br />
　集積場所からはしけによって、市民の善意の品々が上海丸の船腹に<br />
収められていった。そしてメリケン波止場から、石橋市長、商議所代<br />
表として会頭の儀作、市会議長の銀次郎も、被災地へ向かうべく、メ<br />
リケン波止場から上海丸へ向かうランチの人となった。<br />
　二日おそく、物資を満載した上海丸は神戸港を出発した。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=86">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（51）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=86</link>
	<dc:date>2008-08-04T00:13:16+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;d&amp;#114;&amp;#45;&amp;#102;&amp;#114;&amp;#97;&amp;#110;&amp;#107;y&amp;#64;nad&amp;#97;t&amp;#97;&amp;#109;a&amp;#46;co&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　大正１２年９月１日、神戸は相変わらず暑かった。
	　「二百十日か」と少し頭によぎったが、銀次郎は芳夫人に見送られて
車上の人となった。
　腰高な車に揺られること二十分弱。銀次郎は旧居留地の会社に着いた。
　
　幹部会議、書類の決裁、打ち合わせなどなど雑務をこなす。合間には
頻繁に面会客もある。
　そうこうしているうちに、時計の針は正午を指そうという頃になって
いた。
	　と、そのとき、銀次郎は事務所のビルが長い周期で揺れるのを感じた。
　「・・・地震かっ」揺れは１分近く続いただろうか。
	　地震の揺れが収まってしばらくして、部下の一人が「東京方面への電
信電話が途絶したそうです。」と飛び込んできた。
	　「どこで起こったのか」。銀次郎は神戸海洋気象台にも照会をするよ
う部下に命じた。
　夕方近くなって、秘書が銀次郎に電話を取り次いだ。「川崎造船所の
松方様です」。
	　「松方さん、大きな揺れでしたが。」銀次郎が問うと
　「勝田さん、一大事だ。東京・横浜が壊滅だ」。
　一瞬、銀次郎は絶句した。
	　「お父上はご無事ですか」。東京には松方の父・正義がいる。
　「いや、まだ何も伝わってこないのだ」。
　銀次郎は、この１１日前、川崎造船所が、松方が独逸からもたらした
最新技術を活かして建造した最新鋭の潜水艦・第７０号潜水艦が、淡路島
仮屋沖で消息を絶ち、社を挙げての懸命の捜索が続いていることを知って
いた。松方はその捜索の総責任者でもある。そこへ追い討ちをかける様な
今回の地震である。
	　「とにかく、神戸として、東京方面の救援体制を立ち上げなくては」。
　銀次郎は説いた。
　「もちろんだとも。おいどんから新聞社に、義捐を募る記事を明日出す
よう話をする。」「よし、ならば行政は私が掛け合いましょう」。
　受話器を置くや否や、銀次郎は秘書に向かって叫んだ。「車だ！市役所
へ乗り込むぞ」。　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）
　　　　　　　　　
　

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　大正１２年９月１日、神戸は相変わらず暑かった。</p>
	<p>　「二百十日か」と少し頭によぎったが、銀次郎は芳夫人に見送られて<br />
車上の人となった。<br />
　腰高な車に揺られること二十分弱。銀次郎は旧居留地の会社に着いた。<br />
　<br />
　幹部会議、書類の決裁、打ち合わせなどなど雑務をこなす。合間には<br />
頻繁に面会客もある。<br />
　そうこうしているうちに、時計の針は正午を指そうという頃になって<br />
いた。</p>
	<p>　と、そのとき、銀次郎は事務所のビルが長い周期で揺れるのを感じた。<br />
　「・・・地震かっ」揺れは１分近く続いただろうか。</p>
	<p>　地震の揺れが収まってしばらくして、部下の一人が「東京方面への電<br />
信電話が途絶したそうです。」と飛び込んできた。</p>
	<p>　「どこで起こったのか」。銀次郎は神戸海洋気象台にも照会をするよ<br />
う部下に命じた。<br />
　夕方近くなって、秘書が銀次郎に電話を取り次いだ。「川崎造船所の<br />
松方様です」。</p>
	<p>　「松方さん、大きな揺れでしたが。」銀次郎が問うと<br />
　「勝田さん、一大事だ。東京・横浜が壊滅だ」。<br />
　一瞬、銀次郎は絶句した。</p>
	<p>　「お父上はご無事ですか」。東京には松方の父・正義がいる。<br />
　「いや、まだ何も伝わってこないのだ」。<br />
　銀次郎は、この１１日前、川崎造船所が、松方が独逸からもたらした<br />
