あの日以来、「原田のジェームス邸」は、私の心の中を大きく占めていた。
梅田行きの特急が原田の大カーブに差し掛かる時には、じっと観察をしていた。
軒先に並べられた丸瓦や、ベージュのモルタルの壁の仕上げのコンビネーションは、昭和初期に流行ったスパニッシュスタイルだが、塔屋の丸い銀色のドーム屋根との組み合わせは、やや調和を欠いていた。
それに、こうしたスパニッシュスタイルの洋風住宅は、普通は寄棟にして屋根を作ることが多いが、二階の上や塔屋が立ち上がるところは陸屋根っぽいつくりで、どちらかといえば事務所建築に近いつくりなのも、変わっていた。
塔屋と本体の繋ぎ方というか関係も、塩屋の館とは異なって素人っぽいテイストがあった。最初は、塩屋のジェームス邸を手がけた竹中工務店に、どこかの成金が「あんなん作って」と依頼をしたのかとも思っていたが、次第に私は、依頼した先は竹中ではないだろうと推測するに至った。
それと、この家の正門とは別に、敷地の鬼門にあたる位置に建つ古いつくりの一対の石柱の存在も、この家の創建時期を考える時の撹乱要因になっていた。
門柱には古めかしいデザインの鉄製の門扉がついていて、そのデザインはどちらかといえば明治時代の感覚でなされていた(もっとも戦時中に供出されている可能性もあるので必ずしもオリジナルの門扉とはいえないのだが)。
ひょっとしたら、この場所に、今の建物が出来る前に建っていた建物のものなのか。
いずれにせよ、やや場違いなこの石の門柱も、若き建築探偵というか「お屋敷小僧」を困惑させていた。
それから、何回か、ごくたまに授業の帰り道に途中下車して立ち寄るたびに、庭先の草花は季節にあわせて見事に植え替えられていた。この邸が、住人にかなり大事に維持されている様子がそことはなく伝わってきた。
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