最新技術を活かして建造した最新鋭の潜水艦・第７０号潜水艦が、淡路島<br />
仮屋沖で消息を絶ち、社を挙げての懸命の捜索が続いていることを知って<br />
いた。松方はその捜索の総責任者でもある。そこへ追い討ちをかける様な<br />
今回の地震である。</p>
	<p>　「とにかく、神戸として、東京方面の救援体制を立ち上げなくては」。<br />
　銀次郎は説いた。<br />
　「もちろんだとも。おいどんから新聞社に、義捐を募る記事を明日出す<br />
よう話をする。」「よし、ならば行政は私が掛け合いましょう」。<br />
　受話器を置くや否や、銀次郎は秘書に向かって叫んだ。「車だ！市役所<br />
へ乗り込むぞ」。　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）<br />
　　　　　　　　　<br />
　
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=85">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（50）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=85</link>
	<dc:date>2008-07-26T12:23:11+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;d&amp;#114;-&amp;#102;ra&amp;#110;&amp;#107;&amp;#121;&amp;#64;&amp;#110;&amp;#97;&amp;#100;&amp;#97;&amp;#116;am&amp;#97;.c&amp;#111;&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　「船成金」の館は出来上がったが、銀次郎の人生はまだまだつづく。
要所要所でナダのまちと交錯しながら。遂に大河ドラマの様相を呈して
きたこの項、引き続き歩付き合いの程、宜しくお願いします。
	　大正10年の暮れ、銀次郎は、旧居留地116番の神戸商業会議所へ出向
いた。
　
　商業会議所は、元独逸倶楽部の赤煉瓦の建物に入居していた。バルコ
ニーが廻った植民地風の外観だ。
	　鳴り物入りで大同団結した国際汽船の業績も、加盟各社の劇的な経営
改善には程遠い有様であった。
　また、明治40年から10年以上の月日と巨費を投じて整備された新港突
堤は閑古鳥が鳴き、宝の持ち腐れといってもいいようなありさまだった。
	　「やはり、神戸の町の経済が動かなければ、港も海運も潤わん」。銀
次郎だけでなく、他の商議所のメンバーも同様の見方だった。
	　銀次郎が会議室へ入ると、旧知の大沢商会の森田金蔵が居た。森田は
但馬・美方出身で、亜米利加で5年間下積みで辛酸を舐めた経験もある。
　その日は、商議所がその年の夏に立ち上げた「生糸市場設置委員会」
の最終の話し合いの日だったのだ。
	　森田の郷里・但馬は養蚕・製糸が盛んなことで知られていた。森田が
５歳の時に死に別れた父親は、横浜へ但馬の生糸を売り込みに行った先
で客死した、ということを銀次郎も伝え聞いていた。
	　明治初めから、但馬や丹後・山城、大和の畿内でも、農村での換金商
品として養蚕・製糸に注目が集まり、篤志家らが出資して（家内工業に
毛の生えた程度の規模・内容とはいえ）、製糸場が各地に建設された。
　しかし、そうした産地からの製品は神戸へ積み出されず、幕末から生
糸貿易商が活動していた横浜へ送り出されていた。
　神戸でも明治の開港間もない頃から、生糸貿易を軌道に乗せようと民
間が努力してはいたが、せっかく明治29年に開設された国の生糸検査所
も、取り扱い高不振で数年後に閉鎖されてしまった。投機の対象でもあ
る生糸を扱う業者には、それなりの経験とともに堅固な資本基盤も必要
だったが、そうした要件を満たす貿易商が神戸に根付いていなかったの
も、神戸が挫折した要因であった。
	　だが、畿内での蚕糸製造が設備投資も進み生産高が伸びるにつれて、
「運賃が安く上る神戸から海外へ出したい」という要望が産地側から出
るようになった。
　
　その声に搬送したのが森田ら商議所の有志で、委員会を立ち上げて
「シルクの夢よ、もう一度」とばかりに、神戸経済界の起死回生の一
策として、「神戸に生糸市場を開設しよう」と県や市に提言しようと
していたのだ。
　「ようやっとまとめられましたな」銀次郎が森田に声をかけた。
「いやいや、勝田さん、大変なのはこれからですよ。何しろ、神戸には
生糸の経験の蓄積が無い。海外の商社も、横浜の生糸検査所の格付証書
が無いと相手にしません。まだまだ前途多難、あちこちへ御支援をお願
いしなくてはならないです。」森田の眼差しは遠くへ向けられていた。
	　翌年も、厳しい情勢は相変わらずだった。
　山下亀三郎ですら、船員の給与や退職金を支払えない窮地に立たされ、
せっかく手中にした台湾航路の権利を、ライバル会社に「惜譲」して二
百万円を捻出して、会社の大リストラを行い、「山下汽船、倒産」とい
う局面を切り抜ける始末。
　先行きの見通しの付かない中、銀次郎も金策に駆け回っていた。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項、つづく）
　

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　「船成金」の館は出来上がったが、銀次郎の人生はまだまだつづく。<br />
要所要所でナダのまちと交錯しながら。遂に大河ドラマの様相を呈して<br />
きたこの項、引き続き歩付き合いの程、宜しくお願いします。</p>
	<p>　大正10年の暮れ、銀次郎は、旧居留地116番の神戸商業会議所へ出向<br />
いた。<br />
　<br />
　商業会議所は、元独逸倶楽部の赤煉瓦の建物に入居していた。バルコ<br />
ニーが廻った植民地風の外観だ。</p>
	<p>　鳴り物入りで大同団結した国際汽船の業績も、加盟各社の劇的な経営<br />
改善には程遠い有様であった。<br />
　また、明治40年から10年以上の月日と巨費を投じて整備された新港突<br />
堤は閑古鳥が鳴き、宝の持ち腐れといってもいいようなありさまだった。</p>
	<p>　「やはり、神戸の町の経済が動かなければ、港も海運も潤わん」。銀<br />
次郎だけでなく、他の商議所のメンバーも同様の見方だった。</p>
	<p>　銀次郎が会議室へ入ると、旧知の大沢商会の森田金蔵が居た。森田は<br />
但馬・美方出身で、亜米利加で5年間下積みで辛酸を舐めた経験もある。<br />
　その日は、商議所がその年の夏に立ち上げた「生糸市場設置委員会」<br />
の最終の話し合いの日だったのだ。</p>
	<p>　森田の郷里・但馬は養蚕・製糸が盛んなことで知られていた。森田が<br />
５歳の時に死に別れた父親は、横浜へ但馬の生糸を売り込みに行った先<br />
で客死した、ということを銀次郎も伝え聞いていた。</p>
	<p>　明治初めから、但馬や丹後・山城、大和の畿内でも、農村での換金商<br />
品として養蚕・製糸に注目が集まり、篤志家らが出資して（家内工業に<br />
毛の生えた程度の規模・内容とはいえ）、製糸場が各地に建設された。<br />
　しかし、そうした産地からの製品は神戸へ積み出されず、幕末から生<br />
糸貿易商が活動していた横浜へ送り出されていた。<br />
　神戸でも明治の開港間もない頃から、生糸貿易を軌道に乗せようと民<br />
間が努力してはいたが、せっかく明治29年に開設された国の生糸検査所<br />
も、取り扱い高不振で数年後に閉鎖されてしまった。投機の対象でもあ<br />
る生糸を扱う業者には、それなりの経験とともに堅固な資本基盤も必要<br />
だったが、そうした要件を満たす貿易商が神戸に根付いていなかったの<br />
も、神戸が挫折した要因であった。</p>
	<p>　だが、畿内での蚕糸製造が設備投資も進み生産高が伸びるにつれて、<br />
「運賃が安く上る神戸から海外へ出したい」という要望が産地側から出<br />
るようになった。<br />
　<br />
　その声に搬送したのが森田ら商議所の有志で、委員会を立ち上げて<br />
「シルクの夢よ、もう一度」とばかりに、神戸経済界の起死回生の一<br />
策として、「神戸に生糸市場を開設しよう」と県や市に提言しようと<br />
していたのだ。<br />
　「ようやっとまとめられましたな」銀次郎が森田に声をかけた。<br />
「いやいや、勝田さん、大変なのはこれからですよ。何しろ、神戸には<br />
生糸の経験の蓄積が無い。海外の商社も、横浜の生糸検査所の格付証書<br />
が無いと相手にしません。まだまだ前途多難、あちこちへ御支援をお願<br />
いしなくてはならないです。」森田の眼差しは遠くへ向けられていた。</p>
	<p>　翌年も、厳しい情勢は相変わらずだった。<br />
　山下亀三郎ですら、船員の給与や退職金を支払えない窮地に立たされ、<br />
せっかく手中にした台湾航路の権利を、ライバル会社に「惜譲」して二<br />
百万円を捻出して、会社の大リストラを行い、「山下汽船、倒産」とい<br />
う局面を切り抜ける始末。<br />
　先行きの見通しの付かない中、銀次郎も金策に駆け回っていた。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項、つづく）<br />
　<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/shinkous.JPG"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-shinkous.JPG" alt="扇港之図（「神戸税関海陸連絡運輸設備概要」より）" /></a>
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=84">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（49）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=84</link>
	<dc:date>2008-07-12T23:58:06+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;d&amp;#114;-fra&amp;#110;&amp;#107;&amp;#121;&amp;#64;nadat&amp;#97;&amp;#109;&amp;#97;&amp;#46;&amp;#99;&amp;#111;m&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　新しい銀次郎の住まいのお披露目もひと段落が着いた。
　
　銀次郎は、現場監督の平太郎を家に招いた。
　「長い間、ご苦労さんやった」。２年以上、膝詰めで普請の相談を重ねた
間柄、余計な言葉はない。
　「おかげさんで、こんな立派な家が出来上がった。芳も義理の母も大層
喜んでいる。これは、私達から平太郎さん、あんたへの気持ちの印や」。
　銀次郎は、平太郎に金一封を手渡した。
	「私のような未熟者が、なんとかこのように仕事をやり遂げさせていただ
けたのも、勝田様のお陰です。日頃からお心遣いをしていただいた上に、
このように過分な・・・」
「いや、平太郎さん、あんたの立派な仕事振りに、私はほれたんじゃよ」
	　銀次郎は、未着工の客殿の部分は、手をつけないことを心に決めていた。
　流石の銀次郎も、本業の経営が抜き差しならない状況にある中では、これ
以上の「贅沢」は、取引銀行のことを慮ると、「強行突破」は良くないと
思ったのだ。
　平太郎も、それまでの銀次郎のとのやり取りの中で、言葉の端々から、う
すうすはそのことを感じ取っていた。
　
　そして平太郎が一人立ちするのに充分な経験を積んだことを、武田先生以
上に銀次郎自身が認めたのだ。
　金一封に、銀次郎は平太郎へのはなむけの「気持ち」をしっかりと詰めた
つもりで居た。
　
　「時に平太郎さん。これからどうされるつもりじゃ」銀次郎が尋ねた。
　「一度、吉野へ戻ろうと思っております。かれこれ10年以上になりますから」
　「そうか。あちらへ戻っても、達者で」。
	　銀次郎は、辞して坂道を下りていく平太郎の姿が見えなくなるまで、見送った
のだった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　新しい銀次郎の住まいのお披露目もひと段落が着いた。<br />
　<br />
　銀次郎は、現場監督の平太郎を家に招いた。<br />
　「長い間、ご苦労さんやった」。２年以上、膝詰めで普請の相談を重ねた<br />
間柄、余計な言葉はない。<br />
　「おかげさんで、こんな立派な家が出来上がった。芳も義理の母も大層<br />
喜んでいる。これは、私達から平太郎さん、あんたへの気持ちの印や」。<br />
　銀次郎は、平太郎に金一封を手渡した。</p>
	<p>「私のような未熟者が、なんとかこのように仕事をやり遂げさせていただ<br />
けたのも、勝田様のお陰です。日頃からお心遣いをしていただいた上に、<br />
このように過分な・・・」<br />
「いや、平太郎さん、あんたの立派な仕事振りに、私はほれたんじゃよ」</p>
	<p>　銀次郎は、未着工の客殿の部分は、手をつけないことを心に決めていた。<br />
　流石の銀次郎も、本業の経営が抜き差しならない状況にある中では、これ<br />
以上の「贅沢」は、取引銀行のことを慮ると、「強行突破」は良くないと<br />
思ったのだ。<br />
　平太郎も、それまでの銀次郎のとのやり取りの中で、言葉の端々から、う<br />
すうすはそのことを感じ取っていた。<br />
　<br />
　そして平太郎が一人立ちするのに充分な経験を積んだことを、武田先生以<br />
上に銀次郎自身が認めたのだ。<br />
　金一封に、銀次郎は平太郎へのはなむけの「気持ち」をしっかりと詰めた<br />
つもりで居た。<br />
　<br />
　「時に平太郎さん。これからどうされるつもりじゃ」銀次郎が尋ねた。<br />
　「一度、吉野へ戻ろうと思っております。かれこれ10年以上になりますから」<br />
　「そうか。あちらへ戻っても、達者で」。</p>
	<p>　銀次郎は、辞して坂道を下りていく平太郎の姿が見えなくなるまで、見送った<br />
のだった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（この項つづく）
</p>]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=83">
	<title>底抜け!痛快!!船成金の館（48）</title>
	<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/index.php?p=83</link>
	<dc:date>2008-07-04T00:00:00+09:00</dc:date>
	<dc:creator>dr-franky &lt;&amp;#100;&amp;#114;-fr&amp;#97;&amp;#110;&amp;#107;&amp;#121;&amp;#64;&amp;#110;ada&amp;#116;am&amp;#97;.&amp;#99;&amp;#111;&amp;#109;&gt;</dc:creator>
	
	<dc:subject>まちなみ・建築</dc:subject>	<description>	　ここはおとなしい階段を二階へ上ると、
　杉の戸板に鮮やかに描かれた鷺の絵が出迎える。
	　　
  板戸を開いて進むと、次の間があって山里の間となる。
　客殿をこれから建てる予定であるので、取りあえずの客用の部屋ということだろうか。
	　　
  ここも引き手が部屋の名称を現しているが、そのデザインはやや安直かな、と思ってしまう。
　
	　だが、２階の縁から眺める茅渟の海をひかえたナダの町は絶景である。
	　マウントビューも、翠滴る摩耶の高峰が眺められる。
	　クミンなら一度は住んでみたい・・・あ、いつの間にか時計が平成に進んでしまったが、
とにかく銀次郎らしいでっかい館がここに実現したのであった。（この項、つづく）

 </description>
	<content:encoded><![CDATA[<p>　ここはおとなしい階段を二階へ上ると、<br />
　杉の戸板に鮮やかに描かれた鷺の絵が出迎える。<br />
<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/katsuta_e_2f.JPG"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-katsuta_e_2f.JPG" alt="旧勝田邸杉板戸絵" /></a></p>
	<p>　　<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/katsuta_e_2fyamazato1.jpg"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-katsuta_e_2fyamazato1.jpg" alt="山里の間　床の構成" /></a><br />
  板戸を開いて進むと、次の間があって山里の間となる。<br />
　客殿をこれから建てる予定であるので、取りあえずの客用の部屋ということだろうか。</p>
	<p>　　<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/katsuta_e_2f_yamazato2.jpg"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-katsuta_e_2f_yamazato2.jpg" alt="山里の間　次の間との襖と引き手" /></a><br />
  ここも引き手が部屋の名称を現しているが、そのデザインはやや安直かな、と思ってしまう。<br />
　<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/katsuta_e_sv.jpg"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-katsuta_e_sv.jpg" alt="茅渟の海の眺め" /></a></p>
	<p>　だが、２階の縁から眺める茅渟の海をひかえたナダの町は絶景である。<br />
<a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/katsuta_e_mv.JPG"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-katsuta_e_mv.JPG" alt="マウントビュー" /></a></p>
	<p>　マウントビューも、翠滴る摩耶の高峰が眺められる。</p>
	<p><a style="float: left; margin: 0 10px 0 0;" href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/katsuta_e_ap.jpg"><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress3/attach/thumb-katsuta_e_ap.jpg" alt="勝田邸南面現況" /></a></p>
	<p>　クミンなら一度は住んでみたい・・・あ、いつの間にか時計が平成に進んでしまったが、<br />
とにかく銀次郎らしいでっかい館がここに実現したのであった。（この項、つづく）
</p>]]></content:encoded>
</item>
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